被るというより
カブレる感じですね。
流行しているものに
迎合します。
基本がブレてますね。
大げさな漫画だと
思うでしょ?
ユング派のセンセイがね。
発達障害と統合失調症の
見分けがつかない症例が
出てるって
ワークショップ開いたりする
時代ですよ。
【象徴】って
基本を否定するから
カテゴリー・エラー
し放題です。
それが
新しい論点になるんだから
一体誰のための
臨床心理学ですかね。
無意識的に
心的感染してしまう
権威に弱い
PTSD患者さんたちも
さすがに
もうついてゆかん!と ←ピザやめとこ。
(ついてゆけん)
なってないかな
「ののちゃん」カテゴリーアーカイブ
PTSDの認知のゆがみと絶望は【平常底】の【百尺竿頭一歩進めよ】
PTSDの人
怠けてるわけじゃないです。
―雅子さまも努力家です。
しかし
精一杯がんばって
一息つこうとしたら
天地が逆さまになったような
状況に見舞われるのです。
これが
重傷だと一日に何度も
宇宙飛行士じゃないんだから
誰だって
酔っ払って
ふらふらになりますよ。
認知のゆがみの正体です。
★薬害でさらに強化
―この薬は飲んではいけない。 ←陰
★てんかん児はこれが日常
―この薬は飲まなきゃいけない。 ←陽
竿の上に立ってる!
『借りぐらしのアリエッティ』の
【百尺竿頭一歩進めよ】なんて
―【如人千尺懸崖上樹】 ←崖の上のポニョ
はるか先にある目標みたいですが
日常に物干し竿があります。
【平常底】ですね。
日常を工夫することが
大事です。
生活が大事なんです。
なんせ生活ですから!
『コクリコ坂から』
PTSD解離人格は感がよいのか悪いのか
ある程度のカンは
働くのですが
残念なんですよね。
―この人に
残念はないですが
少しは念が残れば
反省材料になるのですがね。
結果的に
大騒ぎしているだけになります。
自分の無意識との対話と
考えてもいいですね。
ランドセルしょってた頃の
記憶から
時々メッセージが届いてたりするのですが
迷惑メールとして
処理されていたりします。
ユング派のセンセイに見せても
象徴が使えてないから ←自己治癒力がない
落書きだと
―箱庭ならガラクタ
こういうのは
発達障害の診断基準になると
― 一方で
臨床心理学には
診断名は要らないとか
言いながら
言われた子は
薬漬けにされるかもしれないのにね。
その子の子どもは
生まれながらに
(淘汰される場合も多いですね)
薬漬けですよ。
親も専門家も
子どもに
もっと関心を持たねばなりません。
―ゆがんだ関心じゃなくてね。
ののちゃんと『崖の上のポニョ』の違い
PTSD解離人格の石頭
自分が主役と勘違い暴走型のPTSD流行中
シンデレラがいない劇や
みんながシンデレラの劇も
変ですから
―みんなで手をつないで
ゴールする運動会とかも
ありましたね。
昔は
「シゾの平等意識」とか
呼んでました。
シゾイド(分裂気質)ですね。
親の反応を見ながら
―DSMと同じで ←ゲイ団体に押された過去
モンスターなど圧力に弱い
善処しつつ
変わっていくものが
あります。
これはこれで
問題を生んでますよね。
いつでもどこでも
自分が主役と勘違い
禅の言葉に
【主人公】と言うのがあります。
―みんなが
自分の人生の主人公です。
集合的無意識の奴隷になるなと
いうことです。
同じPTSDでも
★自信喪失タイプには
薬になる言葉ですが
―しかし抵抗して
理解しようとしない
「私なんか…」
謙遜の塊
★勘違いタイプには
毒になります。
―他人の人生の
暴君になります。
この人の辞書に
謙遜の文字はない。
ののちゃん一家や
周囲は
勘違いタイプが多いので
お神輿に乗せたら
―神さまを乗せるものですから。
しばらく大変です。
シチューが苦手なPTSD解離人格と仏さま
コトコト煮たものが
恋しい季節になりました。
―私もLUNCH用に
保温スープジャーを
買いました
ののちゃんのお母さんも
解離人格ですから
トンチンカンながら
世間の空気には敏感です。
―PTSD解離人格の基本性質
しかし
哀しいかな
鳥頭
―3歩歩けば
考えてたこと忘れる
場当たり脳
シチューは
ハードルが高いです
これはお料理の話ですが
思索にも言えます。
都合のよいところを
つまみ食いしても
―コトコトって言葉が
こころに響いて
イメージの世界で
陶酔する病です。
世界はバラバラなまま
不毛さに耐え切れず ←ストレス
『無意味だ!』と
【解離】したりして
永遠に
真実から
離れ続けるばかり
なのです。
シチューの極意
ホットケ!って
―仏
人が無になると
湧いてくる(佛とも書く)
智恵
深いでしょ?