西田哲学」カテゴリーアーカイブ

第52回全日本こけしコンクールと少子化

PTSD研究家翠雨の日記
こけしは子消しです。
悲しいことですが
人間の尊厳は
歴史に翻弄されてきました。
軍人がたくさん必要な時代には
産めよ増やせよ
進駐軍の問題や
引き上げの地獄の
敗戦の混乱時には
優性保護を
考えました。
少子化の加速は
日本人の集合的無意識
歴史から学んだ結論
なのでしょう。
政治の力より
大和魂の方が
一枚上手です。
西田幾多郎は
そういう知恵を
【歴史的身体】
呼びました。

上方落語まつりの米朝さん「どう坐ったらいいか?」の【象徴性】

PTSD研究家翠雨の日記

昨夜開幕した
落語家約90人が
話芸を繰り広げる
大規模なイベント
「上方落語まつりinミナミ」の
一幕です。

人間国宝の桂米朝さん(84)は
正座を続けるのが難しく
急きょ用意されたいすに
座り直されたのですが

こんなややこしいところに
座らされて

どないしていいか分からん」と話すと
客席から温かい拍手が起きました。

【坐る】ことは…
坐禅でこころを整えたりしますし
日本人のこころと文化に
密接に関わっているものですよね。

ややこしくて
どう坐ったらいいか
わからないえっ
というのは

   ―確かに坐りにくいですから
    そう言っておられるに
    すぎないのですが―

実は
多くの人が今実感している
居心地の悪さの【象徴】でもあるひらめき電球
ように感じました。

PTSDなんかになると
いたたまれない!
という状態になります。
【居た堪れない】と書くようです。

そして聴衆の
温かい拍手に

拍手の意味を改めて
感じました。

【拍手】はかしわで
ですね。

【合掌】も似たような意味でしょうが
右手と左手で
【陰陽】です。

手偏(てへん)に【シロ】
花咲かじいさんの犬は〈シロ〉
因幡の白兎も〈シロ〉
シロは陰陽五行では金気で
固く固く結実した秋の木の実のような
ものです。

意識を集中して集中して
起こる【純粋経験】ひらめき電球
 西田幾多郎のいう
 主客のない無我の境地です。
 わが国を代表する西田哲学は
 ここから出発しています。

陰陽五行では【太極】
 つまりは混沌です。

『どうしていいかわからない』
『それでよいのですよ』
(そうでなくてはならないのですよ)

米朝さんと聴衆の無意識のやりとりが
聞こえるような気がします。

だから
居心地のよい可笑さひらめき電球を感じる
のではないですか?

日本人の【集合的無意識】としての
(共通認識・コモンセンス)

【一太極二陰陽】のリセットの法則を
感じました。

スサノヲも泣きながら
混沌である【太極】に退行し
リセットして
日本の無意識の歴史を築いています。

日本人ならドキドキ
どうしていいかわからない
絶体絶命叫びから
始めましょう!
続きを読む

上方落語まつりの米朝さん「どう坐ったらいいか?」の【象徴性】

PTSD研究家翠雨の日記
昨夜開幕した
落語家約90人が
話芸を繰り広げる
大規模なイベント
「上方落語まつりinミナミ」の
一幕です。
人間国宝の桂米朝さん(84)は
正座を続けるのが難しく
急きょ用意されたいすに
座り直されたのですが
こんなややこしいところに
座らされて

どないしていいか分からん」と話すと
客席から温かい拍手が起きました。
【坐る】ことは…
坐禅でこころを整えたりしますし
日本人のこころと文化に
密接に関わっているものですよね。
ややこしくて
どう坐ったらいいか
わからないえっ
というのは
   ―確かに坐りにくいですから
    そう言っておられるに
    すぎないのですが―
実は
多くの人が今実感している
居心地の悪さの【象徴】でもあるひらめき電球
ように感じました。
PTSDなんかになると
いたたまれない!
という状態になります。
【居た堪れない】と書くようです。
そして聴衆の
温かい拍手に
拍手の意味を改めて
感じました。
【拍手】はかしわで
ですね。
【合掌】も似たような意味でしょうが
右手と左手で
【陰陽】です。
手偏(てへん)に【シロ】
花咲かじいさんの犬は〈シロ〉
因幡の白兎も〈シロ〉
シロは陰陽五行では金気で
固く固く結実した秋の木の実のような
ものです。
意識を集中して集中して
起こる【純粋経験】ひらめき電球
 西田幾多郎のいう
 主客のない無我の境地です。
 わが国を代表する西田哲学は
 ここから出発しています。
陰陽五行では【太極】
 つまりは混沌です。
『どうしていいかわからない』
『それでよいのですよ』
(そうでなくてはならないのですよ)
米朝さんと聴衆の無意識のやりとりが
聞こえるような気がします。
だから
居心地のよい可笑さひらめき電球を感じる
のではないですか?
日本人の【集合的無意識】としての
(共通認識・コモンセンス)
【一太極二陰陽】のリセットの法則を
感じました。
スサノヲも泣きながら
混沌である【太極】に退行し
リセットして
日本の無意識の歴史を築いています。
日本人ならドキドキ
どうしていいかわからない
絶体絶命叫びから
始めましょう!

二人のキタロウ ~ゲゲゲの鬼太郎&西田幾多郎 

$PTSD研究家翠雨の日記

西田幾多郎の
哲学は
純粋経験が
基本となっている。

主観とか客観とかを
絶した視点で
物事を
純粋に観る。

陰陽五行で言えば
主観&客観(陰陽)を
絶した太極から
見直す姿勢である。

太極からの視座を得たら
もう前に進むしかなくなる。

日本の文化も
哲学も宗教も
どこをとっても
このリセットの思想に
貫かれている。

鬼太郎は
3つの目をもつ

人間は2つ目では
救われない。

純粋な目を
もたねば
生きていけないことを

戦争により
心身に多大な外傷を負いながら
外傷を受けた南国で出会った
ファンタジーに救われた
水木しげるさんも
訴えている。
続きを読む

花咲かじいさん⑪  西田哲学の純粋経験

『花咲かじいさん』の
話は

純粋なこころの持ち主である
おじいさんの存在から
始まります。

これなくしては
物語は
始まらなかったのです。

自己実現するにも
純粋なこころが
出発点になると思います。

何もいつも
純粋でなければならない
というような
お説教では
ありません。

純粋であろうとするから
隣人の邪悪なおじいさんとも
出会うのです。

そして
善悪(陰陽)
織り成す
試練に鍛えられて

―どんなに
ひどいことをされても
傷ついた子犬のことを
全身全霊で
(夢でも大事にしながら)
思い続けていると―

本当の自分が
だんだん見えてくるのだと
思います。

どうでもいいことかも知れませんが…

日本を代表する
哲学者

西田幾多郎の
哲学も
【純粋経験】から
始まります。
続きを読む

二人のキタロウ ~ゲゲゲの鬼太郎&西田幾多郎 

$PTSD研究家翠雨の日記
西田幾多郎の
哲学は
純粋経験が
基本となっている。
主観とか客観とかを
絶した視点で
物事を
純粋に観る。
陰陽五行で言えば
主観&客観(陰陽)を
絶した太極から
見直す姿勢である。
太極からの視座を得たら
もう前に進むしかなくなる。
日本の文化も
哲学も宗教も
どこをとっても
このリセットの思想に
貫かれている。
鬼太郎は
3つの目をもつ
人間は2つ目では
救われない。
純粋な目を
もたねば
生きていけないことを
戦争により
心身に多大な外傷を負いながら
外傷を受けた南国で出会った
ファンタジーに救われた
水木しげるさんも
訴えている。

花咲かじいさん⑪  西田哲学の純粋経験

『花咲かじいさん』の
話は
純粋なこころの持ち主である
おじいさんの存在から
始まります。

これなくしては
物語は
始まらなかったのです。
自己実現するにも
純粋なこころが
出発点になると思います。
何もいつも
純粋でなければならない
というような
お説教では
ありません。
純粋であろうとするから
隣人の邪悪なおじいさんとも
出会うのです。

そして
善悪(陰陽)
織り成す
試練に鍛えられて
―どんなに
ひどいことをされても
傷ついた子犬のことを
全身全霊で
(夢でも大事にしながら)
思い続けていると―
本当の自分が
だんだん見えてくるのだと
思います。
どうでもいいことかも知れませんが…
日本を代表する
哲学者
西田幾多郎の
哲学も
【純粋経験】から
始まります。

西田幾多郎の善とユングの自己実現⑤ PTSD克服=善

「ありのまま」
とか
「あなたはそのままで
いい」

とか
言いますが

そして
耳障りはいいですが

「ありのまま」にも
大きく
二種類あって

たいていは
普遍的無意識
(集合的無意識)

そのままの
人間なんですね。

集合的無意識は
その集合においては
宗教と言っても
差し障りがないくらい
当たり前の
常識のことです。

しかし
未来から見ると
全く非常識このうえない
ものなのです。

PTSDに罹患すると
誰でも
未来からの視線を
もってしまう
のです。

持てた
というべきか

持ってしまった
というべきか

前者だと
思いますが

苦難の道です。
しかし
それを
個性化の過程
(自己実現)
と言います。

【昇華】の物語です。
かぐや姫の昇天の
物語です。
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西田幾多郎の善とユングの自己実現④ 普遍的無意識と二次被害の関係

群生する
しばしば
厄介者扱いされるほど
繁殖力の高い

これが
ユングのいう
普遍的無意識
(集合的無意識)
です。

ありのままの
自然の恐ろしさです。

PTSDだけでも
辛いのに
うそつき扱いしたり
先天性の
不治の病扱いしたりして
まともに話を聞いてあげないことで
おこる
二次被害の
加害者とは
集合的無意識に
他なりません。

二次被害防止の
困難さは
ここにあるのです。
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西田幾多郎の善とユングの自己実現③ かぐや姫

竹は竹、
松は松と
各自その天賦を
充分に発揮するように、
人間が人間の
天性自然を発揮するのが
人間の善である。

群生する
しばしば
厄介者扱いされるほど
繁殖力の高い
ですが

そのなかにも
ほのかに
光るものがあり

愛情を注ぎながら
見つめていたら

神々しさが増し

月そのものと
同一になるような

そんなものが
人間には
あるということを
『竹取物語』は
示して
いるのだと思います。
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