1950年7月2日の未明
金閣寺
(鹿苑寺)
は全焼し
寺子弟の見習い僧侶の
大谷大学学生(当時21歳)が
金閣寺の裏にある左大文字山の山中で
薬物のカルモチンを飲み
切腹してうずくまっており
放火の容疑で
逮捕されました。
救命処置で助かり
逮捕当初動機として
「世間を騒がせたかった」
「社会への復讐のため」
などと供述していましたが
病弱で
重度の吃音があり
実家の母から
過大な期待を寄せられる
一方で
若く未熟な
こころに
質素を重んじる
禅寺でありながら
観光寺として
存在している
という矛盾が
渦巻き
厭世感情や
複雑な感情が
入り乱れていたことが
次第に
明らかになりました。
三島由紀夫は
「自分の吃音や不幸な生い立ちに対して
金閣における
美の憧れと反感を抱いて
放火した」と分析し
水上勉は
「寺のあり方
仏教のあり方に対する矛盾により
美の象徴である金閣を放火した」
と分析しました。
服役中に
結核と重度の精神障害が進行
加古川刑務所から
京都府立洛南病院に
身柄を移され入院した
1956年3月7日に病死した
彼の不幸を
みなさんは
どう分析しますか?
やはり
PTSDのはしりではないかと
私は思いますが
いかがですか?
週末の
朝日新聞の書評で
『罪と罰』の
ラスコーリニコフより
彼に共感する
という読者が
いました。