PTSD解離性バラバラ殺人事件に巻き込まれた生田美玲さん『思い出のマーニー』と同じ放置児


運動会の
「ダンスがんばります」と言ったとか
日傘をさして
お洒落だったとか
報道されていますが
マーニーと同じ
放置児で
 ―かまってほしくて
  日傘をわざと置き忘れる等とも
  書かれている。
殺人鬼にでもついてゆきました。
 ―未治療PTSDを
  向精神薬とアルコールで
  こじらせた
  多重人格
ネグレクトは虐待であり
PTSDの発症リスクになります。
美玲さんは
『思い出のマーニー』
見たのかな。
まだちょっと
難しかったかな。

PTSD解離性バラバラ殺人事件に巻き込まれた生田美玲さん『思い出のマーニー』と同じ放置児」への4件のフィードバック

  1. RINKO

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    先日、教育心理学の授業で「貧しい環境」の例えで、ベットにずっと寝かされ声かけやあやしたりされず哺乳瓶を置いてミルクを飲ませるとかとありました。
    先生がそれはもう虐待ですよね、とも言っていて、私が赤ちゃんの時そうだったと聞いた状況のままだったので、ああそれで泣かない反応の乏しい子だったのかなと思いました。
    先日、自閉症のことをコメントしましたが、やはり乳幼児の発達する(脳のシナプスの形成とか)大切な時期の環境が、のちのちの人生を、しいてはその子を障害児にさえしてしまうのかもしれないと、自閉の定義があいまいなのが理解できました。
    そういえば、変性の歴史についての論文(京大の方の)を読みました。
    発達障害に流れてきたことが書いていました。

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  2. 翠雨PTSD予防&治療心理学研究所

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    >RINKOさん
    絶望感(期待しないから泣かない)は大分回復されているとも言えますね。ある意味で貴重なことだと思います。
    自閉症研究の歴史には「象徴が使えない発達障害が増えている」という愚説がまことしやかに流布したことも紹介してほしいですね。

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  3. RINKO

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    >翠雨PTSD予防&治療心理学研究所さん
    コメントの返事を読み、感慨深い気持ちになりました。ありがとうございます。
    そして、「絶望」という言葉に、以前、ある自閉症の方と関わっていた時に感じたものがなんだったのかわかったような気がしました。
    「絶望感」を早い時期に経験し、人との関わりにおいて期待を捨てて生きている、それが何か頑なに強い意志のようにも感じられていたことです。
    それを尊重する思いでそばにいて、直接内面的に関わることはできないけれど、背中と背中で関わるような(マーニーのように!)関係の空気がとても心地良くて好きでした。

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  4. 翠雨PTSD予防&治療心理学研究所

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    >RINKOさん
    PTSDが向精神薬で悲惨な状態になったところから回復した事例を話すと、みんな興味津々です。要するに壊れるだけではなく、回復することもあるのだという視点が今は失われているのだと思います。回復には、書かれているように
    ラポール(背中合わせでも背反ではない)が必要ですね。

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