箱庭療法」カテゴリーアーカイブ

箱庭療法の水と砂

PTSD研究家翠雨の日記
箱庭の箱の中には
砂があります。
砂を一面に
なだらかにした状態で
「どうぞ」と
言われます。
①砂の上にミニチュアを置く人
②砂の感触を楽しみながら
 山や川など作ってから
 ミニチュアを置く人
③砂に字や絵を描く人
砂を触るかどうかは
結構重要です。
砂を触るときは
心を根本から
再編成したいと
思っているとき
砂に触れないときは
そこまでの変化を
求めていないとき
必要がない場合もあるし
心が崩れるようで
恐ろしいから回避している
場合もあります。
砂を動かせば水が生まれます。
 ―縁起の世界です。
  すべては関わっています。
  砂を触れば水を呼ぶのです。
表現は自己表現ですから
場合によっては
こころに地震と津波が
起こることもあります。
 ―無意識ですから
  直接「大変ダー」とは
  感じませんが…
聖書にはノアの洪水のことが
書かれていますし
日本もかつて
陰陽五行説が輸入されたときに
文化的洪水で
水浸しになりました。
洪水からの立ち直りは
世の東西共通の
無意識的モチーフです。
洪水は起こっても
よいのです。

DV被害児のトラウマと箱庭療法

DVシェルターにやってくる子は
箱庭大好きです。

外部の方々は
「疲れてて
したくないんじゃないの?」って
言います。

私も最初そう思ってました。
【二次被害防止】のために
こちらからは何も聴くなするなと
重々言われてましたし…

でもこれって
【うつ病】の発想ですね。

本物のうつ病なら
何もしたくないし
何もできないです。

ただただしんどいって
感情反応があるだけ。

こちらも
無理させちゃいけません。

休養が必要です。

そして
精神科で投薬治療してもらわねば
ならない対象です。

でもDVシェルターの子どもたちは
時にはけんかになりそうなくらい
箱庭表現をしたがります。

 
なぜでしょう。

表現され
受容され
理解されることで
自己融解したいと
待ち構えている
トラウマ
(心的外傷)

あるからです。

「自分の世界創るって
気持ちいい!」って
言ってますよニコニコ
続きを読む

箱庭療法って?

箱庭療法ってことで
時々書いてますが

こういうのです。

砂の箱に

こんな風にも置けるし

PTSD研究家翠雨の日記

こんな風にも置けます。
PTSD研究家翠雨の日記

置かない自由もあります。

つまり自由なんです。

そして同じものは1つもないですから

すべては自己表現です。

自己は
自己チューの自己ではなく
  ―これは【自我】や【意識】です。

仏教でいう【真の自己】
  ―ユングの自己実現の自己は
   これに近いです。

PTSD研究家翠雨の日記
  ―『十牛図』の第一図
   自分の牛が居なくなって不安げに
   探してます。
   牛=真の自己です。

自分がどうなりたいか
それには何が邪魔なのか
どうしたらいいのか

自分のこころに聴く方法です。
続きを読む

DV被害児のトラウマと箱庭療法

DVシェルターにやってくる子は
箱庭大好きです。
外部の方々は
「疲れてて
したくないんじゃないの?」って
言います。
私も最初そう思ってました。
【二次被害防止】のために
こちらからは何も聴くなするなと
重々言われてましたし…
でもこれって
【うつ病】の発想ですね。
本物のうつ病なら
何もしたくないし
何もできないです。
ただただしんどいって
感情反応があるだけ。
こちらも
無理させちゃいけません。
休養が必要です。
そして
精神科で投薬治療してもらわねば
ならない対象です。
でもDVシェルターの子どもたちは
時にはけんかになりそうなくらい
箱庭表現をしたがります。

 
なぜでしょう。
表現され
受容され
理解されることで
自己融解したいと
待ち構えている
トラウマ
(心的外傷)

あるからです。
「自分の世界創るって
気持ちいい!」って
言ってますよニコニコ

箱庭療法って?

箱庭療法ってことで
時々書いてますが
こういうのです。
砂の箱に
こんな風にも置けるし
PTSD研究家翠雨の日記
こんな風にも置けます。
PTSD研究家翠雨の日記
置かない自由もあります。
つまり自由なんです。
そして同じものは1つもないですから
すべては自己表現です。
自己は
自己チューの自己ではなく
  ―これは【自我】や【意識】です。
仏教でいう【真の自己】
  ―ユングの自己実現の自己は
   これに近いです。
PTSD研究家翠雨の日記
  ―『十牛図』の第一図
   自分の牛が居なくなって不安げに
   探してます。
   牛=真の自己です。
自分がどうなりたいか
それには何が邪魔なのか
どうしたらいいのか
自分のこころに聴く方法です。