きたやまおさむの
【夕鶴症候群】
とてもわかり易い。
DVや虐待でも
被害者は身を削って
その場を守ろうとする。
職場でパニック障害起こす人も
同じです。
いじめと否認の構造が黙認され
一人で仕事を
抱え込まされていました。
…
でも
そもそも鶴というのは
雄が一声鳴くと
必ず
雌が二声鳴いて答えるらしいです。
―朝日新聞の同じ記事に
そう書いてあります
一生添い遂げる習性で
どちらかが
怪我をしたり
死んだりすると
悲しげに
振り絞るように鳴き ←PTSD予防
死体が氷の下になっても
姿が見えなくなるまで
鳴き続ける
タンチョウなんかは
アイヌ語で
湿原の神さま
(サルルンカムイ)と呼ばれているそうです。
太極
陰陽の法則そのものの
去る神さま
【象徴】です。
傷ついた鶴を助けると
夫婦の家が豊かになるお話ですね。
(『鶴女房』はこれをもとにした
変形です)
しかし
そこに胡坐をかくと
逃げてってしまいます。
―よい夫婦と悪い夫婦
(陰陽)にも変形できる
元型です。
鶴は太極
(混沌)の象徴でしょう。
トラウマを癒せば
傷つく前より
豊かになる。
でもそこで慢心すると
たちまちもとの木阿弥…
トラウマと向き合う過程は
長く厳しいですよね。
ハッピーエンドではなく
ネバーエンディングストーリーが
東洋思想的なリセットの法則ですからね。
そこで
アリエッティですが

アリエッティにお母さんが
縫い物指導してます。
何に使うの?と訊くアリエッティに
お母さんは
答えず
悲しそうな顔をします。
人間に姿を見られて
去るときが来たのを直観したからです。
こんなモチーフも
含まれていると思います。
朝日新聞さん
気づかせてくれて
ありがとう
「ジブリ『借りぐらしのアリエッティ』」カテゴリーアーカイブ
『借りぐらしのアリエッティ』ときたやまおさむ【夕鶴症候群】
朝日新聞が
夕刊で
おとぎばなしの特集も
始めました。
―神話やおとぎ話は
【象徴】の心理学なんです。
無意識の法則で読みます。
比喩とかたとえ話です。
仏教なんかそういう話ばかりです
第一回は
『鶴の恩返し』
サブタイトルは
「去るのは当然ですか?」

きたやまおさむの
―
『帰ってきたヨッパライ』
『戦争を知らない子供たち』
PTSD流行の時代に
タイムリーですね
【夕鶴症候群】が紹介されています。
―別名
【自虐的世話役】
居場所を失くす不安感から
職場で自腹を切って ←サムライですね
営業成績を伸ばす
OLやサラリーマン
弱さや醜さを出すと
追放されると
こころの「台本」に
埋め込まれているので ←集合的無意識
日本人は繰り返し
おつうを演じてきた。 ←再演ですね
こういうクライエントを
たくさん診たし
自殺者の多さにも
影響している。
こういう風に読むのが
精神分析です。
―病理として観る。
私はユング風に読んでみたいですね。
―自己治癒力のメカニズムとして読む。
ではまた次の記事で
『借りぐらしのアリエッティ』ユング心理学否定の否定
PTSDの薬害は
実は
哲学の問題なんです。

一般には
外科医は切って貼ってと
ヤクザみたいなイメージで
精神科医は優しく
思いやりあふれるイメージが
あるようですが
さきほどの記事のように
本来の外科には
哲学があります。
―たましいにやさしくあろうと
しています。
日本の精神科は
哲学なき外科学の
最先端です。 ←トップランナー
―ロボトミーや
懲罰的閉鎖病棟の反省は消え
外来で
増幅されて繰り返されています。
この波は
放置するとおそろしい
新たな結果を生むだけです。
ユングは
心理療法の理想を
哲学的忍耐力におき
【象徴】理論を遺してくれました。
―象徴は
たましいの自然治癒力です。
それをそっくりそのまま
否定するのが
日本のユング派です。
ジブリは
アリエッティを描かずにおれなかったのです
『借りぐらしのアリエッティ』父母の名も陰陽五行説
お父さんはポッド
お母さんはホミリー
やはり【ポ】とか【ホ】なんです。
『古事記』の
スサノヲの父母は
イザナキと
イザナミですね。
則夫くんと
則子さんみたいで
不思議でしょ。
波と凪は
陰陽ですね。

アイヌ語で
ポ=子どもでしたね。
かつて子どもだった ←英語の ―ed
お父さんと
―借りで失敗したとき
自分も昔そういう
勘違いをたくさんしながら
ここまできたというような視点で
見守ってた。
子どもを見る
お母さんかな?とか
―アリエッティを育てながら
(創造的退行)
自分も
本物の海を見たいと
(グラン・マンマーレに近づく)
あこがれている。
アマテラスの鏡も
(本当の自分を観る)
ありますしね。
いろいろ連想しているところです
ポニョとかアリエッティはアイヌ語も入ってるかな?
崖の上のポニョと聞いて
如人千尺懸崖上樹とは
すぐわかったけど
未だに
よくわからないのは
【ポ】
じゃんけんポンかな?
とか思ってましたが
アイヌ語では
ポは子どもだそうです。
そして
エッは「ハイ」
アリエッティはやはり
なんか
肯定的な意味を持たせた名前ですね。
―ユング派が
その命綱である
【象徴】がないとか言いだすから…
「確かにアルゾ!」と
必死で訴えているような。
―志田未来さんの
あの切実な声が
ぴったりだと思うのです。
あの方以外に
適役がちょっと浮かばないくらい。

昨日に続き
今日また
新しいバージョン出てました。

ホントの【ホ】
ぽんと出るの【ポ】
でもありますね。
【象徴】はおなかで
増えます。
腸内環境が大事です。
『借りぐらしのアリエッティ』百尺竿頭は一太極二陰陽
『借りぐらしのアリエッティ』 百尺竿頭一歩進めよ

これが
【百尺竿頭】の
象徴的表現であることは
昨日書きました。

最初の狩りならぬ【借り】では
このように表現されてました。
驚きと怖さが
何気に強調されてましたが
【象徴の上に】
普通に立ててます。
―協力しながら
こころの作業をしてきたので
こころがすくっと
成長したのです。
そして
対話が終わると

ふいっと
降りてゆきました。
翔の前からは消えて
別天地に向かうのです。
ポニョは
「ヒットしても家出します!」と
宣言してましたが
アリエッティも
別世界へ行きます。
かぐや姫も月へ行きますね。
西洋のハッピーエンドはなく
ネバーエンディングストーリー
【仏向上】なのです。
―常にセルフを超えていく。
こうやって
常に個性を輝かせながら
生きていく過程が
【個性化の過程】
【自己実現】なのです。
心理療法で
根本的に
勘違いされているところです。
『借りぐらしのアリエッティ』百尺竿頭とポニョ
ポニョからアリエッティへ無意識のなかの異熟過程VTR
『崖の上のポニョ』の
モチーフ
【如人千尺懸崖上樹】
ポニョ 崖の上の
これが
アリエッティにつながっているということは
既に書いて来ましたが
創作過程の
初期に描かれたのは
「まるで宗介とポニョみたいですね」
初期のお父さんは
「ドイツ人みたい」と
おっしゃってます。
―哲人みたいとおっしゃってる絵は
私にはユングに見えます。
やはり
★ドイツ精神医学
★ユング心理学の限界
それが
★箱庭療法に
如実に出ていることを
警告しているのですよ。
そう言えば
私も
学会発表後
その反省の上に
次の発表が
一年かけて時熟してゆきます。
―なかなか伝わらなかったことが
だんだん伝わるようになります
毎年バラバラではないのです。 ←【解離】
創作はそういうものだろうなぁと
気づきました
あと忍者ね

こういうのとの
闘いです。
『借りぐらしのアリエッティ』のスサノヲイメージ
閉じ込められたお母さんを
助けるのですが
アリエッティは
翔に助けを求めます。
―人間に【自己治癒力】が
あるからと言って
本人が協力しなければ
その力は
発動しません
翔君も
★(表向きはお手伝いさんで
味方であるはずの)敵に
気づき
―PTSDの
集合的無意識のなかにある
搾取の構造
これまでのように
★おとなしく
★ストレートに行動するのではなく
★いろいろ考えだします。

おなかがすいたと言って
注意を逸らさせ
アリエッティを忍び込ませて
お母さんを探させます。

アリエッティは
最初の
狩りならぬ【借り】で獲得した
マチ針の剣で
お母さんを救いました。
…
誰もが恐れて
人身御供をささげる村で ←うつ病自殺
おそろしいヤマタノヲロチを
お酒に酔わせて
退治した
スサノヲが手にした
草薙の太刀を想いました。
―酔っ払って
開き直って
逮捕されたのは誰?
クシナダ姫を櫛に変えて ←小さいもの
身に着けたのですね。
アリエッティの
洗濯バサミの髪留めも
異熟しています。





