物語」カテゴリーアーカイブ

「愚かしいほどナルシスティックな裸の女王」PTSD解離人格の好きな言い回し

中村うさぎさんは
高石市の女性をモデルにした
小説を書きましたが
タイトルは
『狂人失格』
狂人になりそびれた病理は
 ―なりたくはないでしょうが
PTSDでしょう。
無意識の数々の
防衛規制が
症状を作り
対人関係を限定し
人生を方向づけます。
誰にでも自己愛はあるけど
愚かしいほどになれば
見ていて
イタイですし
そういう人は
裸の王様みたいです。
そういう人は増えてるけど
ブログで
親密に近づき
インタビューして
個人が特定できるかたちで
発表するのは
一時期
境界性人格障害と呼ばれた人の
手法ですね。
 ―PTSD
しかし
このフレーズ
絶望の淵から発信される
攻撃的なメンヘラブログで
よく見ますニコニコ

BSプレミアム『真夜中のパン屋さん』PTSD治療における傾聴の問題

滝沢秀明が
夜中に
パン屋さんを経営
暮林陽介って名前は
陰陽的ですね。
 ― 一陽来復
  冬から春になる境目は
  病気の克服にも重なる。
すべてを受け入れる
やさしい存在らしいですが
これはアマテラスかな。
 
 ―遷都の年だし
そうすると
スサノヲのような
暴れん坊が
やってくるものですが
常連の六角精児は
 ―斑目という
 これまた解離人格の
 認知の歪みを表現したような名前
望遠鏡3台使って
 ―3も重要な数字
通行人をこっそり観察   ←依存症
 ―出入りしながら
 失敬なこともするのが
 未治療重症PTSD
見つかると
口止めしたり
罪悪感からとんでもない
言い訳をしたり…。
場当たり性もきちんと
把握されています。
治療には
傾聴が大事ですが
この意味を間違うと
偽善になってしまうし
そういう誤解が多いのも
作家はよく知っているわけですね。
しかし
その傾聴の意味を
今考える時期に来ているのでしょう。
夜中のパン屋さんというのが
まあ偽善ですけどね。
 ―非日常の異界を創りだすために
 仕方なかったのかもしれませんが
 

『間違われちゃった男』PTSD解離性場当たり男のパロディ

今夜から
始まるドラマらしいです。
筋書きは
至って単純で
 ―解離すると
 金太郎飴みたいに
 没個性化
 一律「変」になる。
コソ泥に入り
 ―既に発症
そのまま
居候
 ―失踪した人に似ていたので
 勘違いされたのに
 便乗
 失踪された人もショックで
 トラウマになってますからね。
隙を見て逃げ出す予定でしたが
恋愛感情に足を掬われたり
妙に情に絆され
コソ泥なのに
お金の援助をしてあげようと
思ったり
 ― 一番不似合いなことをさせるのが
  解離
まるで
解離が
踊っているみたいです。
場当たり的につく
テンポの良い
つじつま合わせの嘘は
手拍子かな。
 ―自家発電?

橋下市長が謝罪 〜PTSD解離性隠蔽組織体質に『家政婦のミタ』

昨年2月の
全職員への
政治・組合活動への調査について
府から
違法性を指摘され
謝罪したそうです。
内部の腐敗隠蔽体質の
治療に必要だったと思いますが
 ―効果は
 学校での
 いじめ自殺隠蔽体質にも
 波及したはずです。
緊急大手術が終わったあとは
 ―法律家だから
 毒をうまく
 使いこなせたのでしょう。
通常に戻さねば
ならないでしょう。
$翠雨PTSD研究所
この番組が流行している時に
「業務命令」で
踏み込まれると
キツかったのでしょうね。

PTSD克服過程としての『オズの魔法使い』

アメリカ
カンザス州に暮らす
少女ドロシーは
竜巻に
家ごと巻き込まれて
 ―PTSD発症は
 ある日突然
 竜巻に襲われるようなものです。
飼い犬のトトと共に
不思議な
「オズの国」へと
飛ばされてしまいます。
 ―離人症なんかがそうですが
 (日常である)周囲が
 異質な世界に変貌します。
故郷に戻る途中で
 ―帰りたいですよね。
脳の無いカカシや
 ―危険を回避できず
 直ぐに道の穴ぼこにはまる
 解離人格のタイプがあります。
 精神科受診したりとか。
心の無いブリキの木こり
 ―小さないきものを踏まないように
 常に足元を注意する様子は
 機能不全家族出身の
 子育て不安のお母さんみたいです。
 何をどう気をつけてよいのか
 わからないのは
 ツライことです。
臆病なライオンと出会い
 ―基本的安全感がないから
 臆病になりますね。
 それを否認して
 トラになる場合もあるけど叫び
 ちょっと歯向かわれると
 蛸壺に逃げ帰ります。
それぞれの願いを
叶えてもらうため
「エメラルドの都」にいるという
大魔法使いの「オズ」に
会いに行きます。
 ―真の自己(セルフ)に出会い
 人格統合する過程の
 比喩でしょう。
ユングによれば
人間は
心理的には
両性具有であり
こころの中は
多重人格です。
仏教も同じです。
 ―アイデンティティというものを
 でっちあげるのが
 西洋流

村上春樹の新しい小説とPTSDの接点

4月12日発売だから
もちろん読んでないです。
 ―読む予定もないですが。
主人公は
多崎つくる
これは
このブログの読者なら
 ―ちひろさんでは無理かな。
 
説明が要らないかもしれない
面白い名前ですね。
解離して
あちこちに触覚を延ばす
軟体動物みたいな
イメージです。
彼は
「色彩をもたない」そうです。
 ―カオナシみたいでもある?
どういう次元での話かは
知りませんが
ストラテラを飲んで
平板化したような
感情でしょうか。
離人的です。
 ―内部では
 実感がなくて苦しいんですよね。
しかし
「彼の巡礼の年」が
テーマのようですから
ジェットコースターに乗ったような
たましいを忘れた時代から
 ―彼の小説はこう比喩されるそうです。
こころのふるさとに
戻るのかな?
どちらにしても
解離が入口です。
 ―解離にも
 陰陽あり
 昇華や治癒の際にも
 解離があるから
 修行では感情のコントロールをする。
創造的退行で
再生するしかない国ですから
 ―精神分析
流行作家が
そういうのを
先取りして
提供している可能性は
大ですね。
PTSD否認の
お祭り騒ぎはもうたくさん!
今年が
「色彩を持たない田崎つくると、
彼の巡礼の年」に
なりますようにキラキラ

朝日新聞『聖痕』234 PTSD被害者と加害者の和解

加害者は
犯行の後
我に帰り
自責の念に駆られ
自首こそできなかったものの
自分も家庭を持たず
宗教家のように
心を清らかに律して
生きてきたようです。
成人した
被害者を前に
心から
涙ながらに詫びます。
PTSD予防から
個性化の過程を
順調に歩んでいる
被害者は
それを赦しました。
現実にはなかなか起こり難い
奇跡とも
言えますが
被害者が
癒され
個性化していたら
こうなると思います。
被害直後には
考えられないことだし
無理に赦せるものでも
ないと思います。

朝日新聞『聖痕』233話 PTSD予防中に加害者と対話

幼稚園に通う
子どもの頃に
性器を切り取られたのですが
社会人になって
その加害者と
出会いました。
普通は
すれ違ってしまうように
思いますが
どちらも
相手をしっかり認識できています。
無意識の記憶は
大したものですね。
加害者は
被害者の美しさに
魅入られて起こした
犯行なので

記憶がより鮮明だったようです。
金閣寺を放火した
修行僧と同じ
心理です。
倒錯ですね。
苦しみに圧倒されると
解離して
とんでもないことを
してしまうようです。
詫びて済むことではないと
知りながらも
罪に怯えながら
謝罪します。
何げに
阿闍世コンプレックス的な
展開だから
 ―作者は
 精神分析を紐解いている。
主人公は
赦すのではないかなと
思います。
対決したことで
PTSD予防も終焉に向かうのでしょう。

『とんび』絵を描くことで動き出すPTSD

保育士は
型通り
「家族の絵を描いてみましょう」と
言うのですが
母親がいない子は
複雑な思いを感じます。
 ―昔の先生は
 配慮してましたがね。
でも
子どもなりに
現実に適応しようと
健気に考えるもので
写真を手に入れて
みんなと一緒に
描こうとしました。
ところが
それはフツーの子どもたちからすれば
!?
写真を取り上げ
みんなで回し見ながら
考えます。
 ―不安にかられてますから
 滅茶苦茶の
 大騒ぎになってしまいますが…。
取り上げられた子は
不安から
男の子とけんかしてしまいます。
こういう背景で
向精神薬飲ませられる子も
多いのでしょうね。
絵は現実と結びついてますから
PTSD児にとっては
鬼門です。
 ―変化宮
それを有効利用するのが
心理療法です。