ジブリ『借りぐらしのアリエッティ』」カテゴリーアーカイブ

高所恐怖症ポニョから閉所恐怖症アリエッティへ

朝日新聞の記者が書いてた。

「恐怖症というほどではないが
自分は
高いところより
狭いところが苦手」

なぜか?

「落ちるのは怖いが
落ちる自由がある。

しかし

狭いところにあるのは
圧迫感という名の
終りなき時の重圧

感覚遮断によって起こる
妄想や幻覚には
人間は耐えられないが   ←古典的悪魔的実験でわかった

人間存在の深遠を覗いたとき
感じる恐怖は       ←ニーチェが言ってる
本来
正常なものである。

「(仮想の)極限状態から  ←【如人千尺懸崖上樹】
奇跡の主人公について    ←ポニョ
学びたい」なんて

崖の上のポニョを連想させるような
ことを書いている。

そう言えば
アリエッティは床の下に   ←集合的無意識
ひっそり住んでいる。

ポニョになりきれず
絶滅の危機
瀕死の境遇にある
床下の小人たちの声を    ←ポニョの妹たち?
繊細なこころで傾聴し
開放してあげなきゃって

だんだん気づいて
きたのかな?
続きを読む

高所恐怖症ポニョから閉所恐怖症アリエッティへ

朝日新聞の記者が書いてた。
「恐怖症というほどではないが
自分は
高いところより
狭いところが苦手」
なぜか?
「落ちるのは怖いが
落ちる自由がある。
しかし
狭いところにあるのは
圧迫感という名の
終りなき時の重圧
感覚遮断によって起こる
妄想や幻覚には
人間は耐えられないが   ←古典的悪魔的実験でわかった
人間存在の深遠を覗いたとき
感じる恐怖は       ←ニーチェが言ってる
本来
正常なものである。
「(仮想の)極限状態から  ←【如人千尺懸崖上樹】
奇跡の主人公について    ←ポニョ
学びたい」なんて
崖の上のポニョを連想させるような
ことを書いている。
そう言えば
アリエッティは床の下に   ←集合的無意識
ひっそり住んでいる。
ポニョになりきれず
絶滅の危機
瀕死の境遇にある
床下の小人たちの声を    ←ポニョの妹たち?
繊細なこころで傾聴し
開放してあげなきゃって
だんだん気づいて
きたのかな?

弱くて孤独なこころには見えるアリエッティたち

翔君です。

PTSD研究家翠雨の日記

両親が離婚していて

父親とはあまり会えず
母親は仕事で忙しいです。

 つまり孤独です。

心臓が悪く
病気療養に
来ています。

 つまり病弱なのですが
 

病弱が

個人の自己責任で起こっていることは
あまりなく
 ―子どもは暴飲暴食しませんから
  してるなら既にPTSDです。

集合的無意識にある荷物を    ←誰のせいでもありません
背負わされてのことが
ほとんどです。

とりあえず
お母さんの生育歴に
(お母さんが育った屋敷)    ←家族的無意識の層(ユング)
触れてみます。

そういう時
そういう子に
(象徴的な意味ですが)
床下の小人が
見えます。

いくら心理学の本を読んでも
傲慢な人には
それが見えません。
続きを読む

アリエッティのドールハウスは箱庭療法の愚そのもの

アリエッティたちの家は
こじ開けられ

ドールハウスをねじ込まれ

お手伝いさんにまで
見つかってしまって

お母さんは
ガラス瓶にとじこめられ

アリエッティたちは
家を離れなくては
ならなくなりました。

     …

床下は集合的無意識です。
こころのケアとは
集合的無意識のケアに
ほかなりません。

小人は繊細な存在です。

こじ開けて接近したり
こちらの論理を押し付けたりしては
 ―おじいさんが
  イギリスに注文したってのは 
  スイスのユング研究所御用達くらいの
  嫌味叫び

こころの中心(お母さん)は
嵌めごろされ
呼吸ができなくなります。

瀕死の状態です。

こんな臨床心理学を
金科玉条のごとく学んだ
臨床心理士という名の
1万人以上いる
お手伝いさんたちから

集合的無意識は
離れてゆくばかりです。  ←摂食障害の人来ないって嘆いてた…

宮崎駿が言ってました。

「専門家は関係ない。
どうにでも分析してくれ」

臨床心理学が嫌いなんだろう。
ポニョを描いたのも
不安と神経症の時代をなんとかしたいという
一念だったわけで…

ひらめき電球来年の学会発表はアリエッティに決定!
続きを読む

化野念仏寺「千灯供養」と翔くん

約8千ある
石仏や石塔の前で
献灯します。

化野一帯は
かつて風葬の地で

あたりは
死体だらけの土地ドクロだったのですが

明治の中ごろに
地元の人たちが
無縁仏を集めて
供養したのが
千灯供養の始まりです。

平成の人間が

自分とは
直接関係がなく
名前も顔も知らない
いにしえの人々のこころに
寄り添います。

床下に住む
アリエッティが見える
翔君たちです。

こんなふうに
見える人が存在するうちは
大丈夫です。
続きを読む

弱くて孤独なこころには見えるアリエッティたち

翔君です。
PTSD研究家翠雨の日記
両親が離婚していて
父親とはあまり会えず
母親は仕事で忙しいです。
 つまり孤独です。
心臓が悪く
病気療養に
来ています。
 つまり病弱なのですが
 
病弱が
個人の自己責任で起こっていることは
あまりなく
 ―子どもは暴飲暴食しませんから
  してるなら既にPTSDです。
集合的無意識にある荷物を    ←誰のせいでもありません
背負わされてのことが
ほとんどです。
とりあえず
お母さんの生育歴に
(お母さんが育った屋敷)    ←家族的無意識の層(ユング)
触れてみます。
そういう時
そういう子に
(象徴的な意味ですが)
床下の小人が
見えます。
いくら心理学の本を読んでも
傲慢な人には
それが見えません。

アリエッティのドールハウスは箱庭療法の愚そのもの

アリエッティたちの家は
こじ開けられ
ドールハウスをねじ込まれ
お手伝いさんにまで
見つかってしまって
お母さんは
ガラス瓶にとじこめられ
アリエッティたちは
家を離れなくては
ならなくなりました。
     …
床下は集合的無意識です。
こころのケアとは
集合的無意識のケアに
ほかなりません。
小人は繊細な存在です。
こじ開けて接近したり
こちらの論理を押し付けたりしては
 ―おじいさんが
  イギリスに注文したってのは 
  スイスのユング研究所御用達くらいの
  嫌味叫び
こころの中心(お母さん)は
嵌めごろされ
呼吸ができなくなります。
瀕死の状態です。
こんな臨床心理学を
金科玉条のごとく学んだ
臨床心理士という名の
1万人以上いる
お手伝いさんたちから
集合的無意識は
離れてゆくばかりです。  ←摂食障害の人来ないって嘆いてた…
宮崎駿が言ってました。
「専門家は関係ない。
どうにでも分析してくれ」
臨床心理学が嫌いなんだろう。
ポニョを描いたのも
不安と神経症の時代をなんとかしたいという
一念だったわけで…
ひらめき電球来年の学会発表はアリエッティに決定!

化野念仏寺「千灯供養」と翔くん

約8千ある
石仏や石塔の前で
献灯します。
化野一帯は
かつて風葬の地で
あたりは
死体だらけの土地ドクロだったのですが
明治の中ごろに
地元の人たちが
無縁仏を集めて
供養したのが
千灯供養の始まりです。
平成の人間が
自分とは
直接関係がなく
名前も顔も知らない
いにしえの人々のこころに
寄り添います。
床下に住む
アリエッティが見える
翔君たちです。
こんなふうに
見える人が存在するうちは
大丈夫です。

『借りぐらしのアリエッティ』床下にある家族的無意識

ユングはあるとき
地下に降りてゆく夢を
見ました。

下に行くほど
時代が古くなり
「これは人類史だ!」って  ←人間の祖先の時代も含む
気づきます。

ユングはこの夢から

人間は
後天的な記憶だけで
生きているのではなく

先天的な記憶にも
翻弄されながら
生きていることを
つかみ

これを集合的無意識
(普遍的無意識)と名づけました。

意識に近い
比較的浅い場所に
家族的無意識が
あります。

PTSD研究家翠雨の日記

普通の家庭にある
床下は

家族的無意識のことでしょうね。

家族が共有する
記憶であり
秘密であり
自明性であり
究極的には
宗教みたいなものでしょう。  ←無条件に受け入れている

PTSDの原因も
克服の手がかりも
ここにあることが
多い

そんな気づきで
創作されたのでしょう。
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『借りぐらしのアリエッティ』床下にある家族的無意識

ユングはあるとき
地下に降りてゆく夢を
見ました。
下に行くほど
時代が古くなり
「これは人類史だ!」って  ←人間の祖先の時代も含む
気づきます。
ユングはこの夢から
人間は
後天的な記憶だけで
生きているのではなく
先天的な記憶にも
翻弄されながら
生きていることを
つかみ
これを集合的無意識
(普遍的無意識)と名づけました。
意識に近い
比較的浅い場所に
家族的無意識が
あります。
PTSD研究家翠雨の日記
普通の家庭にある
床下は
家族的無意識のことでしょうね。
家族が共有する
記憶であり
秘密であり
自明性であり
究極的には
宗教みたいなものでしょう。  ←無条件に受け入れている
PTSDの原因も
克服の手がかりも
ここにあることが
多い
そんな気づきで
創作されたのでしょう。