アフリカ」カテゴリーアーカイブ

サッカーW杯サミュエル・エトーの自己実現

PTSD研究家翠雨の日記

貧しい少年時代

国外で活躍するようになると
黒人差別に直面

「ゴールを挙げることで
アフリカを
黒人を
認めさせる」という
思いが原動力になり

年俸10億円の
スター選手になった。

背負っているものの
重さが

自己実現
個性化の過程を

遠くに飛ばす
スプリングボードに
なるのでしょうね。

DV家庭の男の子たちも
サッカー大好きです。

ないないづくしの
なかにある重圧を
なんとかはね返して
成長してほしいです。
続きを読む

サッカーW杯サミュエル・エトーの自己実現

PTSD研究家翠雨の日記
貧しい少年時代
国外で活躍するようになると
黒人差別に直面
「ゴールを挙げることで
アフリカを
黒人を
認めさせる」という
思いが原動力になり
年俸10億円の
スター選手になった。
背負っているものの
重さが
自己実現
個性化の過程を
遠くに飛ばす
スプリングボードに
なるのでしょうね。
DV家庭の男の子たちも
サッカー大好きです。
ないないづくしの
なかにある重圧を
なんとかはね返して
成長してほしいです。

W杯拠点の南アと日本のPTSD事情

PTSD研究家翠雨の日記

南アフリカのジョージに到着した
日本代表を歓迎する
現地の子どもたちです。

地元の子どもたちによる
民族的な
歌と踊りでの熱烈な歓迎

スイスのジュネーブから
15時間も移動してきた選手たちの
旅の疲れを
癒す力があったようです。

南アフリカは
アパルトヘイトなど
民族問題の歴史を背負いながら
発展している国です。

首都ヨハネスブルグは
ニューヨークより危険
かもしれません。

肥満が多いのは
 ―大人は半端じゃなく太ってますが
  中東の肥満奨励文化ではないです。

単に西洋人の真似をしたからではなく
外出できないくらい
治安が悪いからです。

現地の日本人が言ってました。
「日本の暴走族に
ピストル持たせたみたいな
社会
だ」
 ― PTSD相当あるだろうなぁと
   思いました。

いえいえ日本も凄いですよ。

医者がやくざの常套手段みたいに
薬物依存者を作り
心理学が自己実現する人の足をひっぱって
絶望させて
その片棒担いでましたから…
 ―オウム問題とどこが違うんだ?!

でも心理学はちょっと変わってきたよドキドキ
もう使いっ走りはやめたんだって。

最近の出版物をよーく見れば
分かります。

でもまだ頼るのは早いよ!
続きを読む

ブッシュマン壁画に思うPTSDブログの意義

いろんなブログがありますねニコニコ

いろんな意義があると思います。

私が個人的に
関心があるのは…

ちょっと縁起でもないって
思われるかもしれませんが

①遺書としてのブログ
 今すぐ死ぬとかそういう意味ではありませんが、
 書き残しておくということです。

 一般に
 人間は何か生きていた証を残したいものでは
 ないでしょうか。

②こころの献体としてのブログ
 脳を調べてもらっても
 考えていたことはわかりませんからね。

さっき思いついたのは

③存在証明の落書きとしてのブログ
PTSD研究家翠雨の日記

PTSD研究家翠雨の日記

アフリカのブッシュマンの壁画です。

独自の宗教哲学を芸術にしたものでしょう。

でもきっと
そんなこと考えてない。

楽しいから無心で
描いたのでしょう。

でもこの絵が
広大なアフリカ大陸の
北の方にもあることで

南の端に住む

 ―こんなブッシュマンに出て行けと言い
  裁判で敗訴したデビアス社って
  一体何なのでしょうねドキドキ

ブッシュマンの
非暴力の哲学の歴史が
証明
できます。

身体が土に還ってゆくなら
精神のかけらがバラバラになって
ネットに吸い込まれていくのも
そしてどこかで小さな役にたつ
ことでもあれば
それでいいのではないかなぁって
思います。

PTSD研究家翠雨の日記

東大寺の【不空羂索観音】のように
ネットはあらゆるものを
救いとってくれます。
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W杯拠点の南アと日本のPTSD事情

PTSD研究家翠雨の日記
南アフリカのジョージに到着した
日本代表を歓迎する
現地の子どもたちです。
地元の子どもたちによる
民族的な
歌と踊りでの熱烈な歓迎

スイスのジュネーブから
15時間も移動してきた選手たちの
旅の疲れを
癒す力があったようです。
南アフリカは
アパルトヘイトなど
民族問題の歴史を背負いながら
発展している国です。
首都ヨハネスブルグは
ニューヨークより危険
かもしれません。
肥満が多いのは
 ―大人は半端じゃなく太ってますが
  中東の肥満奨励文化ではないです。
単に西洋人の真似をしたからではなく
外出できないくらい
治安が悪いからです。
現地の日本人が言ってました。
「日本の暴走族に
ピストル持たせたみたいな
社会
だ」
 ― PTSD相当あるだろうなぁと
   思いました。
いえいえ日本も凄いですよ。
医者がやくざの常套手段みたいに
薬物依存者を作り
心理学が自己実現する人の足をひっぱって
絶望させて
その片棒担いでましたから…
 ―オウム問題とどこが違うんだ?!
でも心理学はちょっと変わってきたよドキドキ
もう使いっ走りはやめたんだって。
最近の出版物をよーく見れば
分かります。
でもまだ頼るのは早いよ!

ブッシュマン壁画に思うPTSDブログの意義

いろんなブログがありますねニコニコ
いろんな意義があると思います。
私が個人的に
関心があるのは…
ちょっと縁起でもないって
思われるかもしれませんが
①遺書としてのブログ
 今すぐ死ぬとかそういう意味ではありませんが、
 書き残しておくということです。
 一般に
 人間は何か生きていた証を残したいものでは
 ないでしょうか。
②こころの献体としてのブログ
 脳を調べてもらっても
 考えていたことはわかりませんからね。
さっき思いついたのは
③存在証明の落書きとしてのブログ
PTSD研究家翠雨の日記
PTSD研究家翠雨の日記
アフリカのブッシュマンの壁画です。
独自の宗教哲学を芸術にしたものでしょう。
でもきっと
そんなこと考えてない。
楽しいから無心で
描いたのでしょう。
でもこの絵が
広大なアフリカ大陸の
北の方にもあることで
南の端に住む
 ―こんなブッシュマンに出て行けと言い
  裁判で敗訴したデビアス社って
  一体何なのでしょうねドキドキ
ブッシュマンの
非暴力の哲学の歴史が
証明
できます。
身体が土に還ってゆくなら
精神のかけらがバラバラになって
ネットに吸い込まれていくのも
そしてどこかで小さな役にたつ
ことでもあれば
それでいいのではないかなぁって
思います。
PTSD研究家翠雨の日記
東大寺の【不空羂索観音】のように
ネットはあらゆるものを
救いとってくれます。