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朝日新聞『獅子頭』第十一話 獅子頭の二重性

雑技の訓練で疲れた
二順の心身を
食堂のおいしいご飯が
癒してくれます。
しかも
食堂には
父ちゃんがいて 
苦労を見守ってくれていますし
ちょっとえこひいきして
ご飯の底に
獅子頭(肉団子)
忍ばせておいてくれます。
親子であること
そしてこのおまけは
父子の秘密です。
まあ黄先生とかは知っていることですが
このくらい開放された
秘密が
ちょうどいいと思います。
あんまり
閉じられすぎた秘密をもつと
苦しさも倍増しますから。
ほどよい秘密は
こころを癒し
エネルギーとなり
人を大きく成長させます。

年齢的に
ぎりぎりセーフで
入学した雑技学校でしたが、
3年間で
雑技の能力も
格段にアップし
天才的な
鬼猫くんとのペアで
公演を成功させ
厳しい黄先生に
抱きしめ
ほめられるようにまで
なりました。
肉団子のことを
獅子頭というのですね。
そして
第一話に出てきた
獅子頭は
お祭りでみる獅子の被り物でした。
二重の意味をもつ
獅子頭

このお話
ひいては
PTSD克服の過程の
カギになると
予想されます。
物語の重要な
フセンは整いました。
あとは
急成長→急降下→克服
が描かれると
思います。

朝日新聞『獅子頭』第十話 DV被害児は人類の宝

雑技学校の訓練は厳しい。

先生の指導を
まじめに聞き
その通りにしようとするが

なかなか
身体がついていかない。

そこでピシッと
たたかれる。

限界の限界を超える。

そんな努力が
要求される場所です。

これは
【如人千尺懸崖上樹】

千尺の崖の上にいたら
怖さで
一杯一杯

しかしその先へ
飛ばねばならない。

雑技という
スポーツのような
芸術であっても

公案に取り組むのは
寺の修行僧と同じ。

入学前
「サルみたいに木の枝を歩けるようになる」
と言っていたように

人間の限界に
挑戦する。

7歳の
二順も全身全霊をぶつけて修行する。

DVや虐待の被害児も
それは
同じで…

今のままでも
充分過酷なのに

その先を
自力で超えるように
要求される。

暴力を
非暴力で
避けているうちに

神技的な
心身を身に着けた子が多い。

雑技学校では
訓練は厳しくても
時間がきたら
終了
おいしい食事が待っているし

食堂のおじさんは
子どもたちの苦労を知っているから

慈悲をたたえた目を向けつつ
一生懸命うなずき
ねぎらいながら
トレーを一人一人に渡してくれる。

DV家庭だと…

四六時中
神経が休まる暇がない。
誰もわかってくれない。
浴びるのは罵声と暴力のみ。

PTSDに罹患しないほうが
おかしい。

絶望から
無気力や
注意散漫や
混乱が起きても
なんら不思議ではない。

まともな会話がない家庭では
日本語の習得は難しい。

何も
日本人だから
日本語が話せるのではない。

しかし
【言葉が遅い】

表面的な判断で
容易に
【発達障碍】【学習障害】
と診断され、

療育の対象とされる。

下手をしたら
投薬される。

雑技学校に入学すると
人類の限界を超えなければならない。

DV家庭に生まれると
PTSD克服という
未来型の難題に取り組まねば
殺される。

苦境に住む
DV被害児や虐待児は
人類の宝だと思います。

それをいじめる親や
専門家は悪魔です。
続きを読む

朝日新聞『獅子頭』第十話 DV被害児は人類の宝

雑技学校の訓練は厳しい。
先生の指導を
まじめに聞き
その通りにしようとするが
なかなか
身体がついていかない。
そこでピシッと
たたかれる。
限界の限界を超える。
そんな努力が
要求される場所です。
これは
【如人千尺懸崖上樹】
千尺の崖の上にいたら
怖さで
一杯一杯
しかしその先へ
飛ばねばならない。
雑技という
スポーツのような
芸術であっても
公案に取り組むのは
寺の修行僧と同じ。
入学前
「サルみたいに木の枝を歩けるようになる」
と言っていたように

人間の限界に
挑戦する。

7歳の
二順も全身全霊をぶつけて修行する。
DVや虐待の被害児も
それは
同じで…
今のままでも
充分過酷なのに
その先を
自力で超えるように
要求される。
暴力を
非暴力で
避けているうちに
神技的な
心身を身に着けた子が多い。

雑技学校では
訓練は厳しくても
時間がきたら
終了
おいしい食事が待っているし
食堂のおじさんは
子どもたちの苦労を知っているから
慈悲をたたえた目を向けつつ
一生懸命うなずき
ねぎらいながら
トレーを一人一人に渡してくれる。
DV家庭だと…
四六時中
神経が休まる暇がない。
誰もわかってくれない。
浴びるのは罵声と暴力のみ。
PTSDに罹患しないほうが
おかしい。

絶望から
無気力や
注意散漫や
混乱が起きても
なんら不思議ではない。
まともな会話がない家庭では
日本語の習得は難しい。
何も
日本人だから
日本語が話せるのではない。
しかし
【言葉が遅い】
表面的な判断で
容易に
【発達障碍】【学習障害】
と診断され、
療育の対象とされる。
下手をしたら
投薬される。
雑技学校に入学すると
人類の限界を超えなければならない。
DV家庭に生まれると
PTSD克服という
未来型の難題に取り組まねば
殺される。
苦境に住む
DV被害児や虐待児は
人類の宝だと思います。
それをいじめる親や
専門家は悪魔です。

朝日新聞『獅子頭』第九話 DV被害 

雑技の訓練と勉強の
両立は
大変そうです。

雑技の黄先生は
最初に出会ったときは
確か美しい笑顔でしたが

いつの間にかそれは
幻となり
厳しさ一辺倒に大変身です。

注意されて
そのとおりに
直していこうと
努力するのですが
からだがなかなかついていきません。

そのうち
扇子で
パシッとたたかれます。

しかし
痛みと対応して
姿勢はどんどん
よくなっていきます。

鍼灸治療の
痛ギモみたいですね。

雑技も
陰陽の世界です。

6歳の小飛だけは
たたかれる前に
姿勢を直します。

まるで超能力みたいで
ちょっとねたまれてます。

DV被害者から
よく訴えられる話があります。

身体的暴力でないと
そして
その結果としての
大怪我でも見せてもらわなきゃ
DVって言われてもねえと
言う人がいるけど

たたかれっぱなしって人は
そんなにいないですよ。
それは相当重症なDVで
普通は一日中びくびくしてて、
暴力が来るな!って察知したら
なんとかなだめようとしたりするし
いよいよだめなら
逃げますよ」

DVにさらされた精神的暴力による
恐怖感とストレスは相当なものです。

子どもたちも
同様で

雑技学校の小飛君みたいな子も
多いです。

日々鍛えられたんでしょうね。
ぴりっとした魅力にも
映りますから
妬みから
いじめられたりもします。

本人は非暴力ですからね。
ちょっとかわいそうです。

悲しい傷跡とも言えるけど
克服の暁には
きっと
アクロバットのような
ドラマチックな展開を
支えてくれる能力でもある
と思います。
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朝日新聞『獅子頭』第九話 DV被害 

雑技の訓練と勉強の
両立は
大変そうです。
雑技の黄先生は
最初に出会ったときは
確か美しい笑顔でしたが
いつの間にかそれは
幻となり
厳しさ一辺倒に大変身です。
注意されて
そのとおりに
直していこうと
努力するのですが
からだがなかなかついていきません。
そのうち
扇子で
パシッとたたかれます。
しかし
痛みと対応して
姿勢はどんどん
よくなっていきます。

鍼灸治療の
痛ギモみたいですね。
雑技も
陰陽の世界です。
6歳の小飛だけは
たたかれる前に
姿勢を直します。
まるで超能力みたいで
ちょっとねたまれてます。
DV被害者から
よく訴えられる話があります。
身体的暴力でないと
そして
その結果としての
大怪我でも見せてもらわなきゃ
DVって言われてもねえと
言う人がいるけど
たたかれっぱなしって人は
そんなにいないですよ。
それは相当重症なDVで
普通は一日中びくびくしてて、
暴力が来るな!って察知したら
なんとかなだめようとしたりするし
いよいよだめなら
逃げますよ」
DVにさらされた精神的暴力による
恐怖感とストレスは相当なものです。
子どもたちも
同様で
雑技学校の小飛君みたいな子も
多いです。
日々鍛えられたんでしょうね。
ぴりっとした魅力にも
映りますから
妬みから
いじめられたりもします。
本人は非暴力ですからね。
ちょっとかわいそうです。
悲しい傷跡とも言えるけど
克服の暁には
きっと
アクロバットのような
ドラマチックな展開を
支えてくれる能力でもある
と思います。

朝日新聞『獅子頭』第八話 雑技と人類の記憶

雑技学校への
入門テストで
不合格になった
兄大順のこころは

「焼け焦げた餅みたいな
 雲に覆われている」
空模様と
合致しています。

そして
二順を送り出す頃には
涙があふれ
顔を見せることが
できなくなりました。

雨が降り出したん
ですね。

人間という
小宇宙と
天体という
大宇宙が
意識を拠点に
重なりました。

そんな時
誰でも
詩人や哲学者になるのだと
思います。

『雑技は
石器時代に始まる』

とあります。

それで
この学校に入学したら

サルみたいに
木の上を歩けるとか

言ってたんですね。

人間の子が
サルの技術を
取り戻すのは
至難のワザですが

ユングは
言いました。

『意識が目覚める頃

子どもはそこから
現れ出てきたばかりの
心理学的な世界、
すなわち
深い無意識の状態にまだ
密接に繋がっている

7歳の二順は
ぎりぎりセーフで
10歳の大順は
その時期を
はずしてしまった
ようです。

早朝からの
厳しい訓練は

身体をつかった
人類の過去の
記憶への旅
でも
あるのですね。

そして
深く深く
沈殿したひとが

浮力で

高く高く
跳べるのだと
思います。

【百尺竿頭】的なものが
雑技にもあるようです。
続きを読む

朝日新聞『獅子頭』第八話 雑技と人類の記憶

雑技学校への
入門テストで
不合格になった
兄大順のこころは
「焼け焦げた餅みたいな
 雲に覆われている」
空模様と
合致しています。
そして
二順を送り出す頃には
涙があふれ
顔を見せることが
できなくなりました。
雨が降り出したん
ですね。
人間という
小宇宙と
天体という
大宇宙が
意識を拠点に
重なりました。
そんな時
誰でも
詩人や哲学者になるのだと
思います。
『雑技は
石器時代に始まる』

とあります。
それで
この学校に入学したら
サルみたいに
木の上を歩けるとか

言ってたんですね。
人間の子が
サルの技術を
取り戻すのは
至難のワザですが
ユングは
言いました。
『意識が目覚める頃

子どもはそこから
現れ出てきたばかりの
心理学的な世界、
すなわち
深い無意識の状態にまだ
密接に繋がっている

7歳の二順は
ぎりぎりセーフで
10歳の大順は
その時期を
はずしてしまった
ようです。
早朝からの
厳しい訓練は
身体をつかった
人類の過去の
記憶への旅
でも
あるのですね。
そして
深く深く
沈殿したひとが
浮力で
高く高く
跳べるのだと
思います。
【百尺竿頭】的なものが
雑技にもあるようです。

朝日新聞『獅子頭』第七話 子どもとストレス 

二順と兄の大順は

雑技学校で
美人の
黄先生に

身体のテストを受けたようです。

よくわかりませんが
【柔軟性】を
チェックされているような

10分ほどのテストですが
二人にとっては
ちょっと
【痛い】テストでした。

息をとめ
歯を食いしばって
耐えてましたが

身体中から
ぽきぽき響く
関節の【怒り】を
ぐっと我慢しなければ
なりませんでした。

農村から
都会の
雑技学校に入学できるかもしれないと
いう期待があるから
我慢したのでしょう。

それどころか
こんな美人の先生の
近くにいられるなら
たいしたことはない
とさえ言っています。

無意識の防衛機制で言うと
【知性化】かな。

痛いけど
先生といられる
(技のためなら完璧ですが
7歳なので)

そう思って
ストレスに耐える。

耐えていると
平気になってきますからね。
看護婦さんが
血をみても平気になるのと
同じです。

そして
二順は合格
兄の大順は不合格

運命の分かれ道です。
二つの【順】のフセン
できました。

兄の性格は
すでに変化の兆しをみせています。

不合格のショックと
弟への嫉妬から
寝てる弟を一蹴りしますが
起こしてやっていることにも
なります。

いじわるに徹するなら
こうはなりませんから

兄なりに
ぎりぎりの
折り合いをつけながら
自分をなっとくさせているのでしょう

10歳でも
このくらいの
ストレス克服は
普通に【自力】
こなしながら
成長しているもの
なのでしょうね。
続きを読む

朝日新聞『獅子頭』第七話 子どもとストレス 

二順と兄の大順は
雑技学校で
美人の
黄先生に
身体のテストを受けたようです。
よくわかりませんが
【柔軟性】を
チェックされているような
10分ほどのテストですが
二人にとっては
ちょっと
【痛い】テストでした。
息をとめ
歯を食いしばって
耐えてましたが
身体中から
ぽきぽき響く
関節の【怒り】を
ぐっと我慢しなければ
なりませんでした。
農村から
都会の
雑技学校に入学できるかもしれないと
いう期待があるから
我慢したのでしょう。
それどころか
こんな美人の先生の
近くにいられるなら
たいしたことはない
とさえ言っています。
無意識の防衛機制で言うと
【知性化】かな。
痛いけど
先生といられる
(技のためなら完璧ですが
7歳なので)
そう思って
ストレスに耐える。
耐えていると
平気になってきますからね。
看護婦さんが
血をみても平気になるのと
同じです。
そして
二順は合格
兄の大順は不合格
運命の分かれ道です。
二つの【順】のフセン
できました。
兄の性格は
すでに変化の兆しをみせています。
不合格のショックと
弟への嫉妬から
寝てる弟を一蹴りしますが
起こしてやっていることにも
なります。
いじわるに徹するなら
こうはなりませんから
兄なりに
ぎりぎりの
折り合いをつけながら
自分をなっとくさせているのでしょう

10歳でも
このくらいの
ストレス克服は
普通に【自力】
こなしながら
成長しているもの
なのでしょうね。

朝日新聞『獅子頭』第六話 一太極二陰陽の予感

二順と兄は
父親に連れられ
雑技学校へ向かっていますが…

今の日本と違い、
農村と都会の違いは
歴然

掛け合い漫才の
ボケとツッコミさながらに
おおはしゃぎしています。

本人は大真面目に言っているのですが
バスなんてのを初めて見たので
「家が走ってる」なんて発言の
オンパレードですからね。
ぼけてるようにしか見えない。

ボケとツッコミ
陰と陽ですね。
落語では一人で
陰と陽を演じます。

あっち向いたり
こっち向いたり
しながら

話はどちらでもない
オチを迎えます。

西洋の【二元論】に対して
我々には
易陰陽五行の説の
【一太極二陰陽】の法則があるのでは?
とは私の持論です。

田舎と都会を
統合するとかじゃなくて
都会人になっておしまいと
いうのではなくて
もっと大きなスケールの話に
なるはずです。

学校について
美人の先生に
挨拶します。

農村では
見たことがないような
美人です。

雑技の修行というものの
精神性を暗示しているような
予感もします。

 
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