対向車の
ワンボックスカーから
4~5人の男が
「おまえら
誰の許可をもらって
ここを走ってんだ。
殺すぞ」
「ぶっ殺してやる」などと
降りてきたので
山路さんは
すぐに車のカギをロックし
無事でしたが
―車はボコボコ
山路さんを助けようとした
同行者が
犯人グループに暴行を受けました。
海外での戦場取材などの
経験も豊富な
山路さんも
「今回は日本で
こういうことになって…」と
驚き
「理由がないのが怖い」と
話しています。
昔は
戦争に行ったわけでもないのに
PTSDなんて
大げさなとか言われてましたが
PTSDというのが
思いのほか
多発していることが
理解できるのではないでしょうか。
―山路さんは大丈夫かも
死ぬかと思うような体験や
サバイバーズギルトは
何処の国で経験しても
PTSDの素なのです。
かぐや姫も
サバイバーズギルトに
苦悩しました。
「ジブリ『かぐや姫の物語』」カテゴリーアーカイブ
『かぐや姫の物語』PTSDは記憶障害
「禁を破って
帰還女性の記憶を呼び覚ましたことが
発覚し
姫は
地上の思い出によって
女を苦しめた罪を問われる」
高畑監督の
企画書に書かれています。
PTSDの女性にとっては
トラウマチックエピソードは
思い出すと苦しいもので
自我から
地球と月くらい離しておかないと
危険なものです。
―すべてはたとえ話
仏教説話ですから。
だから
心療内科では
「過去を忘れて前向きに」とか
言うわけですが
それでは
女性は
「なんでだろ…。
落ち込むのに
この歌を
歌わされてしまう…」という
苦しみから
いつまでも逃れられないのです。
「どうしたのかな」と
寄り添うやさしさは
本当はタブーではなく
必要なことです。
集合的無意識にある
常識にある間違いを見破り
越えてゆくことが
PTSD克服と個性化に
不可欠です。
『かぐや姫の物語』「今は昔」PTSD物語『明日ママ』の普遍性
『かぐや姫の物語』も『崖の上のポニョ』PTSD克服のための公案
『かぐや姫の物語』PTSD克服法『正法眼蔵』「坐禅箴」より
月に還るときに
地球を振り向きますが
正法眼蔵の
「坐禅箴」を意識してますね。
「回頭換面」という言葉が出てきます。
―悟るとはどういうことかという
説明にある。
サバイバーズギルトに悩んだりしますが
「殺人・未殺人をも参学すべし」に
あたると思います。
―仏教の「殺」は超えるという意味ですが。
父母に遭う前の世界があるのは
「父母未生前の節目なり」ですね。
―竹の節だし。
「尽界山河を拈来し
尽力して知するなり。
山河の親切にわが知なくば
一知半解あるべからず」
ムツカシイ表現のようですが
これ見れば
分かる様な気がしませんか?
仏性は自然のなかに宿っているから
そのなかで
力を尽くして
悟るのです。
―『風立ちぬ』にも
あったような。
十牛図でも
7図が最後の関門で
8・9・10図が同時に
展開しますが
8図は月のような真ん丸
9図は自然
10図が新しい人間関係で
ぴったり当てはまります。
やはり
仏性について
表現しているようです。
心理療法では
自己実現とか
個性化になります。
『かぐや姫の物語』人牛俱忘でPTSD治療完了
お迎えが来て
還ってゆくのですが
人も牛も忘れた
(自我もセルフの象徴も)
状態です。
牛は
自己を追いかける方便ですから
(イメージ)
用がなくなれば
消えます。
―『明日ママ』だと
ポストやパチのトラウマが消えたら
あだ名は
ただの言葉になる。
新しい場所で
違う役割を生きるためです。
―生まれ変わる様なもの
翁や相模
貴公子たちとの闘いは
牛との格闘みたいなものでしょう。
ラストはこの絵ですが
―まだ下巻がないので
満月で象徴されています。
仏教思想と
―輪廻転生
陰陽五行説が
一緒になった
いつもの表現です。
向うで一から始めます。
そういえば
女童が
『また初めからだねぇ』と言ってるかのように
あくびしていました。
―発見されたとき姫は
あくびをしていた。
『明日ママ』批判の最中にも乳児遺棄のPTSD解離母(22)逮捕
『かぐや姫の物語』PTSD克服過程の自我と自己
かぐや姫が月に還るのを
邪魔しようとする
翁を
月の王が諭します。
―天人は集合的無意識にいる祖先たち
月の王は真の自己
―如来だから
(来るが如し)
本当は深層心理にいる。
ただの樵が
―貧しい凡夫が
金剛経のほんのワンフレーズを聞いて
発心し
―真理の存在を信じ
親元を辞して
修業し
―字も読めないし
田舎者扱いされながら
怒ったりせず
六祖慧能になったように
覚った人間は
みんな出家してきたのです。
―ポニョも出家
行いがよかったから
かぐや姫を預け
豊かにしてあげたのに
邪魔するとは何事かということでしょう。
仏法では
ダイバダッタよりも
―裏切り者の象徴
さらに悪者であると
言われたりします。
現実の親も
良かれと思って
足を引っ張り
子どもをこころの病にしたり
しますね。
福知山爆発事故で中1男子がPTSD予防中
昨年8月に
3人死亡
55人負傷した
大惨事ですが
中1の男の子は
全身の30%に重いやけどを負い
10日間集中治療室にいたそうで
父親は死を覚悟したほどだったそうです。
「発電機のブーンという音は
覚えているが
事故直後の
記憶はほとんどない」
傷口は見たくないし
憧れの高校野球も
「どこか別の世界のことのように
思えた」から
天井ばかり見ていたそうです。
傷口も痛みが激しいので
「こんな身体要らない」
「死んだ方がましだ」
「普通に花火を見に行っただけなのに
なんでこうなったんやろ」
悲劇に遭うと
誰もが哲学的な思考に陥り
答えを見つける旅に出ます。
誰も悪くない(汚れていない)と
思える次元になるには
―凡夫の世界には
トラウマの種がいろいろある。
気の遠くなるような
時間と
現象からの距離が
必要なのでしょう。