哲学・宗教・倫理」カテゴリーアーカイブ

『十牛図』第一図【喪失感】と愛子さまPTSD

ヒステリーを
簡単に説明するのに
便利なキーワードは

ドクロ【失】ドクロ

失立アメーバ骨が折れてるわけでもないのに立てません
失歩アメーバ足が痛いわけでもないのに歩けません
失声アメーバ美智子さまが罹患されました

究極は
失神アメーバマリーアントワネットの時代の女性よく転倒しますねひらめき電球

神を失うと書きますね。

神経の神
でもありますが

心が神なんですね。

自己実現のメカニズムを
端的に示した
『十牛図』の

第一図は『尋牛』ですダウン

PTSD研究家翠雨の日記

飼ってた牛
(本当の自分)がいなくなって
心細い思いで
探し始めた青年の姿です。

説明のなかの一節に
『力尽き疲れてもとむるに処無し』と
あります。

PTSD理論からすると

自己実現の最初は
『解離』からですね。

瀕死の状態で
しかも
何をどうしてよいのか
わからない

困った状況が
自己実現のパスポートです。

パスポート取得から
出国までが長すぎるのが
ちょっと辛いです。

学校に行けなかったり
公務ができなくなったりしたら

わがまま扱いされて
家にいるのも辛くなるような
誹謗中傷を受けます。

皇室の方にして
こんな状態の日本ですから

国民は辛いですよ。

とりあえず
愛子さまだけは
【PTSD】とする
切羽詰った状況が
ありました。

PTSD研究家翠雨の日記
続きを読む

サウジ人も中国人も牛に逃げられて哲学者となる

サード・カタニ(Saad al-Qahtani)さんの
砂漠生活を
さっき記事にしましたが

不幸な出来事が重なっても
あきらめずに
畜産業を営もうとしたんですね。

でも
そのとき
全ての牛に逃げられてしまいます。

悟りの過程を
図示した
『十牛図』
連想しました。
PTSD研究家翠雨の日記

普通の人の
自己実現も同じだと思うのですが

牛(本当の自分)に逃げられたことに
気づくところから
始まるのです。
 ―ユング心理学では
 【共時性】と言います

牛が逃げないようにと
意識がしっかり働いてると

自己実現できないし
悟れないんですね。

気の緩みが大事なんです目

気がユルユルでないと
恋愛や結婚なんてできないでしょう?
 ―健康な【解離】です!

そして
今までは合理的に考えていた人も
相次ぐ理不尽きわまる現象に
鍛えられ
哲学者となり
最後は宗教者となって
あの世へ行くのです。

根本のところでは
聖人も凡夫も
そう変わらないんです。
続きを読む

『十牛図』第一図【喪失感】と愛子さまPTSD

ヒステリーを
簡単に説明するのに
便利なキーワードは
ドクロ【失】ドクロ
失立アメーバ骨が折れてるわけでもないのに立てません
失歩アメーバ足が痛いわけでもないのに歩けません
失声アメーバ美智子さまが罹患されました
究極は
失神アメーバマリーアントワネットの時代の女性よく転倒しますねひらめき電球
神を失うと書きますね。
神経の神
でもありますが
心が神なんですね。
自己実現のメカニズムを
端的に示した
『十牛図』の
第一図は『尋牛』ですダウン
PTSD研究家翠雨の日記
飼ってた牛
(本当の自分)がいなくなって
心細い思いで
探し始めた青年の姿です。
説明のなかの一節に
『力尽き疲れてもとむるに処無し』と
あります。
PTSD理論からすると
自己実現の最初は
『解離』からですね。
瀕死の状態で
しかも
何をどうしてよいのか
わからない
困った状況が
自己実現のパスポートです。
パスポート取得から
出国までが長すぎるのが
ちょっと辛いです。
学校に行けなかったり
公務ができなくなったりしたら
わがまま扱いされて
家にいるのも辛くなるような
誹謗中傷を受けます。
皇室の方にして
こんな状態の日本ですから
国民は辛いですよ。
とりあえず
愛子さまだけは
【PTSD】とする
切羽詰った状況が
ありました。
PTSD研究家翠雨の日記

サウジ人も中国人も牛に逃げられて哲学者となる

サード・カタニ(Saad al-Qahtani)さんの
砂漠生活を
さっき記事にしましたが
不幸な出来事が重なっても
あきらめずに
畜産業を営もうとしたんですね。
でも
そのとき
全ての牛に逃げられてしまいます。
悟りの過程を
図示した
『十牛図』
連想しました。
PTSD研究家翠雨の日記
普通の人の
自己実現も同じだと思うのですが
牛(本当の自分)に逃げられたことに
気づくところから
始まるのです。
 ―ユング心理学では
 【共時性】と言います
牛が逃げないようにと
意識がしっかり働いてると
自己実現できないし
悟れないんですね。
気の緩みが大事なんです目
気がユルユルでないと
恋愛や結婚なんてできないでしょう?
 ―健康な【解離】です!
そして
今までは合理的に考えていた人も
相次ぐ理不尽きわまる現象に
鍛えられ
哲学者となり
最後は宗教者となって
あの世へ行くのです。
根本のところでは
聖人も凡夫も
そう変わらないんです。

PTSDの呪縛を解く『志村けんのバカ殿様』

PTSD研究家翠雨の日記

通称「バカ殿」

  『志村けんのバカ殿様』
 (しむらけんのバカとのさま)

フジテレビ系列で放送されている
バラエティ番組で

単発の特別番組として年3回
特に1月、4月、10月頃に放送されてます。

2006年4月12日の放送で
20周年を迎え長寿番組
なりましたが

元々は
TBS系の番組『8時だョ!全員集合』の
コントの1つであった
ようです。

志村藩の殿であるバカ殿を中心に
城内・城下で起こる
さまざまな出来事を
一連のコントとして
番組化したものです。

長寿番組は
ナンセンスなようで
ものすごい風刺と哲学を
もっているものです。

裏タイトルは
「バカ暴君に気をつけろ!」
ですかね。

家庭に
地域に
職場に
国に
地球に
暴君がいます。

それを無意識のうちに
インプットし続けた結果
内在化してしまった
インナー馬鹿殿が一番手強いです。

自分の自己実現を
二重に拘束する
バカ殿を退散させるには

このくらいの破天荒な
面白さが必要でしょう。

キリスト教では
神と一体になり癒されるのが
限界ですが
仏教では凡超聖越
ポニョみたいに常識を超えなきゃ
癒されないくらいなのに

志村藩のバカ殿みたいな
ローカルなバカ殿のご機嫌を伺い
「そりゃそうだぁドキドキ」と言わせ
躍らせてる場合ではありません。

この問題を抱えた人が
日本にはたくさんいるのです。
続きを読む

PTSDの呪縛を解く『志村けんのバカ殿様』

PTSD研究家翠雨の日記
通称「バカ殿」
  『志村けんのバカ殿様』
 (しむらけんのバカとのさま)
フジテレビ系列で放送されている
バラエティ番組で
単発の特別番組として年3回
特に1月、4月、10月頃に放送されてます。
2006年4月12日の放送で
20周年を迎え長寿番組
なりましたが
元々は
TBS系の番組『8時だョ!全員集合』の
コントの1つであった
ようです。
志村藩の殿であるバカ殿を中心に
城内・城下で起こる
さまざまな出来事を
一連のコントとして
番組化したものです。
長寿番組は
ナンセンスなようで
ものすごい風刺と哲学を
もっているものです。
裏タイトルは
「バカ暴君に気をつけろ!」
ですかね。
家庭に
地域に
職場に
国に
地球に
暴君がいます。
それを無意識のうちに
インプットし続けた結果
内在化してしまった
インナー馬鹿殿が一番手強いです。
自分の自己実現を
二重に拘束する
バカ殿を退散させるには
このくらいの破天荒な
面白さが必要でしょう。
キリスト教では
神と一体になり癒されるのが
限界ですが
仏教では凡超聖越
ポニョみたいに常識を超えなきゃ
癒されないくらいなのに
志村藩のバカ殿みたいな
ローカルなバカ殿のご機嫌を伺い
「そりゃそうだぁドキドキ」と言わせ
躍らせてる場合ではありません。
この問題を抱えた人が
日本にはたくさんいるのです。

バルトのみた日本の象徴と河合隼雄の中空構造論

PTSD研究家翠雨の日記

表徴の帝国
(ひょうちょうのていこく、L’Empire des signes )は

フランスの哲学者ロラン・バルトの日本論

1966年フランスの文化使節の一員として
日本を訪れた時の印象を
記号論の立場から
まとめたものです。

外国人からみれば
分かりやすいのでしょう。

日本の中心

大都会である東京の中心に

皇居という
空虚な
何もない森だけの空間が
広がっている事実です。

ヨーロッパだと
都市の中心にある
聖堂や広場は
その権威や意味を
記号として明確に知らしめています。

では皇居が無意味かというと
とんでもないことです。

【記号】ではなく
【表徴】としてその幽玄な意味を
かもし出しているのです。

森の中で日々
陰陽五行に則った
祭祀という名の公務が
永続的に行われているのは

外からは伺いしれないことです。

PTSD研究家翠雨の日記

中空構造というのは
面白い表現ですが

なんだか
間違った解釈を流行らせてしまったために

【無我】や【無私】の
象徴としての皇室のメンバーが

国民から言われなき
中傷を受け
苦しんでおられます。

それは自殺者の増加とも
密接に関連しています。
続きを読む

バルトのみた日本の象徴と河合隼雄の中空構造論

PTSD研究家翠雨の日記
表徴の帝国
(ひょうちょうのていこく、L’Empire des signes )は
フランスの哲学者ロラン・バルトの日本論
1966年フランスの文化使節の一員として
日本を訪れた時の印象を
記号論の立場から
まとめたものです。
外国人からみれば
分かりやすいのでしょう。
日本の中心
大都会である東京の中心に
皇居という
空虚な
何もない森だけの空間が
広がっている事実です。
ヨーロッパだと
都市の中心にある
聖堂や広場は
その権威や意味を
記号として明確に知らしめています。
では皇居が無意味かというと
とんでもないことです。
【記号】ではなく
【表徴】としてその幽玄な意味を
かもし出しているのです。
森の中で日々
陰陽五行に則った
祭祀という名の公務が
永続的に行われているのは
外からは伺いしれない
ことです。
PTSD研究家翠雨の日記
中空構造というのは
面白い表現ですが
なんだか
間違った解釈を流行らせてしまったために
【無我】や【無私】の
象徴としての皇室のメンバーが
国民から言われなき
中傷を受け
苦しんでおられます。
それは自殺者の増加とも
密接に関連しています。

帽子に想う【百尺竿頭一歩進めよ】の実際

PTSD研究家翠雨の日記

『平田暁夫の帽子』の書評を
北澤憲昭という美術評論家が
書いている。

自分の身長というのは
日頃感じているものより
ちょっと高い。

眼の高さを
自分の身長と勘違い
しやすい

眼の上に
広口ビンのように
虚空に向かって開かれている
部分も自分なのだ。

なるほど…

しかもそこは頭で
頭脳のありか…

人間はなんと自分を
矮小化し
見くびる性質があるのだろう。

【百尺竿頭一歩進めよ】の
公案の意味が
少し身近になりました。

【如人千尺懸崖上樹】も
百を千にしただけで
同じことです。

『崖の上のポニョ』でしたね。

PTSDでだめだぁと思うのは
まだ早い!

バレリーナのように
つむじを意識して
背伸びして

もう一度
自分の無意識からの
謎かけである公案に
取り組んでみたら
どうだろう。

最後には
ちょっとつむじを曲げて

斬新にすることを
お忘れなく!

おへそも曲がるって?!
続きを読む

帽子に想う【百尺竿頭一歩進めよ】の実際

PTSD研究家翠雨の日記
『平田暁夫の帽子』の書評を
北澤憲昭という美術評論家が
書いている。
自分の身長というのは
日頃感じているものより
ちょっと高い。
眼の高さを
自分の身長と勘違い
しやすい

眼の上に
広口ビンのように
虚空に向かって開かれている
部分も自分なのだ。
なるほど…
しかもそこは頭で
頭脳のありか…
人間はなんと自分を
矮小化し
見くびる性質があるのだろう。
【百尺竿頭一歩進めよ】の
公案の意味が
少し身近になりました。
【如人千尺懸崖上樹】も
百を千にしただけで
同じことです。
『崖の上のポニョ』でしたね。
PTSDでだめだぁと思うのは
まだ早い!
バレリーナのように
つむじを意識して
背伸びして
もう一度
自分の無意識からの
謎かけである公案に
取り組んでみたら
どうだろう。
最後には
ちょっとつむじを曲げて
斬新にすることを
お忘れなく!
おへそも曲がるって?!