『借りぐらしのアリエッティ』の
主人公翔が
心臓の手術の前に
―両親離婚のトラウマ否認で
心臓が弱っている
PTSD
母親が育ったお屋敷に
滞在するのは
―母親は海外で活躍する
キャリアウーマンで
そばにいられない。
漱石の
『門』のテーマ
父母未生以前の面目と
重なるわけですが
―PTSDのほとんどは
その人の過失でなるのではない。
アリエッティの父親が
元軍人みたいである以外は
そういう内容が出てきません。
でも
コクリコ坂に
パーンと出てきました。
ポニョを描くとき『門』に
影響を受けただけでなく
漱石の三部作を意識して
―『三四郎』『それから』『門』
『崖の上のポニョ』
『借りぐらしのアリエッティ』
『コクリコ坂から』と
きましたね。
「ジブリ『コクリコ坂から』」カテゴリーアーカイブ
『コクリコ坂から』上を向いて歩かなければならない
1963年の横浜が舞台ですが
サザンの原由子さんは
小学校一年生の頃
横浜に住んでいたそうです。
写真のような感じで
考えてみれば
奇麗事ばかりではなかったけれど
―戦争で破壊されたままの建物
公害
♪上を向いて歩こう
希望にあふれて
明るくまっすぐな勢いがあったと
回想されています。
何も明るい場所にいるから
明るくなるんじゃない。
地下で
(買うよりは)借りる生活でも
創意工夫をして生活すること
特に
光を取り込むことが
大事だというのは
アリエッティにも
表現されていました。
自灯明 →法灯明
(キリスト教でも同じですね)
自分が自分を照らさずに
セルフ(自己治癒力)は
作動しないってことですね。
子どものPTSD解離性転落死と『コクリコ坂から』
『コクリコ坂から』失われつつある身体能力の【解離】
主人公が
ヒロインを自転車に乗せていますが
これで
坂道を猛スピードで
降りてゆくシーンが
印象的でした。
昔は日常的でしたが
今はあんまりないんじゃないですか?
下手にやると
怪我人続出するかも…。
―相手を信じることや
責任感・集中力も必要ですね。
駅のホームで線路に転落したり
ホームと電車のわずかな隙間に落ちて
命を落としたりが頻発するのは
やはりおかしいです。
いくら幼くても
線路に近づく子は
あんまりなかったんじゃないですか?
―本数は明らかに少ないし
子どもの数は多く
親の目は届かない。
身体能力や
本能的に危機を回避する直感が
失われているように
思います。
これは深い部分での
【解離】だと
―本来ある能力の欠如
思いました。
左端の電柱に
「いろは堂」と書かれてます。
これは人間の【いろは】です。 ←基本中の基本
『コクリコ坂から』感動の素は吾郎氏の個性化の過程
パンフレットで
監督
吾郎氏が書いてました。
創作は
ご自分の記憶と ←個人的無意識
向き合う作業だった
ようです。
父親に出会ったショックですかね。
なかったことにして
そんなの忘れて
全く別な道に進んだほうが
楽そうですね。
吾郎氏もそうしようと
したようですが
結局呼び戻されるんですね。
がむしゃらに
取り組んでたら
こころが無になって
―感官のお掃除
もっと普遍的な
深い層にぶつかったみたいですね。 ←日本人の無意識
心身ともガタガタになりながら
ご自分が生み出された
―男性も出産するのです。
主人公とヒロインに
諦めや打算からは
何も生まれないと
学ばれたそうです。
―自己治療みたいです。
創作って面白い
精神作業だなぁと
改めて思いました。
PTSD克服の過程も
途中であっても
正しいのは感動的だし
間違っているのは
妙に打算的な感じがします。
『コクリコ坂から』感官カルチェラタン・麒麟児吾郎
公開中ですが
このくらいならいいでしょう。
メインとなる場所は
カルチェラタン
取り壊し寸前の危機を ←伝統の象徴
みんなでお掃除したり
大人にかけあったりしながら
存続させることに
成功する流れの中で
ヒロインの恋も叶うのです。 ←個人の幸福
どうりで
この建物には
深い意味が籠められてます。
ユング心理学で言うと
感官
Ⅰ・Ⅱ・ⅢとHを結ぶ管
マグマのような底力と
つながっている
心身一如の場所です。
自分の使命を
自覚するには
ここを研ぎ澄ませる必要が
あります。
これまでは
アリエッティたちの地下の家と
翔君のお屋敷を結ぶ
こことか
ポニョや妹たちの部屋として
描かれていましたが
今回は豪華ですね。
継承の重みを意識しての
ことでしょう。
5つの電球も真ん中に
添えられて
基本ははずしません。
伝統は電燈ですね。
―禅には
『伝灯録』なんてのがあります。
燈籠は仏教とともに
来ました。
この続きですね。
陰陽五行ですが
普通は四神です。
―キトラ古墳
麒麟児は
―いよいよ大事なときに
出てくる神なんです。
麒麟は陰陽相殺の
土気の神
吾郎さんが麒麟児です。
優秀な子という意味ですね。
『コクリコ坂から』戦争トラウマ想起のボタンとしての「セーラー服」
セーラー服にしなくては
いけなかったようです。
―昭和って
もう時代劇です。
水兵さんの甲板衣が
デザインの元ですよね。
立派な軍服です。
それで海ちゃんは毎日
旗を揚げるんですね。
―今は
記念日でも揚げないですね。
学生服も軍服ですね。
学ランのランは
阿蘭陀の蘭
―華厳経っぽい当て字
呉服(着物)に対する
蘭服(洋服)です。
―西洋と東洋の出会い(陰陽)の
葛藤もさりげなく設定されてます。
書きたいことがあるけど ←半分書いてます!
公開中だから
今はガマン
戦争はこりごりだと言いながら
軍服を子どもに押し付けてたというのは
なんか不思議な精神構造ですね。
―焼け野原からの復興には
一団となることが必要で
他の方法を知らなかったからかも。
イギリスでは
まだ式服なんですね。
―集合的無意識的に
遅れてますね。
だから暴動で軍隊が
出動しそうになるのですね。
そもそも
学校というのが
軍隊のためのもので
★同じ思想
★一定能力の水準をつくる
★忠誠心を持たせる
ナポレオンが創った制度らしいです。
―日本の寺子屋は違うような…。
創造性を発揮する場所じゃないから
目立つと
無意識のうちにいじめるように
条件づけられてきたのですね。
ジブリの作品は
創造的退行させるエッセンス満載です。
『コクリコ坂から』二人のハヤオから飛び出した爆弾「俊」
ユング流に言うと
ハヤオNo.1
―時代を
不安と神経症の時代ととらえ ←PTSD
文化的側面から
勇気を与えるものについて
全身全霊で考えながら
日夜創造的に生きている。
ハヤオNo.2
―日本にユング心理学を輸入
文化長官にもなったが
(ユング心理学の別名は文化派)
陰陽五行説や仏教の研究を
おろそかにしているうちに
高松塚のカビだらけの
飛鳥美人の実態とその隠蔽に ←陰陽五行説の具現化
驚愕し
急性ストレス障害死
ハヤオNo.1ジュニア
―父親と死闘しながら
謙虚に
創造的伝統を進化させようとしている。
恩恵はゼロ
成功すれば父親の七光りと揶揄され
大金は父親に持ってゆかれる。
失敗すれば何を言われるか…。
吾郎もまた
陰陽五行説&華厳的名前
ハヤオNo.2ジュニア
―『赤の書』の出版に貢献しながら ←名前が
―PTSD自己克服の記録
広汎性発達障害の研究に没頭 ≠PTSD
ユング心理学の基本
【象徴】を否定しながら
PTSD児が発達障害扱いされる
大事業に加担
『コクリコ坂から』の
ヒロイン海と出会うのは
俊
俊雄と書くわけにはいかないですよね。
いくらなんでも…。
共時性ですか?
偶然ですか?
…ということにしますか?
3兄弟陸・海・空は戦争トラウマの暗示の『コクリコ坂から』
ヒロインの名前は海
妹は空
弟は陸
―公開中だけど
このくらいなら言ってもいいでしょ。
現代人の
こころを元気にするには
なんとなく気分を
戦争トラウマに
波長あわせしてから始める必要が
あったというわけです。
―PTSDは父母未生以前の面目
2世代さかのぼれば
戦争トラウマにぶち当たり
その影響下にあることがわかります。
そこまで遡って
自分の苦しさの意味を考えるのが
PTSDの治療です。
元気も気分も
陰陽五行説の
5気の気です。
悪気・本気
気立て ←リカチャンでさえ言い始めた
気概・気力
無気力 ←アパシー=PTSD
弱気・覇気がない
気が触れる ←精神病
精神障害の原因の根本は
「気」です。
―気の迷いであって
気のせいではありませんから
原因をスルーしてはいけなのです。
両親のせいと完結させてはダメですが ←悪いと言えば悪い
「関係ない」ことはないです。
『横須賀ストーリー』の子や孫が
PTSDになってるのです。
ジブリは
現代はうつ病の時代ではなく
―とは書いてないけど
「不安と神経症の時代」と
書いてます。
―ポニョのパンフレットに明記
PTSDの時代で
気の問題だと
主張し
その克服法に日夜取り組んでいるのです。