『思い出のマーニー』の特装版には
河合隼雄の
「『思い出のマーニー』を読む」も
収録されているそうです。
今はこういう研究ばかりしている人たちも
真の臨床心理学的研究を
思い出すとよいでしょう。
尤も
河合ユングは完璧ではなく
―日本に輸入した第一人者が
河合隼雄だから
日本人のユング理解は
河合隼雄流
それを東洋思想的に
発展させる仕事が待っているのですがね。
それをしないから
「象徴が使えない発達障害児が
増えている」なんて
―西洋モデルに当てはめると
発達障害かわがままになる。
愚説が蔓延ったのです。
来年はこの作品分析で
学会発表することを予定しています
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東洋思想的に発展させるとは、ゲシュタルトとして対象を理解する、とか、父性的(あれかこれか?)に見るのではなく、母性的(れもこれも?)な見方をするとか、そういう感じのことですか?
ちょっと違うかな…
ちなみに最近考えていたのですが、「この子はしてこの子はしないとか不公平だからみんな一緒」と高圧的にすぱっと言い切る人が居て、言い切るところが父性的な感じがするので、その人は不正が強いのかなぁと、そう思っていたのですが、反面その人の個性を受け入れそれぞれ違うようになっても構わないと私は思ってて、自分は母性的かなと思っていたのですが、今はその真逆だったかなと思えています。
そもそも父性か母性か見分けようとしたところが、私は不正が強いのかもとひとりで考えていました。
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>RINKOさん
父性・母性の問題もあります。
発達障害ブームなんかは父性的(切り離し)であり
PTSDとして見るのは母性的かもしれません。理解し癒そうとするわけですから。
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>翠雨PTSD予防&治療心理学研究所さん
我が家の場合は、父親が精神的に大きく崩れて、実子である息子に依存しつつ虐待や殺人未遂、殺害予告をしてきました。息子が、ああいうのも「ゲシュタルト療法」で治ると主張している人がいらして、それについて私の意見を尋ねました。"Gestalt Prayer"には確かに父性的な「切り離し」があります。そして、「観察主体」=「まなざしとしての私」(©柴山雅俊)に戻って、本人なりの「世界秩序感覚」が再構成できれば治る…というのであれば、それはPTSD治療のひとつとして有効だろうという話をしました。結局は、PTSDの問題ですよね。
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>あ*さん
ゲシュタルト心理療法の実際には詳しくないのですが、部分的認識を全体認識にしていくのは認知の歪みの修正としても説明できますよね。まなざしは本当は結構とらえているわけですからね。おっしゃる通り「結局はPTSD問題」だと思いました。