愛子さまは
昨日も
今日も
国語の授業を
選択されました。
なぜでしょう?
ちょっと
思い出したことが
あります。
摂食障害の
女の子の
ケースです。
発病のきっかけに
なったのは
几帳面な
自分の学習机に隣接する
乱雑な弟の
学習机から
国語の教科書が
なだれ込んできたこと
でした。
「猛ダッシュくらいで
不登校ですか?」
と聞いた記者の
素朴な質問同様
常識では
ナンセンスに思えるものが
発病の後押しをします。
【国語】の象徴するものが
自分の中でおかしくなっているから
国語を見直す必要を
感じられたのです。
これは
国語の成績が悪いとか
そういう問題ではありません。
むしろ逆でしょう。
国語に関する
感受性が
極めて高いから
感受できる
問題なのです。
摂食障害のケースでは
訴えを無視されました。
愛子さまは
雅子さまに見守られ
この哲学に取り組まれています。
否認してはいけないこと
傾聴の大切さを
雅子さまは
経験から
学ばれたのでしょう。
震災記念式典への公務など
PTSDに関する行動には
積極的な意欲が
見受けられます。
癒し癒される関係は
克服への道に繋がると
思います。