『天皇の料理番』癇癪=PTSDの解離はコントロールして自己実現


常識外れで
箸にも棒にもかからない
破天荒に見えた
主人公が
天皇の料理番になる過程は
個性化の過程そのものだと思います。
苦労のかけ通しで
ストレスから
病気になった臨終の妻から
主人公は
「あなたは癇癪持ちだから心配」
「お仕事上
トンデモナイ事態につながるので」
「この鈴をポケットに入れて
思い出してほしい」と
言われます。
「本当に申し訳ないことをした」と
反省できる主人公は
妻の指摘する
図星さに癇癪を起こしながらも
それにこたえようとしました。
「解離」行動は
自重することが可能です。
痛みとともに身に付くから
決して増上慢にはなりません。
こういうことを知ってほしいから
つくられた
作品でもあるのでしょう。

『天皇の料理番』癇癪=PTSDの解離はコントロールして自己実現」への2件のフィードバック

  1. あ*

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    「反省できる主人公は
    妻の指摘する
    図星さに癇癪を起こしながらも
    それにこたえようとしました。
    「解離」行動は
    自重することが可能です。
    痛みとともに身に付くから
    決して増上慢にはなりません」
    という点に同感です。
    『かみかぜよ、何処に』
    http://amzn.to/1yOjG9Z
    の著者は、サナダムシの虫下しにアヘンを服用するしかありませんでしたが、依存症に陥らないで済んだのは、ご主人が一喝なさったのを聞いて反省できたからでしたし、ご主人は、どぶろくを作って売るしかないときに、作った濁酒を飲んで「気が大きくなる」という逃避行動に耽溺しなかったのは、奥さまが絶対にダメだと仰ったのを聞いて、そのとおりだと思って反省できたからでしょう。
    子殺しや虐待はダメと言われても、「自分の子どもを思い通りにして何が悪い」と開き直ってしまう児童虐待者や、「子どもの生まれつきが悪いから仕方ない」として済ませる発達障害論者は「解離」行動を自重することはできず、増上慢になります。
    発達障害論者ではない普通の養育者や教育者は、子どもの反応や言動に問題を感じたときは、自分の側の接し方や、よかれと思って与えている食事や環境に、その子に合わないところがあるのかも知れないと反省することができるので、何とかなるのでしょう。
    発達支援で返って発達が阻害されるのは、発達障害論者の所為でしょう。
    http://ameblo.jp/sting-n/entry-12046501295.html
    佐賀でも対話をなさるそうで、流石と感心しました。

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