3月が来れば
20年になるわけですが
朝日新聞朝刊に紹介された
51歳の被害女性は
―目は見えず
言葉も断片的にしか話せない。
身体がこわばって動かないので
車椅子生活で
食事もミキサー食
絞り出すような
かすれた声で
「オウム、オウム」と訴えますが
兄(55)は
「もう忘れようよ」と言い
女性は素直に
「はい」と答えます。
兄もまた
医者が
「事故以前の記憶はない」と判断し
「新しい記憶を与えてあげよう」と提案したから
素直に応じているわけですが
朝日新聞の記者に気づいて
発した言葉であるのは
明らかですし
好きだった音楽や
ディズニーランドは
今でも変わらず好きです。
ブロックがかかっているだけで
記憶はあるはずです。
記憶は
どのようなものであっても
その人が生きた証ですから
人間はそれを不問にして
生きることはできません。
必死で傾聴を求めている姿にしか
見えないのに
こうして
身近にいても
被害者と支援者
違ってゆくのでしょう。
女性の絶望を思うと
気が遠くなります。
地下鉄サリン被害者(PTSD予防中)にも「もう忘れよう」
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