古事記」カテゴリーアーカイブ

因幡の白兎③ PTSDの専門家たち

おおくにぬしのみことには
多くの兄弟
(八十神)が
いました。

大穴牟遲神が
稲羽(因幡)の
ヤガミヒメを
妻にしようと
出掛けたとき

八十神は
大穴牟遲神に
荷物を全部持たせました。

気多
(けた)の
岬に着くと

裸のうさぎが
伏せっていました。

八十神は
「お前は海水を浴び
高い山の上で風に当たって寝ていろ」と
指示しました。

うさぎがその通りにすると
海水が乾くにつれて
身の皮が風に吹き裂かれました。

心理療法家も
80人デタラメで
一人くらいは

世の中の重い重い荷物を背負って
黙って存在しているなら
まだ
いいですのにね。

あと
心理療法の基本は
【傾聴】なのに
上から目線で【指示】ばかりする
心理臨床家も多いです。

指示の根拠は
古事記など日本的なものではなく
西洋のお話です。

宮崎駿監督は
これを憂い
『崖の上のポニョ』を
発表しました。
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因幡の白兎②  PTSD罹患者の辿る道

淤岐島
(おきのしま、所在不明)から

因幡国に渡るため

まあ簡単に言えば
陸から陸へ

うさぎは
ワニを海の上に並ばせ
渡ろうとしたのですが

もう少しというところで
「だましてやった」なんて
言っちゃったので

怒り狂ったワニに
毛皮を剥ぎ取られ絶体絶命です。

掬われたい一心で
八十神(やそがみ)の教えに従い
潮に浴し
風に吹かれたので
身の皮が裂け
苦しんでいるのを

おおくにぬしのみことが
救うという話
です。

ワニは水陸を自由に行き来します。
意識と無意識を
渡る力の【象徴】でしょう。

このちからを
甘く見てコントロールできると
勘違いしたために

毛皮をはがれ
傷口に塩を塗られて
赤ウサギとなり

助けを呼んでは
さらにひどい目にあって
嘆き苦しんでいるのは

まるで
平成のPTSDです。

【解離】や【同一視】
【回避】により
トラウマを克服したつもりが

激しいフラッシュバックや不眠に
悩まされます。

専門家を頼って
ほっとしたのもつかの間

いつまでも治らず

さらに地獄をみることが
少なくありません。

しかし
その絶望から掬われることも
あるのです。
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因幡の白兎①

いなばのしろうさぎは
出雲神話の一つです。

素菟(兎)が
正しい表記だそうです。

本居宣長は『古事記伝』で

素足、素手のように
裸を意味する
【素】なので

白いウサギというよりは
はだかうさぎ
ではないかと
述べています。

ワニにやられて
痛々しい
うさぎですものね。

『古事記』のなかに
あるお話ですから
これもPTSDに
関係があると
私は考えます。
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因幡の白兎⑤ 医療が強化する【解離】

おおくにぬしのみことは
うさぎに
河口へ行って
真水で体を洗い
そこに生えている
蒲の花粉を取って
その上で寝るといいと
教え
うさぎが
教えられた通りにすると
体は元通りに治りました。
うさぎは
おおくにぬしのみことに
「ヤガミヒメは
八十神ではなく
あなたを選ぶでしょう」と
言いました。
たとえば
不眠症だったら
なぜ眠れないのか
その人の日常を科学的に
考察し
症状に応じた治療を
しなければなりません。
それを顔も見ないで
診断し
それに基づいた治療をし
痛い痛いと言っても
聴かないし…
苦痛や絶望から
暴れでもしたら
【うつ病】もたちまち
【統合失調症】に書き換えられる始末で
(最近の朝日新聞)

あまりにデタラメですよね。
痛みを【否認】してたら
【解離】になりますよ。
本人の無意識が応急処置として
しかたなくするならともかく
医療現場での指示が【解離】なんて
あまりに変すぎる…

因幡の白兎④ 無意識のワナ

大怪我をした赤ウサギに
海水を浴び
風に当たって
寝ていろと
指示するなんて
ひどいですね。
客観的に
考えると
だれが考えても変な話
です。
しかし
PTSDを前にすると
セラピストもクライエントさんも
こんなふうになるのが
普通です。
これは知性の問題ではなく
無意識にある
感情の問題なので
むつかしいのです。
しかし
これに気づけば
道は開けるのです。

因幡の白兎③ PTSDの専門家たち

おおくにぬしのみことには
多くの兄弟
(八十神)が
いました。
大穴牟遲神が
稲羽(因幡)の
ヤガミヒメを
妻にしようと
出掛けたとき
八十神は
大穴牟遲神に
荷物を全部持たせました。
気多
(けた)の
岬に着くと
裸のうさぎが
伏せっていました。
八十神は
「お前は海水を浴び
高い山の上で風に当たって寝ていろ」と
指示しました。
うさぎがその通りにすると
海水が乾くにつれて
身の皮が風に吹き裂かれました。
心理療法家も
80人デタラメで
一人くらいは
世の中の重い重い荷物を背負って
黙って存在しているなら
まだ
いいですのにね。
あと
心理療法の基本は
【傾聴】なのに
上から目線で【指示】ばかりする
心理臨床家も多いです。
指示の根拠は
古事記など日本的なものではなく
西洋のお話です。
宮崎駿監督は
これを憂い
『崖の上のポニョ』を
発表しました。

因幡の白兎②  PTSD罹患者の辿る道

淤岐島
(おきのしま、所在不明)から
因幡国に渡るため
まあ簡単に言えば
陸から陸へ
うさぎは
ワニを海の上に並ばせ
渡ろうとしたのですが
もう少しというところで
「だましてやった」なんて
言っちゃったので
怒り狂ったワニに
毛皮を剥ぎ取られ絶体絶命です。
掬われたい一心で
八十神(やそがみ)の教えに従い
潮に浴し
風に吹かれたので
身の皮が裂け
苦しんでいるのを
おおくにぬしのみことが
救うという話
です。
ワニは水陸を自由に行き来します。
意識と無意識を
渡る力の【象徴】でしょう。
このちからを
甘く見てコントロールできると
勘違いしたために
毛皮をはがれ
傷口に塩を塗られて
赤ウサギとなり
助けを呼んでは
さらにひどい目にあって
嘆き苦しんでいるのは
まるで
平成のPTSDです。
【解離】や【同一視】
【回避】により
トラウマを克服したつもりが
激しいフラッシュバックや不眠に
悩まされます。
専門家を頼って
ほっとしたのもつかの間
いつまでも治らず
さらに地獄をみることが
少なくありません。
しかし
その絶望から掬われることも
あるのです。

因幡の白兎①

いなばのしろうさぎは
出雲神話の一つです。
素菟(兎)が
正しい表記だそうです。
本居宣長は『古事記伝』で
素足、素手のように
裸を意味する
【素】なので
白いウサギというよりは
はだかうさぎ
ではないかと
述べています。
ワニにやられて
痛々しい
うさぎですものね。
『古事記』のなかに
あるお話ですから
これもPTSDに
関係があると
私は考えます。

BS朝日もう一度会いたい『素顔の夏目雅子』から日本人の自己実現モデル

本日夜9時から

急性骨髄性白血病で
1985年に
亡くなった
女優さんですね。

映画『瀬戸内少年野球団』で
演じた主人公は
アメリカ文化への憧れと
敗戦の傷という

戦後日本の明暗が
共存する役柄
であったと

中井貴恵さんが
懐古しておられます。

美貌のほかに
(でもビルシャナや
アマテラスのような
輝く美貌でした)

気さくさ
破天荒さ

が魅力でしたね。

古事記のころからの
リセットの法則は
日本人が危機にみまわれるたびに

よみがえり

かつて受けたショックの古傷に
過去の成長のあとを
思い出させます。

(信じられない状況から
立ち直ったじゃないか!と)
勇気づけられ
自信を回復させるなかで
湧き上がってくる
無意識からのパワーの
ために

破天荒に
前例を壊しながら
変化し続けてゆかされるのが

日本人の
個性化の過程であり、
PTSDからの克服の
スタイルではないかと
思います。

古事記のスサノヲや
夏目雅子さんが
色あせないうちは

この国の人々に
人魚姫モデルの二元論は
なじまないのです。
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鼻⑪ 普遍的自己実現法としてのお稽古

ヨガや
座禅の腹式丹田呼吸
などのよさは
よく知られていますが

普通の生活の中で
自然に
選んでいるものも

案外
凄いなあと
みなさんの
ブログを拝見して

思いました。

そうか
道も
あったなあ…

最近の子
下手になってるそうです。
やっぱり…ね。

なんか
当たり前のことが
根本から
変質してきてるんでしょうね。

でも合気道習ってるうちは
大丈夫。
きっと
【一太極二陰陽】を
心身霊全体で
探求し続けることができるでしょう。

楽器の演奏だって

呼吸やイメージを
大事にしなきゃならない。

「クレッシェンドで大きく吸い込み
デクレッシェンドで静かに吐き出す」

そのうち
呼吸も音楽も
自分も
みんな融けて

これは
もはや瞑想目ですね。

お子さんが同じ道を選ぶと
それは精神分析で
自分の幼児期を回想するような
設定が自然にできています。
しかも【言葉】ではなく
もっと深く記憶の整理が
できる!というよりは
させられてしまうんだなあ…
そうかぁ…

…なんか目からウロコでした…

それに
楽典にしても合気道にしても
古典つまり

ある種の常識である
集合的無意識に向き合いながら
自分の表現を貫く練習
ですから

考えてみれば

日本人が
お稽古好きなのは

豊かに見えて
案外貧しい治療文化を
自力で泳いでいく
無意識の知恵なのかな?

など
いろいろ勉強させていただきました。

ありがとうございますドキドキ
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