何年前だったでしょうか。
朝日新聞の連載
夢中で読みました。
面白さは
解離にあったのですね。
冬ソナにしても
主人公の記憶喪失から
始まる物語が
やたら多いと思ったら
作家たちは
流行の先読みを
してたのでしょうか。
この主人公や古事記のスサノヲたちと
現実の事件の犯人になってしまう人たちの
違いはなんなのか
今一番の関心は
そこにあります。
ゆっくり考えたいと
思います。
解離の陰陽です。
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何年前だったでしょうか。
朝日新聞の連載
夢中で読みました。
面白さは
解離にあったのですね。
冬ソナにしても
主人公の記憶喪失から
始まる物語が
やたら多いと思ったら
作家たちは
流行の先読みを
してたのでしょうか。
この主人公や古事記のスサノヲたちと
現実の事件の犯人になってしまう人たちの
違いはなんなのか
今一番の関心は
そこにあります。
ゆっくり考えたいと
思います。
解離の陰陽です。
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柊あおいさんが
1989年にりぼん
で連載した原作と
かけ離れているという
指摘をされながらも
これはこれで好きって
いう方が多いですネ。
時代に応じて
わかりやすくリメイクすることも
必要なのでしょうか。
無心に耳をすます
っていうことが
忘れられてますね。
―そういう世界への
【否認】を勧められてます。
「そんな暇あったら~しなさい!」って
図書室には行くけど
それが最終目的じゃなくて
そこで
天沢聖司なんて
電気代得子さんみたいな
ネーミングの人物の存在を知り
空飛ぶような
感覚で
癒しの世界に入っていく…
そんな原理が
象徴的に
示されているように
思います。
PTSDって
釈迦リキに頭でっかちに
解こうとしても
解けませんからね。
なんせ平成の公案ですから…
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柊あおいさんが
1989年にりぼん
で連載した原作と
かけ離れているという
指摘をされながらも
これはこれで好きって
いう方が多いですネ。
時代に応じて
わかりやすくリメイクすることも
必要なのでしょうか。
無心に耳をすます
っていうことが
忘れられてますね。
―そういう世界への
【否認】を勧められてます。
「そんな暇あったら~しなさい!」って
図書室には行くけど
それが最終目的じゃなくて
そこで
天沢聖司なんて
電気代得子さんみたいな
ネーミングの人物の存在を知り
空飛ぶような
感覚で
癒しの世界に入っていく…
そんな原理が
象徴的に
示されているように
思います。
PTSDって
釈迦リキに頭でっかちに
解こうとしても
解けませんからね。
なんせ平成の公案ですから…
これは
唐代の僧・玄奘三蔵ですが
―インドから
お経を持ち帰る旅が過酷で
たくさんの幻を観た人ですネ。
孫悟空のお話のことですが…
一般には
仏教の
経蔵・律蔵・論蔵の三蔵に
精通した僧侶(法師)のことを
言います。
経は教え
律は守るべきこと
論は解釈
臨床心理学の源は
宗教哲学
教科書にもそう明記してあります。
過去の文献を大事にしてるかな?
クライエントを大事にしてるかな?
ちゃんと解釈大事にしてるかな?
幻を見るくらい
命かけて研究しなきゃね!
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三億円事件をもとにした作品です。
―東京都府中市で
1968年12月10日に
発生した窃盗事件 ←強盗ではないのです。
「こころの傷に
時効はないのだろうか。
永遠に続くものなど
ありはしないのに…」という
ヒロインのナレーションから
始まります。
ヒロインは
母親に捨てられ
親戚のうちに
預けられていますが
そこのおばさんは
彼女の母親のことを
ろくでもないやつなどと
言ったりしますから
居場所がなく
繁華街をうろつくようになります。
警察に保護されても
親に連絡しなくていいと言い
涙も見せないので
警官が訝ってました。
そんな若者たちが集まる
溜まり場で
出会った青年と
恋に落ち
大事件を起こすのです。 ←3億円事件
事件後
ヒロインは大学に通いますが
溜まり場にいた
青年たちは
暴行死(学生運動にて)
薬物中毒の果てに死亡
事故死
作家になったもののガンで死亡
…トラウマを抱えたまま
さまよった果てです。
待ち続ける共犯の青年は
いつまでも消息不明
― 作品では
権威をコケにしすぎたので
事件そのものを【否認】するため
逮捕されないものの
海外で軟禁されている設定です。 ←なんだか【象徴】的
モンタージュ写真が
犯人確保の邪魔をしたのでは
ないかとも指摘されていますが
これは
PTSDの記憶のかけらを
まとめあげる難しさを
暗喩しているようにも感じました。
ヒロインは
このことを記憶し
考え続けているし
男性に翻弄されつづけた女性は
別な男性と結婚するも
離婚します。
しかし実家の事業を切り盛りしながら
たくましく生きています。
女性の方が
トラウマに強いかもなぁ…
そんな風に思いました。
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三億円事件をもとにした作品です。
―東京都府中市で
1968年12月10日に
発生した窃盗事件 ←強盗ではないのです。
「こころの傷に
時効はないのだろうか。
永遠に続くものなど
ありはしないのに…」という
ヒロインのナレーションから
始まります。
ヒロインは
母親に捨てられ
親戚のうちに
預けられていますが
そこのおばさんは
彼女の母親のことを
ろくでもないやつなどと
言ったりしますから
居場所がなく
繁華街をうろつくようになります。
警察に保護されても
親に連絡しなくていいと言い
涙も見せないので
警官が訝ってました。
そんな若者たちが集まる
溜まり場で
出会った青年と
恋に落ち
大事件を起こすのです。 ←3億円事件
事件後
ヒロインは大学に通いますが
溜まり場にいた
青年たちは
暴行死(学生運動にて)
薬物中毒の果てに死亡
事故死
作家になったもののガンで死亡
…トラウマを抱えたまま
さまよった果てです。
待ち続ける共犯の青年は
いつまでも消息不明
― 作品では
権威をコケにしすぎたので
事件そのものを【否認】するため
逮捕されないものの
海外で軟禁されている設定です。 ←なんだか【象徴】的
モンタージュ写真が
犯人確保の邪魔をしたのでは
ないかとも指摘されていますが
これは
PTSDの記憶のかけらを
まとめあげる難しさを
暗喩しているようにも感じました。
ヒロインは
このことを記憶し
考え続けているし
男性に翻弄されつづけた女性は
別な男性と結婚するも
離婚します。
しかし実家の事業を切り盛りしながら
たくましく生きています。
女性の方が
トラウマに強いかもなぁ…
そんな風に思いました。
NHKが
(日本国営放送ですね)
毎年違うテーマで
制作・放映している時代劇ドラマシリーズ
ですが…
大きな川の流れに
個人や国の魂の歴史を
映し見るのが
日本人の特徴でしょうね。
川は普遍(変わらない)のようで
実は刻々と内容を変えてますからね。
同じ水はもうはるか昔に
どこかへ行ってるんですからね。
(姿を変えながらまた戻ってきてるかも
しれませんが、全く同じものではないですね)
1963年に第1作が放映開始されました。
第一作とされているのは
『花の生涯』
やはり【華厳経】モチーフ
外せません。
通常のドラマでは
主役級の男優・女優が
共演することが多く
名脇役と呼ばれる俳優も加わるため
普段は見られない顔合わせもよく見られます。
男女という
ごく当たり前の組み合わせですが
その陰陽のバランスで
思いがけない結果が生まれるのを
日本人は好みます。
―某占い師の押し付けるような
古い道徳書は嫌われます。
捉え方はなかなかいいのに
解釈が惜しい…
前半はロケシーンが多く
中盤にクライマックスがあり、
後半は登場人物も徐々に減少し
(役の人物が死ぬため)、
スタジオ撮影のシーンが多くなるのも
特色です。
夢や箱庭、絵画などの創作も
同じです。
だんだん整理
(だからイメージのなかで行う必要があるのです)
されます。
合戦シーンなどではコンピュータグラフィックス
(CG)を用いることも
多くなりましたね。
尊敬するあるお坊さんが
これは道元のいう【空華】だって
感激しておられました。
―私たちはこんな時代に生まれて
幸せですね
また
歴史上ネガティブなイメージを持たれた
人物を主人公に据え
新解釈によってその人物の
人間的側面を掘り下げて
魅力的に描く一方で
現代的感覚を持った人物として
描こうとします。
その際
その人物の暗い側面に関しての描写が
曖昧であったり
歴史学上の定説と離れた演出があると
指摘されたりもしますが
事実を知るというより ←あまりにひどいのは困りますが…
どちらかというと
自分の魂の浄化や見直しの観点で見ているところが
強いので、
こうなっているのではないかと
思います。
ドラマみてお勉強してるんですね
新しい発想って
異端視されますからね。
でも永久の異端児でない人も
いるんですよって
ドラマが励ましてくれてるんですね。
西洋から輸入された心理療法は
この観点を【否認】するので
かぐや姫やポニョの意図を
見失い
DVシェルターで箱庭などするな!なんて
暴言を吐くようになるのです。
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NHKが
(日本国営放送ですね)
毎年違うテーマで
制作・放映している時代劇ドラマシリーズ
ですが…
大きな川の流れに
個人や国の魂の歴史を
映し見るのが
日本人の特徴でしょうね。
川は普遍(変わらない)のようで
実は刻々と内容を変えてますからね。
同じ水はもうはるか昔に
どこかへ行ってるんですからね。
(姿を変えながらまた戻ってきてるかも
しれませんが、全く同じものではないですね)
1963年に第1作が放映開始されました。
第一作とされているのは
『花の生涯』
やはり【華厳経】モチーフ
外せません。
通常のドラマでは
主役級の男優・女優が
共演することが多く
名脇役と呼ばれる俳優も加わるため
普段は見られない顔合わせもよく見られます。
男女という
ごく当たり前の組み合わせですが
その陰陽のバランスで
思いがけない結果が生まれるのを
日本人は好みます。
―某占い師の押し付けるような
古い道徳書は嫌われます。
捉え方はなかなかいいのに
解釈が惜しい…
前半はロケシーンが多く
中盤にクライマックスがあり、
後半は登場人物も徐々に減少し
(役の人物が死ぬため)、
スタジオ撮影のシーンが多くなるのも
特色です。
夢や箱庭、絵画などの創作も
同じです。
だんだん整理
(だからイメージのなかで行う必要があるのです)
されます。
合戦シーンなどではコンピュータグラフィックス
(CG)を用いることも
多くなりましたね。
尊敬するあるお坊さんが
これは道元のいう【空華】だって
感激しておられました。
―私たちはこんな時代に生まれて
幸せですね
また
歴史上ネガティブなイメージを持たれた
人物を主人公に据え
新解釈によってその人物の
人間的側面を掘り下げて
魅力的に描く一方で
現代的感覚を持った人物として
描こうとします。
その際
その人物の暗い側面に関しての描写が
曖昧であったり
歴史学上の定説と離れた演出があると
指摘されたりもしますが
事実を知るというより ←あまりにひどいのは困りますが…
どちらかというと
自分の魂の浄化や見直しの観点で見ているところが
強いので、
こうなっているのではないかと
思います。
ドラマみてお勉強してるんですね
新しい発想って
異端視されますからね。
でも永久の異端児でない人も
いるんですよって
ドラマが励ましてくれてるんですね。
西洋から輸入された心理療法は
この観点を【否認】するので
かぐや姫やポニョの意図を
見失い
DVシェルターで箱庭などするな!なんて
暴言を吐くようになるのです。