哲学・宗教・倫理」カテゴリーアーカイブ

蔓延するPTSDお念仏療法と親鸞『歎異抄』

「歎異抄」や親鸞は人気がありますね。

「念仏は
まことに浄土に生るるたねにてやはんべるらん
また地獄におつべき業にてやはんべるらん
総じてもって存知せざるなり
たとひ法然聖人にすかされまゐらせて
念仏して地獄におちたりとも
さらに後悔すべからず候ふ。

そのゆゑは
自余の行もはげみて仏に成るべかりける身が
念仏を申して地獄におちて候はばこそ
すかされたてまつりてといふ後悔も候はめ
いづれの行もおよびがたき身なれば
とても地獄は一定すみかぞかし」

親鸞の到達した境地は
わかりませんが
そして
念仏に罪はないのですが
 ―ひたすら念仏を唱えることは
 思いのほか精神衛生によいと
 考えています。

しかし叫び
念仏や法然を
こころの専門家と
書き換えると

蔓延する
PTSD地獄の原因
そのものです。

「自分で考えるな」      ←あなたには自力の坐禅は無理です
「薬を飲んでたら治る」という ←念仏を唱え他力を期待しなさい
お念仏療法を信じて

フラッシュバックの地獄に
落ちたとしても
そこから抜け出られない
ことになるとしても
決して後悔したりはしないと
親鸞のように
断言してのことではないはずです。

阿頼耶識は異熟するなり

一時代の真理も
後の世の人の無意識のなかで
いびつにゆがんで
妙な取り入れ方をされることが
あります。

敵は内にも外にもいますよ。

まずは小さな気づきを
内に起こし

誤診に気づくことです。
そして
ゆっくりゆっくり
現実をみる練習をしましょう。
続きを読む

蔓延するPTSDお念仏療法と親鸞『歎異抄』

「歎異抄」や親鸞は人気がありますね。
「念仏は
まことに浄土に生るるたねにてやはんべるらん
また地獄におつべき業にてやはんべるらん
総じてもって存知せざるなり
たとひ法然聖人にすかされまゐらせて
念仏して地獄におちたりとも
さらに後悔すべからず候ふ。

そのゆゑは
自余の行もはげみて仏に成るべかりける身が
念仏を申して地獄におちて候はばこそ
すかされたてまつりてといふ後悔も候はめ
いづれの行もおよびがたき身なれば
とても地獄は一定すみかぞかし」
親鸞の到達した境地は
わかりませんが
そして
念仏に罪はないのですが
 ―ひたすら念仏を唱えることは
 思いのほか精神衛生によいと
 考えています。
しかし叫び
念仏や法然を
こころの専門家と
書き換えると
蔓延する
PTSD地獄の原因
そのものです。
「自分で考えるな」      ←あなたには自力の坐禅は無理です
「薬を飲んでたら治る」という ←念仏を唱え他力を期待しなさい
お念仏療法を信じて
フラッシュバックの地獄に
落ちたとしても
そこから抜け出られない
ことになるとしても
決して後悔したりはしないと
親鸞のように
断言してのことではないはずです。
阿頼耶識は異熟するなり
一時代の真理も
後の世の人の無意識のなかで
いびつにゆがんで
妙な取り入れ方をされることが
あります。
敵は内にも外にもいますよ。
まずは小さな気づきを
内に起こし
誤診に気づくことです。
そして
ゆっくりゆっくり
現実をみる練習をしましょう。

PTSDと悲劇の哲学

人間はなぜ【悲劇】が好きか。

容易に涙が出るからかもしれません。

自分のことだと
相当ひどい悲劇にであっても
笑ってしまいます。
 ―【反動形成】と言います。
 日本人の誤解されやすい特徴です。

他人の話だとつい気を許して
泣いてしまう。
 ―泣けるということは
  自分の無意識の中にも
  同様の悲劇があるということでしょう。
  【投影】です。

PTSD研究家翠雨の日記

カタルシスという言葉は
なにもフロイトが考えたものではなく
大昔から哲学で
取り扱われてきた概念です。
 ― 心理学なんて
   哲学宗教を源泉とした新興宗教ですよ。
    
新興宗教が新しい宗教になるかどうかは
   ①源泉を無視しないこと
   ②源泉に意味ある発展が認められること
   
   ですが

   「べっつにぃ、テツガクじゃないし!」
   って詭弁で反撃されるかも叫び

PTSD研究家翠雨の日記

ニーチェも最初の著作で
取り扱っています。
そして文献学会から
村八分にされたそうで

…相当共感しますしょぼん

古典を扱うと
嫌われやすいのは
世の東西同じかもしれないですね。

でも扱わなくていいということ
ではないですねニコニコ
続きを読む

PTSDと悲劇の哲学

人間はなぜ【悲劇】が好きか。
容易に涙が出るからかもしれません。
自分のことだと
相当ひどい悲劇にであっても
笑ってしまいます。
 ―【反動形成】と言います。
 日本人の誤解されやすい特徴です。
他人の話だとつい気を許して
泣いてしまう。
 ―泣けるということは
  自分の無意識の中にも
  同様の悲劇があるということでしょう。
  【投影】です。
PTSD研究家翠雨の日記
カタルシスという言葉は
なにもフロイトが考えたものではなく
大昔から哲学で
取り扱われてきた概念です。
 ― 心理学なんて
   哲学宗教を源泉とした新興宗教ですよ。
    
新興宗教が新しい宗教になるかどうかは
   ①源泉を無視しないこと
   ②源泉に意味ある発展が認められること
   
   ですが
   「べっつにぃ、テツガクじゃないし!」
   って詭弁で反撃されるかも叫び
PTSD研究家翠雨の日記
ニーチェも最初の著作で
取り扱っています。
そして文献学会から
村八分にされたそうで
…相当共感しますしょぼん
古典を扱うと
嫌われやすいのは
世の東西同じかもしれないですね。
でも扱わなくていいということ
ではないですねニコニコ

マトリョーシカ人形の流行とPTSD

PTSD研究家翠雨の日記

最近よく目にしますね目
流行ってるのでしょうか?

Матрёшка
マトリョーシュカ

ロシアの木製の人形です。

6重以上の入れ子である場合が
多いようです。

PTSD研究家翠雨の日記
女性像が多いですが
大統領など有名人が描かれたものや
動物や絵柄など人間以外のものが
描かれたものなど各種あります。

1900年のパリ万国博覧会から
ロシア各地で作られるようになり
ロシアの民芸品、みやげ物として
知られるようになったそうです。

オリジナルは
ロシアにあるという説と

正教会の避暑館にやってきた
ロシア人修道士が
本国への土産に持ち帰った
箱根細工の入れ子人形
(こけし・だるま・七福神)が
原型であったという説があります。

PTSD研究家翠雨の日記

PTSD研究家翠雨の日記

だるまさんは
達磨大師を親しみやすくしたものですし
PTSD研究家翠雨の日記

入れ子構造も
こころの本質を表し
なかなか哲学的です。

それで
現代日本人に
受け入れやすかったのでしょうか。

流行の
 ―PTSDとは
  ヒステリーという
  被暗示性の高い
  つまりは
  流行に敏感な方々ですから

PTSDの方々は

統合失調症や
発達障害や
うつ病に見えたり

攻撃的で
人格障害みたいなときもあるし

妙に素直そうに
つるんでたり
新しげな考えにすぐ迎合したり

自分でも
最後の1つ
(真の自己)は
どんなのか
なかなか
検討がつかないのかも
しれません。

でもコンパクトで
かわいかったり
するんでしょうねドキドキ
続きを読む

デカダンスに想うPTSD克服環境② ニーチェの場合

「見えない処を見る」
あの心理学にせよ、
その他私が特技としている事柄は
病苦の時期に
はじめて習得したものなのであって

あの時期固有の贈り物である。
病苦の時期には
わが身における何もかもが
洗練された。

観察それ自体だけではなく
観察の全器官も洗練されたのである。

病者の光学から
一段と健康な概念と価値を見渡し
また
これとは反対に豊富な生の充実と自信とから
デカダンス本能の秘かな営みを見下すということ
―これが私の最も歳月をかけた修行であり
私のほんとうの経験であって
もし私が何らかの点で達人になったのだとすれば
それはこの点においてであった。
…私にだけ「価値の価値転換」などと
いうことが可能になる第一の理由は
ここにある。

アップ自分でつかむしかないし
それが最強なんですねニコニコ
続きを読む

デカダンスに想うPTSD克服環境① デカダンス

デカダンスは

フランス語
decadenceからで

【退廃】です。

日本語から受けるイメージは
あまりよくないですが
 
「無」とか「空」に繋がるものの
フランス版で

本来は
哲学的で
よい言葉だと思います。
 ― 一生、そこに浸ってはいけませんが
  【個性化の過程】のある時期において… 

19世紀末に
既成のキリスト教的価値観に懐疑的で
芸術至上主義的な立場の
一派に対して使われたんです。

でも
21世紀に
その一派にいて
デカダンスを気取ってたら
化石と映る。

PTSDに関しても
この迷いが
案外多いなぁって
思います。

自分の頭と身体だけで
考える人だけが本物で

その人にしか
この病は克服できないと
思います。
続きを読む

マトリョーシカ人形の流行とPTSD

PTSD研究家翠雨の日記
最近よく目にしますね目
流行ってるのでしょうか?
Матрёшка
マトリョーシュカ
ロシアの木製の人形です。
6重以上の入れ子である場合が
多いようです。
PTSD研究家翠雨の日記
女性像が多いですが
大統領など有名人が描かれたものや
動物や絵柄など人間以外のものが
描かれたものなど各種あります。
1900年のパリ万国博覧会から
ロシア各地で作られるようになり
ロシアの民芸品、みやげ物として
知られるようになったそうです。
オリジナルは
ロシアにあるという説と
正教会の避暑館にやってきた
ロシア人修道士が
本国への土産に持ち帰った
箱根細工の入れ子人形
(こけし・だるま・七福神)が
原型であったという説があります。
PTSD研究家翠雨の日記
PTSD研究家翠雨の日記
だるまさんは
達磨大師を親しみやすくしたものですし
PTSD研究家翠雨の日記
入れ子構造も
こころの本質を表し
なかなか哲学的です。
それで
現代日本人に
受け入れやすかったのでしょうか。
流行の
 ―PTSDとは
  ヒステリーという
  被暗示性の高い
  つまりは
  流行に敏感な方々ですから
PTSDの方々は
統合失調症や
発達障害や
うつ病に見えたり
攻撃的で
人格障害みたいなときもあるし
妙に素直そうに
つるんでたり
新しげな考えにすぐ迎合したり
自分でも
最後の1つ
(真の自己)は
どんなのか
なかなか
検討がつかないのかも
しれません。
でもコンパクトで
かわいかったり
するんでしょうねドキドキ

デカダンスに想うPTSD克服環境② ニーチェの場合

「見えない処を見る」
あの心理学にせよ、
その他私が特技としている事柄は
病苦の時期に
はじめて習得したものなのであって

あの時期固有の贈り物である。
病苦の時期には
わが身における何もかもが
洗練された。

観察それ自体だけではなく
観察の全器官も洗練されたのである。
病者の光学から
一段と健康な概念と価値を見渡し
また
これとは反対に豊富な生の充実と自信とから
デカダンス本能の秘かな営みを見下すということ
―これが私の最も歳月をかけた修行であり
私のほんとうの経験であって
もし私が何らかの点で達人になったのだとすれば
それはこの点においてであった。
…私にだけ「価値の価値転換」などと
いうことが可能になる第一の理由は
ここにある。
アップ自分でつかむしかないし
それが最強なんですねニコニコ

デカダンスに想うPTSD克服環境① デカダンス

デカダンスは
フランス語
décadenceからで
【退廃】です。
日本語から受けるイメージは
あまりよくないですが
 
「無」とか「空」に繋がるものの
フランス版で
本来は
哲学的で
よい言葉だと思います。
 ― 一生、そこに浸ってはいけませんが
  【個性化の過程】のある時期において… 
19世紀末に
既成のキリスト教的価値観に懐疑的で
芸術至上主義的な立場の
一派に対して使われたんです。
でも
21世紀に
その一派にいて
デカダンスを気取ってたら
化石と映る。
PTSDに関しても
この迷いが
案外多いなぁって
思います。
自分の頭と身体だけで
考える人だけが本物で
その人にしか
この病は克服できないと
思います。