太平洋戦争中の
フィリピンで
日本の兵士から
暴行を受けた女性が
来日
記者会見しました。
暴行で
気を失うような
絶望の日々の後
解放されても
故郷に帰ることができず
そのため進学できず
結婚しても
蘇る記憶に苛まれ
体験を語り始めると
夫は去ったと言います。
戦争の
置き土産としての
PTSD予防が
今も続いています。
正義の回復のために
努力する人の言葉には
重みと
説得力があり
人のこころを打ちます。
「戦争」カテゴリーアーカイブ
韓国議員と右翼団体が靖国神社で舌戦PTSD負の遺産
韓国最大野党の議員らが
靖国神社から
約500メートル離れた路上で
「安倍政権の軍国主義は
止めなければならない」などと
記者団に訴え
右翼団体や
右派系市民団体のメンバーらは
「朝鮮のマスコミは帰れ」
「歴史を捏造するな」などと
罵声を浴びせ
警備の警察官と
もみ合いになる一幕も
ありました。
戦争トラウマが
成仏するまで
代理戦争が
続きます。
洗脳を解いて
こういうのに
参戦させられないように
しないといけないですね。
ストーン氏「基地は不要」次々敵を妄想させるPTSD解離洗脳にメス
91歳元軍人証言集ネット配信でPTSD予防活動
「あさかぜ」という
ホームページです。
壮絶な体験は
文章で
読むのが
よいかもしれません。
文才もあるかと
思いますが
無理なく
―画像とかだと
子どもが怖がるでしょう。
恐怖心とともに
教えると
洗脳になりますからね。
理解できます。
―認知の歪みのある場合は
知らん
認知症にもならず
どこかの
暴言発散医者みたいな
老害でもなく
―小食主義の
悪い見本で
断食の意味が
全然わかってない。
貴重です。
「死んでも
ネットなら
記録に残る」
私も同じ気持ちで
毎日書いてます。
ベトナム戦争ショックで40年間密林暮らしのPTSD解離父子保護
男性(82)は
40年前の戦争中
住んでいた集落が
爆撃を受け
妻と2人の子を亡くし
そのショックから
当時2歳だった
―今42歳
息子を連れて
密林の奥に逃げ込んだようです。
腰みのだけを身につけ
木の上の
小屋で暮らしていたそうです。
PTSD治療も
必要でしょうね。
家族が見た沖縄PTSD基地外米兵の日常
米兵と結婚した
沖縄女性もいるわけです。
すべてが
基地外行動するわけではないですから。
しかし
ある日を境に
急に人格変容
来たかった沖縄だし
芝生に囲まれた
5つも部屋のある
宿舎ですが
今まで
蓄積された
恐怖感や罪悪感で
こころが押しつぶされそうなのでしょう。
消防車のサイレンを聞いただけで
ベッドの下に
潜り込んだり
夜中に
突然起きて
妻の首を絞めたり
便器を抱えて
吐いたり…。
ベトナムにも行き
最後は
体調を崩しての
急死ですから
枯葉剤による
―倉庫の近くで働いた。
体調不良や
その予期不安も
あるでしょう。
どこまでが
どのせいなのか
わからないのは
フクシマの
PTSD解離行動と
似ています。
化学物質を避けること
戦争を避けること
二本立てで
PTSD予防です。
エノラ・ゲイ機長も原爆加害者PTSDの人生
元広島資料館長と
文通していたそうです。
渡米した
館長の
ケロイドをさすり
顔をゆがめ
互いに
戦争を繰り返さないという
決意で努力しようと
誓いあったそうですが
広島に来てほしいと言う
願いには
たった7行の
断りの手紙で
―苦渋の末の結論
それが最後になりました。
写真は雄弁で
エノラ・ゲイの窓から
顔を出す
若い時と違い
最後の手紙から
12年後の
晩年の横顔には
影があります。
いつか
医療問題でも
原発問題でも
エノラ・ゲイの機長が
たくさん出るのでしょうね。
「核兵器の使用を
道徳的に解釈したり
正当化したりしようと
していない点が
私は特にうれしかった」
館長さんは
そう書き遺しています。
これは
できるかな?
戦争レイプPTSD問題に取りつかれた橋下市長
朝日新聞の
発言録に
登場してます。
―取りつかれたこと自体は
悪くない。
治ろうとしているわけだから。
新潟での街頭演説で
戦争中は
世界各国で
つまり
ナチスや
ホロコースト
黒人奴隷はおろか
朝鮮戦争や
―戦争放棄した
日本も参戦してました。
『コクリコ坂から』の
物語が生まれています。
ベトナム戦争時代の
韓国軍ですら
女性を利用していたと
主張しています。
さすがに
たたかれながら
学習して
―スパルタ認知行動療法
「さらなる利用」や
「被害者に感謝」は
言わなかったようですが
―書いてないだけか。
人間とはそういうものだと
主張したいようですね。
今必要な議論は
人間がPTSDになり
解離する
暗い面を持つということよりも
―下手すると
これを逆手にとって
開き直る
醜さが横行する。
諸刃の剣
どうしたら
PTSDにならずに済むか
解離させずにすむか
―戦争のようなストレス状況を作らない。
その工夫でしょう。
トラウマがあると
―認知の歪みで
脱輪しながら
主張してしまうようですが
見守りたいと思います。
サッカー場にダイオキシン埋めた沖縄米軍PTSD解離基地外行動
沖縄市の
市サッカー場の土中から
枯れ葉剤を製造していた
化学メーカーの名前の入った
ドラム缶が見つかりました。
軍人の基地外行動も目に余りますが
軍そのものが
乱暴狼藉の限りを尽くしています。
野放しにしたら
あり得ないことばかりします。
橋下発言でトラウマ記憶刺激されたと証言するPTSD予防中の元兵士ら
発言はおかしいと
直後に
女性がたくさん
反論しましたが
元兵士の方々も
同じようです。
戦争に参加させられたこと自体が
トラウマで
―消耗品で
かごの鳥として
死の恐怖に向き合わさせられる。
その余裕のない状況で
利用してしまった人も
―現地の人々への
暴力抑止にはならなかったらしい。
依存症を作ってしまう
きっかけになっただけで。
国に残した人を思い出して
逃げ出した人も
―案外多かったらしく
1つのトラウマ体験であった様子
サバイバーズ・ギルトに
苛まれつつも
―慰安婦の女性の
残酷な人生を思い
子や孫に
迷惑がかかると思い
発言できない歯がゆさに
苦しまれています。
「見てきたようなことを
軽々しく言わないでほしい」

共感を装った
ひどい親切ごかし
だったのですね。
一生PTSD予防中であるわけですが
野田正彰さんは
戦後の聞き手が
真摯に傾聴してこなかったことを
指摘しておられます。
日の丸や君が代を
無条件に肯定させる前に
元兵士への
傾聴でしょう。
