ユングの父親は
プロテスタントの牧師だったが
なにか慢性的に不満をもっているような
ところがあり
神経質であった。
―確かにそういう感じ出てますね。
幼いユングは
父に信仰上の疑問をぶつけたり
しながら
この父親は信じているフリを ←ヒステリー?!
しているのではないかと
感じた。
そうなると
ユング少年のこころのなかでは
キリスト教は
不気味なオカルト集団になってしまう。 ←集団ヒステリー?!
ミサで
葡萄酒をイエスの血として飲み
パンをイエスの肉体として
食するのは
その最たるもので
感受性の強いユング少年は
それを普通の子のように
適当に
『あれはアレ!』と
スルーできなかったのではないかと
推測される。
そして
この不安や恐怖やわけのわからなさの
コンプレックスが
後に無意識理解における
【象徴】概念を
生み出したのではないか。
もっと言えば
真に【象徴】を理解しようと
し続けなければ
生きてゆけなかったのでは
ないか。
個人の宗教的問題を
とことんまで突き詰めれば
【象徴】という普遍に
突き当たる。
PTSD克服の
ユングが身をもって
証明したこの
事実を
今の日本のユング派は
もてあまし
捨てようとしている。