おいしく食べ終わったスイカの皮を
無造作に捨てようとしたところ
雲紗が
なぜ捨てるのか?
と聞きます。
『なぜって…
何を言い出す。
スイカの皮だぞ!』
二順の声が聞こえてきそうです。
雲紗は
自分の父が
スイカの皮の料理を
いろいろ創作したこと
クセがないので
案外何にでもあうこと
身体を涼しくするスイカの作用は
もちろん皮にもあることなど
教えながら
学校にも行ってなくて
勉強もできなくて
何のとりえもないように
見えるけど
やる気になったら
何とかしてきた
二順のことを
スイカの皮みたいな人間だと
言います。
凄い奥さんですね。
ほめられてるのか
けなされてるのか
わからないようで
凄く励ましています。
その人の魂に対する信頼感が
ビシビシ感じられます。
二順の目がまた光りました。
新しい世界に飛び込む不安を前に
価値観や人生観を更新することが
できたのでしょう。
こんな心理療法がいいですね。
人間が元気になるのは
先入観をうまく超えたときで
リセットの法則は
二元論でなくて
【一太極二陰陽】です。
太極が元気のふるさとですから。
スイカのおいしいところは
赤と黒で
太極の色です。
(作家の無意識は
陰陽五行でできてる証です。
偶然にしてはできすぎてますし
知的操作には限界があります)
スイカの皮を
不要物としかみないような
(一元論・一言居士)
心理療法はダメですし
スイカの皮と人間は別物だとしか
考えられないような
(象徴を使えない)
ユング心理学もだめです。
あなたには
かぐや姫やスサノヲの涙の意味が
わかりますか?
「獅子頭」カテゴリーアーカイブ
朝日新聞『獅子頭』第五十三~五十五話 昇華と自己実現
舞台恐怖症が【昇華】した
【獅子頭】の料理を認められ
日本に行けることになり
海外渡航にあたって
共産党にも
特例入党することになりました。
すべてが名誉な話ですが
大変困惑しています。
党と国家を前に
自分や家族が障害になれば
それを犠牲にするのが
常識で
それができないのは
恥ずべきこと
という時代です。
ユングの集合的無意識には
層があり
比較的意識に近いものが
個人的無意識
個人的無意識の背景に
家族的無意識
そしてそれを支える
国家的な無意識があります。
(中国人としての常識)
【自己実現】つまり
【個性化の過程】の際には
この集団の常識を
超えざるを得なくなります。
お釈迦さまは
自分の生まれた土地にあった宗教を否定し
家族を捨てて
厳しい修行をしたのち
悟り
仏教をつくりましたし、
イエスキリストも
為政者たちに
迫害され死刑にされながら
キリスト教をつくりました。
モハメッドも
激しい幻聴に脂汗をかきながら
必死に瞑想し
イスラム教をつくりました。
この【元型】は
何も宗教者の専売特許ではありません。
かぐや姫も自己実現にあたって
月に還って行きました。
(月は本来の自己のある場所です)
一般人も
自己実現するときは
似たような雛形に絡め取られて
苦しむのです。
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朝日新聞『獅子頭』第五十三~五十五話 昇華と自己実現
舞台恐怖症が【昇華】した
【獅子頭】の料理を認められ
日本に行けることになり
海外渡航にあたって
共産党にも
特例入党することになりました。
すべてが名誉な話ですが
大変困惑しています。
党と国家を前に
自分や家族が障害になれば
それを犠牲にするのが
常識で
それができないのは
恥ずべきこと
という時代です。
ユングの集合的無意識には
層があり
比較的意識に近いものが
個人的無意識
個人的無意識の背景に
家族的無意識
そしてそれを支える
国家的な無意識があります。
(中国人としての常識)
【自己実現】つまり
【個性化の過程】の際には
この集団の常識を
超えざるを得なくなります。
お釈迦さまは
自分の生まれた土地にあった宗教を否定し
家族を捨てて
厳しい修行をしたのち
悟り
仏教をつくりましたし、
イエスキリストも
為政者たちに
迫害され死刑にされながら
キリスト教をつくりました。
モハメッドも
激しい幻聴に脂汗をかきながら
必死に瞑想し
イスラム教をつくりました。
この【元型】は
何も宗教者の専売特許ではありません。
かぐや姫も自己実現にあたって
月に還って行きました。
(月は本来の自己のある場所です)
一般人も
自己実現するときは
似たような雛形に絡め取られて
苦しむのです。
朝日新聞『獅子頭』第五十二話 PTSDとユング心理学【個性化の過程】
二順の腕が
日本人に認められた
わけだから
二順の代わりは
いない。
舞台恐怖症克服の過程で
二順は
自己を確立し
唯一絶対の個性を
手に入れました。
ユング心理学でいう
【自己実現】
【個性化の過程】
とはこういうものです。
個性化の過程
ですからね。
入り口を見つけた
ということなんです。
柔道・剣道・
茶道・華道・香道
…
わが国には【道】とつく
ものがたくさんありますが、
その道を歩き始めた
ということでしょう。
今なら
【料理道】とか
言うのかもしれません。
西洋のお話と違うのは…
怪物を倒して
王子さまとお姫さまが
結婚して
…
というハッピーエンドが
ないことです。
かといって
ハッピーでないわけではない。
【一太極二陰陽】の
リセットの法則で
人生を
バクシンするパスポートを
得たわけです。
ユング心理学を
日本流に改良することは
焦眉の課題です。
続きを読む
朝日新聞『獅子頭』第五十二話 PTSDとユング心理学【個性化の過程】
二順の腕が
日本人に認められた
わけだから
二順の代わりは
いない。
舞台恐怖症克服の過程で
二順は
自己を確立し
唯一絶対の個性を
手に入れました。
ユング心理学でいう
【自己実現】
【個性化の過程】
とはこういうものです。
個性化の過程
ですからね。
入り口を見つけた
ということなんです。
柔道・剣道・
茶道・華道・香道
…
わが国には【道】とつく
ものがたくさんありますが、
その道を歩き始めた
ということでしょう。
今なら
【料理道】とか
言うのかもしれません。
西洋のお話と違うのは…
怪物を倒して
王子さまとお姫さまが
結婚して
…
というハッピーエンドが
ないことです。
かといって
ハッピーでないわけではない。
【一太極二陰陽】の
リセットの法則で
人生を
バクシンするパスポートを
得たわけです。
ユング心理学を
日本流に改良することは
焦眉の課題です。
朝日新聞『獅子頭』第五十一話 一太極二陰陽としてのパンダ
『日本に獅子宴を
作りに行くことに
なってしまった』
周囲は期待していますが、
二順も
雲紗も困り果てています。
日中友好のパンダだ
と料理長は言いますが、
僕はパンダじゃない
と二順は言います。
【パンダ】は
かわいいですね。
中国を代表する動物です。
四川にたまたまいた
ということもあるかもしれませんが、
白黒は【陰陽】
ですね。
そして人間二順をパンダという
言い方
これは【象徴】です。
PTSDの心理治療でも
表現にパンダは結構出てきます。
いろいろな使われ方がありますが
陰陽相殺した
その人の太極
―善いとか悪いとか
分別を超えて
自分の存在を深いところから
見直したい―
に立って考え始めようとするときに
結構出現します。
回復してから
あとで『ああ、あの時のパンダは…』
って思うだけで
そのときは何もわからないのですがね。
医学モデルだと
最初に診断がありますが
心理療法では
診断せずに傾聴します。
そして病の意味は
あとでわかるのです。
だから二順夫妻にとっては
今は吉凶混合の時
結果はあとで
わかります。
続きを読む
朝日新聞『獅子頭』第五十一話 一太極二陰陽としてのパンダ
『日本に獅子宴を
作りに行くことに
なってしまった』
周囲は期待していますが、
二順も
雲紗も困り果てています。
日中友好のパンダだ
と料理長は言いますが、
僕はパンダじゃない
と二順は言います。
【パンダ】は
かわいいですね。
中国を代表する動物です。
四川にたまたまいた
ということもあるかもしれませんが、
白黒は【陰陽】
ですね。
そして人間二順をパンダという
言い方
これは【象徴】です。
PTSDの心理治療でも
表現にパンダは結構出てきます。
いろいろな使われ方がありますが
陰陽相殺した
その人の太極
―善いとか悪いとか
分別を超えて
自分の存在を深いところから
見直したい―
に立って考え始めようとするときに
結構出現します。
回復してから
あとで『ああ、あの時のパンダは…』
って思うだけで
そのときは何もわからないのですがね。
医学モデルだと
最初に診断がありますが
心理療法では
診断せずに傾聴します。
そして病の意味は
あとでわかるのです。
だから二順夫妻にとっては
今は吉凶混合の時
結果はあとで
わかります。
朝日新聞『獅子頭』第四十九話・五十話 運命
子どもが生まれ
幸福の絶頂にいる
二順は
日本人の旅行者に
料理をほめられても
うれしくありませんでした。
失礼のない程度に
話相手をしていましたが
その人物は
二順を日本に招待
することにした
ようです。
事後報告を受けても
子どもが生まれたばかりだから
無理ですと言うような
無欲な二順は
周囲の人達に
たしなめられて
います。
こういう構図が
運命
というものの
正体なのかな
と思いました。
人が運ぶんですね。
見えるわけですね。
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朝日新聞『獅子頭』第四十九話・五十話 運命
子どもが生まれ
幸福の絶頂にいる
二順は
日本人の旅行者に
料理をほめられても
うれしくありませんでした。
失礼のない程度に
話相手をしていましたが
その人物は
二順を日本に招待
することにした
ようです。
事後報告を受けても
子どもが生まれたばかりだから
無理ですと言うような
無欲な二順は
周囲の人達に
たしなめられて
います。
こういう構図が
運命
というものの
正体なのかな
と思いました。
人が運ぶんですね。
見えるわけですね。
朝日新聞『獅子頭』第四十八話 『崖の上のポニョ』や漱石の主要テーマと不二
子どもの名前は
【雲舞】
PTSD克服の過程で
出会った妻の名が
【雲紗】
現実では
空中から落下しましたが
そういう果敢な二順だからこそ
掬おうとする網が
あります。
東大寺の
華厳の観音さまは
福祉や親子愛や隣人愛が
見放すようなものこそ
掬って下さる網を
象徴しているのです。
実際に世界のどこかに
そういう方がいらっしゃる
のではありません。
どんな人にも
こころというものがあるわけ
ですが
そのこころの奥底に
そういう力が存在する
そういうことを
比ゆ的に教えてくれているのです。
崖の上は危ないからと
安全な道を歩いてゆける人は
ある意味で幸せでしょう。
しかし
世の中には
仕方なく
あるいは
わざと崖の上に
自分の身を投げる人が
あります。
しかし
そんな人を掬う網が
あるのです。
〈 ↑ 役行者が建てた投げ入れ堂〉
明治には漱石が
トラウマ体験克服のヒントを
『門』に著しました。
平成になって宮崎駿は
『崖の上のポニョ』で
子どもにも無関係ではないことを
示しました。
主人公はどちらも
【ソースケ】です。
宗助と宗介
【如人千尺懸崖上樹】
ポ如 崖の上の
禅の古い公案は
何も禅僧の専売特許ではないのです。
命がけで生きようとする人間のために
あるのです。
それが繰り返し繰り返し
表現を変えて
芸術には
立ち現れてくるのです。
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