ジブリ『借りぐらしのアリエッティ』」カテゴリーアーカイブ

『借りぐらしのアリエッティ』百尺竿頭は一太極二陰陽

$PTSD研究家翠雨の日記
百尺竿頭一歩進めよ
ですが
陰陽五行説も
もちろん
入ってます。
 ―インドの仏教も
 中国で翻訳されてますから。
PTSD研究家翠雨の日記
男の子&女の子
人間&象徴
意識と無意識
現実と非現実
陰陽が向き合ってますね。
真ん中の花は
華厳の華でしょう。
 ―ポニョもアリエッティも
  華厳めいてますから。
PTSD研究家翠雨の日記
この底の部分の
【一太極二陰陽】
これがリセットの法則です。
ここにしっかり向き合えば
【大死一番乾坤新たなり】
乾坤=天地=世界
現実の世界が
ガラリと変わるのです。
仏教と陰陽五行が
見事に融合した表現です。

『借りぐらしのアリエッティ』 百尺竿頭一歩進めよ

$PTSD研究家翠雨の日記
これが
【百尺竿頭】の
象徴的表現であることは
昨日書きました。
PTSD研究家翠雨の日記
最初の狩りならぬ【借り】では
このように表現されてました。
驚きと怖さが
何気に強調されてましたが
【象徴の上に】
普通に立ててます。
 ―協力しながら
 こころの作業をしてきたので
 こころがすくっと
 成長したのです。
そして
対話が終わると
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ふいっと
降りてゆきました。
翔の前からは消えて
別天地に向かうのです。
ポニョは
「ヒットしても家出します!」と
宣言してましたが
アリエッティも
別世界へ行きます。
かぐや姫も月へ行きますね。
西洋のハッピーエンドはなく
ネバーエンディングストーリー
【仏向上】なのです。
  ―常にセルフを超えていく。
こうやって
常に個性を輝かせながら
生きていく過程が
【個性化の過程】
【自己実現】なのです。
心理療法で
根本的に
勘違いされているところです。

『借りぐらしのアリエッティ』百尺竿頭とポニョ

何気ない構図ですが
貴重です。
PTSD研究家翠雨の日記
竹かな?
 ―竹の園は皇室
 日本の【象徴】ですひらめき電球
小人にとっては
高い高い
竿の上です。
百尺竿頭です。
PTSD研究家翠雨の日記
【如人千尺懸崖上樹】
ポニョ  崖の上の
千も百も
一緒です。
怖いと感じるのは同じと
道元は言います。
意識が
数字にこだわってると  ←自我の固執
見えないのです。
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物語の最後になって
ポニョのテーマと
アリエッティが
重なります。
道元も漱石も
ポニョもアリエッティも
同じことをテーマにしています。
日本人の自己実現のモデルが
ここにあります。
西洋心理学や
ドイツ精神医学で
その精神を嵌め殺しては
なりません。 

ポニョからアリエッティへ無意識のなかの異熟過程VTR


『崖の上のポニョ』の
モチーフ
【如人千尺懸崖上樹】
ポニョ   崖の上の
これが
アリエッティにつながっているということは
既に書いて来ましたが
創作過程の
初期に描かれたのは
「まるで宗介とポニョみたいですね」
初期のお父さんは
「ドイツ人みたい」と
おっしゃってます。
 ―哲人みたいとおっしゃってる絵は
  私にはユングに見えます。
やはり
★ドイツ精神医学
★ユング心理学の限界
それが
★箱庭療法に
如実に出ていることを
警告しているのですよ。
そう言えば
私も
学会発表後
その反省の上に
次の発表が
一年かけて時熟してゆきます。
 ―なかなか伝わらなかったことが
  だんだん伝わるようになりますニコニコ
毎年バラバラではないのです。   ←【解離】
創作はそういうものだろうなぁと
気づきましたひらめき電球
あと忍者ねドキドキ
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こういうのとの
闘いです。

『借りぐらしのアリエッティ』のスサノヲイメージ

閉じ込められたお母さんを
助けるのですが
アリエッティは
翔に助けを求めます。
 ―人間に【自己治癒力】が
  あるからと言って
  本人が協力しなければ
  その力は
  発動しませんひらめき電球
翔君も
★(表向きはお手伝いさんで
味方であるはずの)敵に
気づきひらめき電球
 ―PTSDの
 集合的無意識のなかにある
 搾取の構造
これまでのように
★おとなしく
★ストレートに行動するのではなく
★いろいろ考えだします。
PTSD研究家翠雨の日記
おなかがすいたと言って
注意を逸らさせ
アリエッティを忍び込ませて
お母さんを探させます。
PTSD研究家翠雨の日記
アリエッティは
最初の
狩りならぬ【借り】で獲得した
マチ針の
お母さんを救いました。
 …
誰もが恐れて
人身御供をささげる村で   ←うつ病自殺
おそろしいヤマタノヲロチを
お酒に酔わせて
退治した
スサノヲが手にした
草薙の太刀を想いました。   
 ―酔っ払って
 開き直って
 逮捕されたのは誰?
クシナダ姫を櫛に変えて   ←小さいもの
身に着けたのですね。
アリエッティの
洗濯バサミの髪留めも
異熟しています。

『借りぐらしのアリエッティ』【象徴】をかぎ分ける能力

PTSD研究家翠雨の日記
『あれっ?』と
感じることが大事ですネ。
 ―スピラーのような
  野性の思考です。
PTSD研究家翠雨の日記鼻ルシスひらめき電球
開けてみると
緑の葉っぱ
 ―【象徴】は
  【自己治癒力】ですから
  春の【木気】
  息吹のイメージです。
  すべてが再生するのは
  春ですね。
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PTSD研究家翠雨の日記屋根も葉っぱの色
目には見えませんが
【象徴】は存在するなと
感じられるものです。
PTSD研究家翠雨の日記
こんな風に
小人さんから
むしりとって
表面的に
上から目線でみても
見えないのです。

『借りぐらしのアリエッティ』【象徴】が見えないから閉じ込める

【象徴】が見えない人たちは
アリエッティのお母さんを
ビンにラップして
ちょっと空気穴あけて
虫かなにかみたいに
閉じ込めます。
PTSD研究家翠雨の日記
そういう人は
現実の人間も
自分の都合で
部屋に閉じ込めます。
PTSD研究家翠雨の日記
元気になってもらおうという
発想はゼロですね。

『借りぐらしのアリエッティ』【象徴】台無し

アリエッティたちの
豊かな世界が見えないので
 ―【象徴】が
  ガラクタにみえる。
$PTSD研究家翠雨の日記
ただの泥棒だという発想になり
 ―記憶泥棒
 (解離性健忘)
 ですかね。
 捨ててしまった
 思い出の結晶ですから。
ネズミ捕りの業者なんか
呼ぶんです。
電話一本で!
 ―便利なもの・合理性
 わかりやすいものばかりを
 追求したら
 その副作用は怖いですよニコニコ
アリエッティたち
象徴と対話する
精神療法よりは
不安や不眠を
薬物療法で
やっつけて
クリーンにしようという
発想の比喩でしょう。
ドイツ車が後ろから
押してますし…あせる
 ―ドイツ精神医学ですね。
 

『借りぐらしのアリエッティ』【象徴】をガラクタという人たち

PTSD研究家翠雨の日記
ガラクタのように見えますが
紅茶缶も
植木鉢も
確かに
アリエッティの家にあったものです。
人間が捨ててしまった
記憶(集合的無意識)のなかで
アリエッティたちは
豊かに暮らしていたのです。
なのに
「こっちの方が
いいだろう!」とばかりに
PTSD研究家翠雨の日記
ドールハウスがはめ込まれたのです。
 …
日本の箱庭療法には
こういう間違いがあります。
クライエントの豊かな
表現のなかに
確かにある
【象徴】が
がらくたにしか見えないのです。
それで
西洋式の心理学
(ドールハウス)を
日本人向けに文化的翻訳せず
そのまま押しつけますから
PTSDが
【発達障害】に見え

かぐや姫やポニョを
わがままだと言って
矯正するのです。

『借りぐらしのアリエッティ』発達障害誤診の【象徴】

日本のユング派は
★【象徴】が消えた
★発達障害が増えたと
主張します。
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 ― アリエッティたち【象徴】は
 絶滅寸前だと
 主張する翔と同じです。
【象徴】は自己治癒力であり
PTSDのものですから
 ―ユングの個性化の過程が
  証明しています。
先天的な病である
発達障害には
【象徴】がみられないという
理屈が成り立つのでしょう。
しかし
象徴は生きています。
 ―発達障害と思われているのは
  PTSDです。
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大阪の二児遺棄死で
社会の認識が
大きく変化しました。

みなのこころが動かされたのです。
自浄ともいえる
【自己治癒力】が作動し
大きな波が生まれました。
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アリエッティ
(象徴)は
生きています。