無差別殺人」カテゴリーアーカイブ

「子どもを殺したかった」元看護師通り魔殺人とPTSD

大阪市東住吉区の路上で
面識のない
市立育和小2年
峨根瑞奈ちゃん(8)を

6箇所も刃物で
刺し重傷を負わせた玉置雪花容疑者(32)は

「子どもを殺したかった」
供述しているようです。

なぜに…叫び

素直に客観的状況をならべれば
観えてくるのです。

念願の看護師になったが
挫折し
ひきこもり
子どもを殺したいと思い
子どもを刺した。

そして
精神分析の初級の本を
ぱらぱら見てたら
目に飛び込んでくるでしょう。

人間は
精神的にしんどくなると
適切な年齢に
【退行】し
インナーチャイルドを
育てなおそうとするのです。

死と再生をかけた
一大作業ですから
他のどんなことより
優先されます。

8歳の瑞奈ちゃんくらいの
インナーチャイルドを
再生させたかったのでしょう。

しかし
PTSDだったので
【解離】により
内的作業を外的作業と勘違いする誤作動を
起こしてしまいました。

【アクティングアウト】
(行動化)という名の
犯行の完成です。

どうやら刺したらしいが
前後の記憶がない
というところでしょう。
続きを読む

大阪小2女児切りつけ犯人のPTSD

32歳女性
看護師をやめて
自宅に引きこもり
見知らぬ
小学二年生の女の子を
刃物で切りつける
凶行を働いた。

明るくはきはきした人物が
念願の看護師になれた。

現場の厳しさに対応できなかった
のでしょうが

順調にいっていただけに
ギャップとしての
挫折も大きかったのでは
ないでしょうか。

小学二年生くらいから
やりなおしたい!

無意識がそうささやいたのかも
しれません。

無意識の声として
捉えねばならなかったのですが

ショックのあまり
【解離】をおこし

現実と非現実の区別
自分と外界の区別が
曖昧になってしまったのでしょうね。

自分でも
なぜこんなことをしてしまったのか
わからないでしょう。

容疑者をそこから
救い出すことが
容疑者のためであり
社会のためでも
あると思います。
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「子どもを殺したかった」元看護師通り魔殺人とPTSD

大阪市東住吉区の路上で
面識のない
市立育和小2年
峨根瑞奈ちゃん(8)を
6箇所も刃物で
刺し重傷を負わせた玉置雪花容疑者(32)は
「子どもを殺したかった」
供述しているようです。
なぜに…叫び
素直に客観的状況をならべれば
観えてくるのです。
念願の看護師になったが
挫折し
ひきこもり
子どもを殺したいと思い
子どもを刺した。
そして
精神分析の初級の本を
ぱらぱら見てたら
目に飛び込んでくるでしょう。
人間は
精神的にしんどくなると
適切な年齢に
【退行】し
インナーチャイルドを
育てなおそうとするのです。
死と再生をかけた
一大作業ですから
他のどんなことより
優先されます。
8歳の瑞奈ちゃんくらいの
インナーチャイルドを
再生させたかったのでしょう。
しかし
PTSDだったので
【解離】により
内的作業を外的作業と勘違いする誤作動を
起こしてしまいました。
【アクティングアウト】
(行動化)という名の
犯行の完成です。
どうやら刺したらしいが
前後の記憶がない
というところでしょう。

大阪小2女児切りつけ犯人のPTSD

32歳女性
看護師をやめて
自宅に引きこもり
見知らぬ
小学二年生の女の子を
刃物で切りつける
凶行を働いた。
明るくはきはきした人物が
念願の看護師になれた。
現場の厳しさに対応できなかった
のでしょうが
順調にいっていただけに
ギャップとしての
挫折も大きかったのでは
ないでしょうか。
小学二年生くらいから
やりなおしたい!

無意識がそうささやいたのかも
しれません。
無意識の声として
捉えねばならなかったのですが
ショックのあまり
【解離】をおこし

現実と非現実の区別
自分と外界の区別が
曖昧になってしまったのでしょうね。
自分でも
なぜこんなことをしてしまったのか
わからないでしょう。
容疑者をそこから
救い出すことが
容疑者のためであり
社会のためでも
あると思います。

『無知の涙』永山則夫④ 誰もがポニョになる

自分が横切った
生のパラドックス
その不可解の
いったいそこに
何が在ったのかへの

なぜ自分が
そこにいたのかへの

果てのない追求の
手記である。


謎の追求であり
自問自答の手記なのである。

そう
秋山駿は述べています。

PTSDにおいて
解離を起こすようになった人間は

永山でなくても
哲学者になるのではないか
と感じます。

机上論や
職業としての
哲学ではなく

生きるための哲学です。

哲学しなければ
もはや
一歩も進めないのです。

【如人千尺懸崖上樹】です。

崖の上のポニョなのです。
続きを読む

『無知の涙』③ 心因反応としての犯罪 

永山のノートを読んだ
秋山駿は
書いている。

「動機なき、理由なき殺人」
と称されているが

こんな言葉を
ああそうかと
単純に簡単に
分かったつもりに
なってもらっては困る。

人のあらゆる行動には
何らかの意味で
すべて動機があり
理由があるのだ。

最高に支離滅裂な発狂者にあっても
彼に意識がある限り
必ずその言動には
動機と理由というものが
ある
のだ。

「動機なき、理由なき殺人」
というのは
人間の奥深くにある
生のパラドックスの
その露出
なのだ。

人間が犯罪を犯すのは
すべて心因反応であると
発狂と言っても
遺伝性の不治の病ではないと

聞こえませんか?
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『無知の涙』永山則夫② PTSDブログ

4人も射殺した
19歳の少年は

獄中で

本を貪り読み
字を学び
生まれて初めて
ノートに綴った。

自らを徹底的に
追い詰め
世界と自己について
哲学した。

彼が亡くなった
1997年頃は

今から思えば

不可解な事件や
理不尽な事件が
頻発し始めた

【象徴的】な時期だったような
気がする。

現在
PTSD克服者は
  ―もちろん囚人ではないが
   無意識的にはトラウマの
   現実的には暴君の
   とらわれ人
   例外なく模範囚―

否応なしであるが

心理学者以上に
哲学者以上に
宗教者以上に

ブログに書き綴りながら
暗中模索している。
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『無知の涙』永山則夫④ 誰もがポニョになる

自分が横切った
生のパラドックス
その不可解の
いったいそこに
何が在ったのかへの
なぜ自分が
そこにいたのかへの
果てのない追求の
手記である。

謎の追求であり
自問自答の手記なのである。
そう
秋山駿は述べています。
PTSDにおいて
解離を起こすようになった人間は
永山でなくても
哲学者になるのではないか
と感じます。
机上論や
職業としての
哲学ではなく
生きるための哲学です。
哲学しなければ
もはや
一歩も進めないのです。
【如人千尺懸崖上樹】です。
崖の上のポニョなのです。

『無知の涙』③ 心因反応としての犯罪 

永山のノートを読んだ
秋山駿は
書いている。
「動機なき、理由なき殺人」
と称されているが
こんな言葉を
ああそうかと
単純に簡単に
分かったつもりに
なってもらっては困る。
人のあらゆる行動には
何らかの意味で
すべて動機があり
理由があるのだ。
最高に支離滅裂な発狂者にあっても
彼に意識がある限り
必ずその言動には
動機と理由というものが
ある
のだ。
「動機なき、理由なき殺人」
というのは
人間の奥深くにある
生のパラドックスの
その露出
なのだ。
人間が犯罪を犯すのは
すべて心因反応であると
発狂と言っても
遺伝性の不治の病ではないと
聞こえませんか?