
茗荷を発見してから
―悟りにまつわる象徴的なもの

会いたかった人に会い
仲良く空を浮遊してるようですが…

なんと
捨丸の夢でした。

―かぐや姫が乗っていそうな
牛車が帰ってゆくのを捨丸は見る。
かぐや姫も
怒りから
解離性遁走したと思ったら


夢でしたね。
箱庭や
夢や会話の中で
遁走することが
治療的には大事だと
思います。
現実にやると
犯罪になったりしますから
大違いです。
『正法眼蔵』にも
「夢中説夢」というのが
あります。
会うべき人と
深い対話ができますからね。
深い自己治癒力ですが
素直さが
パスポートになると思います。
「ジブリ『かぐや姫の物語』」カテゴリーアーカイブ
『かぐや姫の物語』月見と花見のPTSD予防原理
ジブリの拡充法によるPTSDと個性化の『かぐや姫の物語』

昨日下巻が手に入りました。

メインのシーンは

十牛図の第7図だと
気付いたら
―崖の上でもあるから
ポニョのあの公案です。
ユング派が言うような
わがまま論とか
―ドタバタ求婚者から見た場合で
月の世界から見たらまた別
永遠の少女じゃなくて
―永遠の少年はピーターパン
個性化の過程
(自己実現)モデルだと
―宗教なら悟り
わかりました。
ユング派が
表面的にしかとらえないから
ジブリがしびれをきらして
拡充法を取り入れたのだと思います。
―宗教や哲学で深い意味を探る
ユング派的方法
ジブリは
現代は不安と神経症の時代ととらえて
―PTSD
子どもたちにエールを送っていますが
―ポニョのパンフレットに書いてある。
ユング派は

象徴がつかえてない
発達障害が増えていると言います。
根本的に
象徴論が間違ってるのが
バレちゃいましたね。
そう言えば
「発達障害の「主体性の欠如」についても
ラカン派からみたら
おかしいと指摘が出ています。
昨年一緒にシンポジウムに出た
若い研究者がそう発表してました。
本邦ユング派は
もうボロボロですよ。
『明日ママ』パチも『かぐや姫の物語』でPTSD予防中
学内で准教授(39)を襲撃したPTSD解離大学生(21)殺人未遂で逮捕
『かぐや姫の物語』Wikipediaでも「3」の強調と「ダジャレ」の翠雨風PTSD原理
ウィキペディアでも
竹取物語には
―かぐや姫のこころの成長を描いているのだから
自己実現の物語
やたらと「3」という数字が出て来ることや
「ダジャレのオンパレード」であることが
明記されています。
西洋の物語じゃないから
【一太極二陰陽】の「3」が
突破口なのです。
― 二元論では堂々巡り

『三つ目がとおる』
特に
5人の貴公子の
ハチャメチャは
パロディであり
―鳥獣戯画のような
(このブログの壁紙)
華厳風の風刺

現代でも
エリートのやることは


どこかおかしいのです。
愚説がバレても
―アスペルガーも
ADHDも架空の病の代表だった。
大人の発達障害にまで
押し通そうとするとは
「恥を捨てる」気かな。
―石作皇子は
ニセモノの鉢を持ってきたという
嘘がばれたが
その鉢を捨てて
また言い寄ったことから
面目ないことを
「はぢを捨てる」
(恥を捨てる)と言うようになった。
『日本でPTSD解離暴行とは怖い』と山路徹氏(52)の驚愕
対向車の
ワンボックスカーから
4~5人の男が
「おまえら
誰の許可をもらって
ここを走ってんだ。
殺すぞ」
「ぶっ殺してやる」などと
降りてきたので
山路さんは
すぐに車のカギをロックし
無事でしたが
―車はボコボコ
山路さんを助けようとした
同行者が
犯人グループに暴行を受けました。
海外での戦場取材などの
経験も豊富な
山路さんも
「今回は日本で
こういうことになって…」と
驚き
「理由がないのが怖い」と
話しています。
昔は
戦争に行ったわけでもないのに
PTSDなんて
大げさなとか言われてましたが
PTSDというのが
思いのほか
多発していることが
理解できるのではないでしょうか。
―山路さんは大丈夫かも
死ぬかと思うような体験や
サバイバーズギルトは
何処の国で経験しても
PTSDの素なのです。

かぐや姫も
サバイバーズギルトに
苦悩しました。
『かぐや姫の物語』PTSDは記憶障害
「禁を破って
帰還女性の記憶を呼び覚ましたことが
発覚し
姫は
地上の思い出によって
女を苦しめた罪を問われる」
高畑監督の
企画書に書かれています。
PTSDの女性にとっては
トラウマチックエピソードは
思い出すと苦しいもので
自我から
地球と月くらい離しておかないと
危険なものです。
―すべてはたとえ話
仏教説話ですから。
だから
心療内科では
「過去を忘れて前向きに」とか
言うわけですが
それでは
女性は
「なんでだろ…。
落ち込むのに
この歌を
歌わされてしまう…」という
苦しみから
いつまでも逃れられないのです。
「どうしたのかな」と
寄り添うやさしさは
本当はタブーではなく
必要なことです。
集合的無意識にある
常識にある間違いを見破り
越えてゆくことが
PTSD克服と個性化に
不可欠です。












