朝日新聞に大きな広告が出ていました。
「人生のハンドル
しっかり握ってますか?」
だそうです。
確かに
内なるトラウマと
外にある流行に振り回されるような
【解離】行動は困りますが
「その年で
今更書くような内容か!」と
言われ続けながら
ぶれなかったのも
現実の否認であって
あまりかっこいい生き様ではないと思います。
朝日新聞に大きな広告が出ていました。
「人生のハンドル
しっかり握ってますか?」
だそうです。
確かに
内なるトラウマと
外にある流行に振り回されるような
【解離】行動は困りますが
「その年で
今更書くような内容か!」と
言われ続けながら
ぶれなかったのも
現実の否認であって
あまりかっこいい生き様ではないと思います。
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「その年で
今更書くような内容か!」と
言われ続けながら
ぶれなかったのも
現実の否認であって
あまりかっこいい生き様ではない」
これは、「現実の否認」を「個性」と呼ぶ愚行そのものではないかと今、気づいたので、コメントしておくことにしました。
今でも、生物的な個体差を「個性」と呼ぶか「障害」と呼ぶかなどと議論しているのは、
生物的な個体差と、それを見た周囲の人々の驚愕や困惑によるPTSD発症リスクまたはPTSD発症がある社会の現実を真っ直ぐに見る目がないからです。我が家の場合も、息子がいろいろな点で「毛色が違う」とラベリングされたことは現実です。外野が大騒ぎしても、振り回されないことは大事です。
本人が何をどうしたくて、生まれつきをどう活かして心身を鍛えて天寿を全うするか?…それだけでしょう。それを後から振り返って「その人らしい人生だった」ということになるでしょう。
一方、香山リカ氏のように「ぶれない」のが現実の否認によって可能になっているだけでは、全然、話が違って、ユングのいう個性化、自己実現ではありません。もっとも、DSMが青春だった時代のめぐりあわせを今からでも省みて、今からPTSDを治せる臨床心理士かつ精神科医になるという自己実現をなさるのかも知れませんね。
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>あ*さん
ユング派もPTSD克服前の状態は「個性化」とは異質のものだと啓蒙すべきなのに情けないことです。象徴が使えていないと言った段階で堕落が始まったのでしかたがないのですが。
香山氏は『絶歌』に関してコメントしているので、ラストメッセージにはならなかったようで残念ですが、改心されるならそこに期待したいです。