有名レストランで働く
チャンス
さらには
従業員のまかないを
一人で作らせてもらう
チャンス
ありがたいことです。
感謝しなければなりません。
しかし
…
陰陽の法則から言うと
1つのワナも
あります。
みえないワナだから
たくさんの人が
そこで
自己実現の物語を
終了してしまいます。
西洋の物語なら
ハッピーエンドで
すむのですが
わが国では
ユングの自己実現
(個性化の過程)は
【道】ですから
終了したら
肉体は生きているかも
しれませんが
精神的には
生ける屍です。
PTSDの場合は
吸血鬼や
ゾンビとして
さらに厄介な存在に
なります。
後進に
嫉妬し
あきらめさせたりする
存在になるのです
夢を毎晩見ますね。
精神は生涯夢を観続けているのです。
ニーチェなんかは
東洋思想を
学び
道を【橋】と
表現していますよ。
どうすれば
夢を観つづけられるか?
道を歩き続け
橋を渡り続けることが
できるか?
それは
冒険し続けることです。
タブーを破ること。
前例を破ることです。
二順の場合は
メニューにないものを
作りました。
恋人の雲紗が
そそのかしたのです。
アダムとイブみたいですが
料理長に怒られるかどうか
明日のお楽しみです。
心理療法では
いつも書いてますが
冒険させてもらえないのが
普通です。
人生の醍醐味も
命も
奪うなんて
悪魔だ!
「獅子頭」カテゴリーアーカイブ
朝日新聞『獅子頭』第二十九話 【道】という名の日本版【個性化の過程】
二順と雲紗は
キスをします。
ぎこちなかった二順が
一転ウキウキ
していますと
こわもての
王料理長が
真顔で二順を見て
この一流レストランの
従業員のまかないの
レシピを
渡します。
なんとここのプロたち
全員の食事を
一人で作ることになったのです。
二順は
チャンスに
感謝し
雑技舞台のカーテンコールの
時のように
深々と腰を曲げて
お礼をしました。
キスから一転
奇跡が起こる構図に
【一太極二陰陽】
を思いました。
料理修行と
雑技訓練での問題との
二重奏が
始まります。
ごくごく普通の
ありふれた
日常のなかで
何度も何度も
リセットしながら
個性化の過程を
(自己実現)
歩み続けるのが
東洋的な
【道】ではないかと
思います。
キリスト教文化の
ハッピーエンドはないのですが
より深いんです。
PTSDの克服に関しても
【うつ病】
【学習障害】
【適応障害】
【人格障害】
と誤診されて
気力や学力や
常識を
平均に近づける
トレーニングを
させられ
基準値になったら
おしまいという
コースは仮想のもの
です。
続きを読む
朝日新聞『獅子頭』第二十九話 【道】という名の日本版【個性化の過程】
二順と雲紗は
キスをします。
ぎこちなかった二順が
一転ウキウキ
していますと
こわもての
王料理長が
真顔で二順を見て
この一流レストランの
従業員のまかないの
レシピを
渡します。
なんとここのプロたち
全員の食事を
一人で作ることになったのです。
二順は
チャンスに
感謝し
雑技舞台のカーテンコールの
時のように
深々と腰を曲げて
お礼をしました。
キスから一転
奇跡が起こる構図に
【一太極二陰陽】
を思いました。
料理修行と
雑技訓練での問題との
二重奏が
始まります。
ごくごく普通の
ありふれた
日常のなかで
何度も何度も
リセットしながら
個性化の過程を
(自己実現)
歩み続けるのが
東洋的な
【道】ではないかと
思います。
キリスト教文化の
ハッピーエンドはないのですが
より深いんです。
PTSDの克服に関しても
【うつ病】
【学習障害】
【適応障害】
【人格障害】
と誤診されて
気力や学力や
常識を
平均に近づける
トレーニングを
させられ
基準値になったら
おしまいという
コースは仮想のもの
です。
朝日新聞『獅子頭』第二十八話 鼻?
二順と雲紗は
周囲が
からかうほど
仲良しです。
二順は
どぎまぎ
していますが
都会的でスマートな
雲紗は
まったく
気にせず
「ふん」
と鼻息を吹いて
いました。
しかし
そのうち
急に
雲紗も
ぎこちなく
なりました。
間に
鼻の表現があります。
つい読み飛ばしそうな
なんと言うこともない
ついでに言えば
美しくもなく
文学的でもない
表現ですが…
鼻は
人間が
再生するときの
キーワード
のように
思います。
【古事記】のファイルに
続きを書いて
ゆきます。
続きを読む
朝日新聞『獅子頭』第二十七話 主人公の奇跡と【内観療法】
貧しい農民の
息子
二順が
雑技学校に
入り
料理学校に
入り
二十歳にして
一流レストランで
住み込みの
バイトをしています。
作者の言うように
【奇跡】
でしょう。
途中で
舞台恐怖症に
罹り
ピンチでしたが
何か
目に見えない
大きな力で
自分が導かれ
支えられている
そんな体験をした
人には
PTSDは
超えやすいのでは
ないかと思います。
目に見えない何か
といっても
実態は
些細な人々の親切とか
そういうものですが
なかなか
実感されないので
不思議と
感じるし
1つ1つの親切は
感じても
ありがたさは
ちょっと
感じにくいのだと
思います。
【内観療法】
をまた
思い出しました。
目に見えない
救いの網
を感じる
方法です。
ブランコから
落ちる
二順のような
勇気があり
努力しているのに
窮地に立たされて
孤立無援の
人を
掬う網です。
続きを読む
朝日新聞『獅子頭』第二十八話 鼻?
二順と雲紗は
周囲が
からかうほど
仲良しです。
二順は
どぎまぎ
していますが
都会的でスマートな
雲紗は
まったく
気にせず
「ふん」
と鼻息を吹いて
いました。
しかし
そのうち
急に
雲紗も
ぎこちなく
なりました。
間に
鼻の表現があります。
つい読み飛ばしそうな
なんと言うこともない
ついでに言えば
美しくもなく
文学的でもない
表現ですが…
鼻は
人間が
再生するときの
キーワード
のように
思います。
【古事記】のファイルに
続きを書いて
ゆきます。
朝日新聞『獅子頭』第二十七話 主人公の奇跡と【内観療法】
貧しい農民の
息子
二順が
雑技学校に
入り
料理学校に
入り
二十歳にして
一流レストランで
住み込みの
バイトをしています。
作者の言うように
【奇跡】
でしょう。
途中で
舞台恐怖症に
罹り
ピンチでしたが
何か
目に見えない
大きな力で
自分が導かれ
支えられている
そんな体験をした
人には
PTSDは
超えやすいのでは
ないかと思います。
目に見えない何か
といっても
実態は
些細な人々の親切とか
そういうものですが
なかなか
実感されないので
不思議と
感じるし
1つ1つの親切は
感じても
ありがたさは
ちょっと
感じにくいのだと
思います。
【内観療法】
をまた
思い出しました。
目に見えない
救いの網
を感じる
方法です。
ブランコから
落ちる
二順のような
勇気があり
努力しているのに
窮地に立たされて
孤立無援の
人を
掬う網です。
朝日新聞『獅子頭』第二十六話 高松塚古墳は先人のPTSD予防対策
舞台恐怖症に
なる前に出会った
獅子頭
(肉団子)にも
取り組みます。
味見&批評をする
店主は
文化が違う
のだから
じっくり
研究するしかない
焦って
同じ味を出せる
ものじゃないから
気長に
取り組んだらよいと
アドバイスしてくれました。
心理療法でも
同じです。
何者かとの出会いにより
これまでの
自分の常識を
覆され
新しい
常識を作らなければ
生きていくことが
不可能になった
瀕死の状態が
こころの病
です。
高松塚古墳の
劣化隠蔽が
本日の
朝刊をにぎわせて
いますが
かつて
日本は
大陸の
【陰陽五行説】
の哲学に
出会い、
圧倒され
ショックを
受けました。
それで
古墳をつくったり
お相撲や
皇室の祭祀
お水取りの儀式
なんかを
どんな風に
演出するかというときには
いつもいつも
その哲学を
日本風に取り入れ
習合し続けることで
PTSD化を
避けたんです。
表現開始時点から
苦しみは消えますが、
陰陽五行説の
哲学が
しっかりと
日本人の
無意識に定着するには
大分時間がかかったようです。
今
気づきました。
もしかして
二順は
獅子頭の味に
ショックを受けて
ブランコから
落ちたのでしょうか?
舞台恐怖症になる前に
たまたま
獅子頭を
食べたくらいに
認識していましたが…。
ますます
楽しみになって
きました。
続きを読む
朝日新聞『獅子頭』第二十六話 高松塚古墳は先人のPTSD予防対策
舞台恐怖症に
なる前に出会った
獅子頭
(肉団子)にも
取り組みます。
味見&批評をする
店主は
文化が違う
のだから
じっくり
研究するしかない
焦って
同じ味を出せる
ものじゃないから
気長に
取り組んだらよいと
アドバイスしてくれました。
心理療法でも
同じです。
何者かとの出会いにより
これまでの
自分の常識を
覆され
新しい
常識を作らなければ
生きていくことが
不可能になった
瀕死の状態が
こころの病
です。
高松塚古墳の
劣化隠蔽が
本日の
朝刊をにぎわせて
いますが
かつて
日本は
大陸の
【陰陽五行説】
の哲学に
出会い、
圧倒され
ショックを
受けました。
それで
古墳をつくったり
お相撲や
皇室の祭祀
お水取りの儀式
なんかを
どんな風に
演出するかというときには
いつもいつも
その哲学を
日本風に取り入れ
習合し続けることで
PTSD化を
避けたんです。
表現開始時点から
苦しみは消えますが、
陰陽五行説の
哲学が
しっかりと
日本人の
無意識に定着するには
大分時間がかかったようです。
今
気づきました。
もしかして
二順は
獅子頭の味に
ショックを受けて
ブランコから
落ちたのでしょうか?
舞台恐怖症になる前に
たまたま
獅子頭を
食べたくらいに
認識していましたが…。
ますます
楽しみになって
きました。
朝日新聞『獅子頭』第二十五話 料理修行でPTSD克服
二順と雲紗は
昼は料理学校で
学び
夜は雲紗の両親
相手に
料理の研究・特訓を
続けています。
料理の勉強は
「舌・目・鼻・耳・腕
とにかく
全身をフル稼働して
味の加減を
調えていくもの
である」
と書かれています。
般若心経の
「眼鼻耳舌身(意)」
ですね。
(意)は【気】なのかな?
五行では
舌に通じるのは【心気】
口に通じるのは【脾気】
鼻に通じるのは【肺気】
耳に通じるのは【腎気】
目に通じるのは【肝気】
心は心
身体は身体
とバラバラでもなく
また
心と身体という
大まかな分類ではなく
細やかでありつつ
常に全体性を視野においた
視点が特徴的です。
五感をフル回転させながら
記憶をたどる作業は
(うまくできなかった料理を
一週間後もう一度作って
みます)
料理修行を
しているようであって
PTSD克服への過程
でもあるんですね。
日常で
自然に
PTSDを超えていく
ための
ヒントになるものが
いろいろと
暗示されています。
続きを読む