今夜9時放送だそうです。
障害者だけが集まる
架空のラウンジがあり
 ―実際に障害がある人たちが演じるから
  まさに架空
  現実と非現実に架かるのを
  架空と言う。
自称統合失調症の
 ― 診断もあるけど
ハウス加賀谷さんが
ラウンジの人々に
 ―脳性麻痺の女性とか
  盲ろうの男性とか
悩みを相談します。
悩みとは
「障害がなくなるが
記憶を失うという
果実を手渡されたが
食べるべきかどうか」
それぞれの立場から
いろいろな意見が出て
フツーとは何かということを
浮き彫りにさせるのが
目的のようです。
障害にも先天的なものと
PTSDによる心身症という
後天的なものがあります。
 ―難聴とヒステリーが微妙な関係にあるのを
  佐村河内さんは教えてくれた。
PTSDの原因は
トラウマ記憶にありますが
それを消してしまうと
問題がさらにこじれてしまい
さらに苦しむことになるのは
経験者なら
みな知っていることです。
果実を食べた人にも
参加させなければ
 ―さらには
 苦難のなかにあり後悔している人と
 (後悔する能力すら奪われている場合も)
 そこから正しい治療を受け
 治癒した人に分かれる。
 食べる前に戻り
 食べるかどうかが本質的な問題ではないと
 知った人もいるかな。
物語は完結しません。
ジブリを観れば


 ―『思い出のマーニー』

 ―『コクリコ坂から』
幻覚は
ユング流に言えば
ヴィジョンであり
自己治癒力が作動し始めている
サインなんですけどね。
 ―もちろんこれも入り口であり
  どう付き合うかが大問題
「ジブリ『思い出のマーニー』」カテゴリーアーカイブ
『鉄道員(ぽっぽや)』も『思い出のマーニー』PTSD予防物語
『千と千尋の神隠し』無気力(PTSD性アパシー)が癒えるとき
『思い出のマーニー』内観療法的なPTSD治癒の構造


『おむすびころりん』の
モチーフのように見えますが
 ―断食療法
杏奈の場合は
温かく
優しい
おじさんとおばさんの家で
ていねいにつくられた
御馳走を食べながら
 ―現代っ子の
  殆どにはこれがない。
内面を見つめるなかで


人の縁のなかに
自分も活かされていることを
教えられ
元気を取り戻してゆきます。
これは
吉本伊信の考案した
「内観療法」と似ていると
思いました。
吉本伊信も
断食の効果に驚愕しましたが
それを万人向けにできないかと
考え
 ―断食なんて誰もしないでしょ。
宿泊施設と
手作りの料理を提供しながら
数日間
ひたすら
過去を思い出させる
スタイルを編み出しました。
私は

絵を描いてもいいのではないかと
思います。
『おむすびころりん』でPTSD治癒の入江にたどり着く『思い出のマーニー』
対人関係が下手で
逃げるように
その場を離れようとしたら

階段から転げ落ち


問題の
湿っ地屋敷にたどり着きます。

デジャヴューですね。
 ―しかし
  完璧なデジャヴューではなかった。
  色即是空 空即是色
御伽草子の
『おむすびころりん』のモチーフが
見られます。
沖縄でも
子どもが転倒して
泣いて帰ってきたら
そこにマブイ(魂)が落ちているからと
子どもにその場に案内させます。
驚愕して
意識がぼんやりしたときは
幻覚を見たり
普通ではないことを考えたりしやすいので
個性化のチャンスです。
 ―御国(セルフ)が近い。
  
  聖書の言葉です。


こういうのも
一緒の話です。
両親とこころが離れ
守りがない状態で
魔境に出会い
成長したのでしたね。
『思い出のマーニー』PTSD性幻覚が消える時
『思い出のマーニー』真珠色の空が映し出すPTSD治癒過程におけるこころ
『思い出のマーニー』と沖縄ユタのPTSD治癒後の個性化の過程

杏奈が
妄想に憑りつかれ
行動する様子は
沖縄のユタの発症の時そっくりです。
急に神がかり
御嶽等
 ―お墓のようなもの
巡礼し出すそうです。
沖縄では
精神科に連れて行かず
ユタのところに連れて行き
 ―元祖心理療法家
ユタが
受苦を傾聴する中で
その人もユタになってゆきます。
 ―筋目正しと呼ぶ。
  あるべきようになっていく。

PTSDを癒す『思い出のマーニー』集合的無意識にあるトラウマ記憶
ピンクの服着てニコニコとオーロラ見ながらPTSD解離自殺の心療内科医(45)
カナダで
行方不明の邦人女性は
自殺と断定されましたが
自殺する人が
「土産物買うか?」
「ピンクの服着るか?」
「防犯カメラの映像は
いつもニコニコじゃないか」
「無職でもなし」とのことで
ちゃんと捜索してほしいと
考える人が多いようです。
 ―御嶽山の場合との比較もある。
しかし
そもそもは
熊本の実家からの逃避みたいですから
 ―数年
 音信不通で
 関東を転々と放浪
 大人の生田美玲さん
何らかの
トラウマがあり
心療内科医になったものの
 ―トラウマをそのままにして
  治療者になってはいけない。
治療とは真逆の
薬漬けの毎日で
 ―良心の呵責
苦しくなって
解離したと考えるのが
自然ではないでしょうか。
フクシマも近いですしね。
あとは
カナダまで行こうが
シーズンオフであろうが関係ないし
 ―ネット検索すればわかること
事故であろうが
動物に襲われたのであろうが
事件であろうが
 ―無防備さによる不注意
自殺行為であることに
変わりはないと思います。

オーロラは観えたのだと
思いますよ。

ご自分のマーニーに
会えたらよかったのですが。












