『古事記』未満の『ドラキュラZERO』永遠のPTSD物語

公開中の
アメリカ映画です。
主人公は
オスマントルコ帝国の勢力下にある
国の君主で
戦場で大活躍し
「串刺し公」と呼ばれていますが
自身はその行いを悔いています。
これは
トラウマ記憶であり
 ―ハリウッド映画はこればかり
主人公は
その記憶を生き直し
個性化させる
心的エネルギーを持っているので
 ―固着と退行
洞窟の中にいる
ドラキュラに接近するようになり
 ―オスマン帝国のカリグラ
オスマン帝国から
「息子を含む少年1000人を
兵士として育てるために帝国に渡せ」と
迫られた時
うまく欺き
 ―息子をはじめ
 少年1000人を差し出す手筈を整えながら
 引き渡し直前に撤退し
 オスマン帝国の使者を血祭りに上げる。
 ここはスサノヲに似ている。
ドラキュラになる覚悟をし
 ― 飲めば不老不死と
  異常な力が得られ
  血への渇望が続くが
  3日辛抱すれば
  人間に戻れ能力も失われない
  欲望に負ければ
  ただの吸血鬼になる。
  PTSDにならねば
  凡人の人生で
  個性化しないが
  間違えると動物以下になる。
  ニーチェの言葉
  王は個性化しなければ  
  民衆を救えないから
  ドラキュラ・イニシエーションを受ける。
果敢に戦います。
途中
劣勢の時に
息子がさらわれ
妻が崖から落とされましたが
瀕死の妻が
自らの血を飲んで
息子を助けるよう頼み
息子は助かります。
 ―個性化する夫を理解し
  (最初はドラキュラになった夫に戸惑う)
  無私のこころで
  家族を助ける精神
瀕死の民衆に
主人公は
復讐のための力が欲しいかと問い
血を分け与えますが
 ―ドラキュラにさせる。
勝利の後
民衆は
単に血を望む暴徒と化してしまったので
 ―多くの人間は
 個性化せず
 堕落する。
主人公は
責任を取って
天候を操って雲を吹き飛ばし日光を出し
自分も民衆も死滅させますが
何者かが主人公に血を注ぎ
 ―雪山童子が入っているかも
息子は
国の公に就任します。
時代は
現代となり
主人公は健在で
妻そっくりの女性に声をかけ
共に立ち去り
 ―主人公は普遍的存在
一部始終を見ていた
ドラキュラが
「さあ、ゲームだ」と言います。
何か酒鬼薔薇を思いだしますが
人間の人生は
ドラキュラ・イニシエ―ションの
ゲームなのかもと思いました。
 ―気づいて
  堕落しない努力をすれば
  負の連鎖しない。
  与え、甘えさせるだけでは
  堕落させる。 
古事記の場合は
スサノヲで
二元論を脱し
日本国が築き上げられていますが
 ―以後は個性化の過程
アメリカの場合は
永遠に
善悪の攻防が
続くのでしょう。
哲学は大事ですね。

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