主人公が師とであったころの
絵です。
木の根っこを
ふりかえって
観ています。
無意識的には
自分の魂のルーツが
気になっていたのですね。
類稀な
絵の才能は
トラウマの昇華の
(半ば封印されてはいましたが)
パワーだったのでしょう。
こういうことは
後になって
わかることが
多いです。
そのときはただただ
表現する
それが大事だと
思います。
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主人公が師とであったころの
絵です。
木の根っこを
ふりかえって
観ています。
無意識的には
自分の魂のルーツが
気になっていたのですね。
類稀な
絵の才能は
トラウマの昇華の
(半ば封印されてはいましたが)
パワーだったのでしょう。
こういうことは
後になって
わかることが
多いです。
そのときはただただ
表現する
それが大事だと
思います。
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父母を殺されたショックの
PTSDから
部分的に記憶喪失を
起こしていましたが
だんだん記憶が蘇り
氷解してゆきます。
主人公は涙を流しながら
若かった父と再会し
若かった母と再会し
幼かった自分とも
再会します。
悲しいから泣いているのではなく
懐かしさのまじった
不思議な涙です。
生まれ変わった主人公は
師とも出会いなおします。
どちらも泣いています。
亡くなった母に会いたがって
大泣きしたスサノヲと
同じです。
古事記は
PTSDについて
実に象徴的に
描かれているのです。
研究が頓挫劣化したユング派学者が
高松塚古墳の劣化に出会うという
共時性に打たれ
倒れる。
共時性って
カミナリみたいなものですね。
あれは
なんと象徴的な出来事だったので
しょうか。
続きを読む
顔のない
不思議な肖像画から
顔が浮かび上がり
この顔をみて
主人公は
気絶しました。
気絶してからも
悪夢を見て
うなされます。
浮かび上がったのは
両親を殺した人の顔
だったのです。
10年前
まだ幼かった主人公は
ショックで父親の名前さえ
忘れてしまっていたのですが
すべて思いだしました。
主人公の師は
意識を回復した主人公に
「顔が浮かび上がったとき
倒れたのを
覚えているか?」と
すぐに聞いています。
トラウマを複雑化させない
ための
大事な応急処置ですね。
事情は何も知らなくても
このくらいのことが
当たり前にできなくては
なりません。
そして驚かされるのは
やはり
絵とイメージや記憶の
関係です。
続きを読む
顔のない肖像画が
みつかりました。
晩年の大画人が残したものですから
駄作ではありません。
―今の学者なら認知症というでしょう
何か【妙】だと感じた
主人公らは
紙工場の職人と一緒に
紙の性質
使われた墨の性質を
よく調べ
吟味しながら
隠された顔を
浮かび上がらせました。
高松塚古墳も
英知を結集して
壁画の性質をしっかり
科学的に分析し
対応すべきだったはずです。
そして
「女人だ!」
ではなく
その女人が何を意味しているのか
心理学者が
民俗学者や歴史学者
哲学者らと
結集して
分析しなければ
単なる墓荒らしと
変わりません。
続きを読む
主人公の師が言います。
「時には
絵を絵としてではなく
象徴として使う」
知人に言われ
はっとしたことを
思い出しました。
「名前は易だ」
字画とか意味とか
響きとか
いろいろ考えながら
よい名前をつけますね。
昔は八卦見さん
つまり易者さんが
つけたものです。
PTSDのトラウマの謎も
同じでしょう。
公案みたいなものですから
常識では
解けません。
宗教や哲学を含めた
無意識のメカニズムをしっかり
学びなおさなければ
ならないでしょう。
キトラ古墳に
四神が描かれた意味なんて
陰陽五行なしに
なにも分からないと思いますよ。
高松塚の女人は
少しひねってますが
やはり陰陽五行です。
ドラマでも
そのまま描くと始末される危険性が
あるとき
そういう手法が使われています。
たった一話
一時間のなかに
PTSD満載です。
こんなきれいな女性が
数日間
水も飲まなくなりました。
かつて好きだったものも
受け付けませんし
食べないと身体に毒だと言われても
無理です。
これも心因反応です。
主人公のことが好きだったのですが
主人公が実は女性だったことを
知り
ショックで寝込んでしまったのです。
お世話係の若い女性ですら
そのことを知っています。
わが国の箱庭療法の代表的な
論文では
せっかくの箱庭作品も観ず
せっかく打ち明けてくれた話も
うそっぽいと却下し
病院中で
食べさせることに躍起になっています。
かぐや姫をわがままだと
いう見立ての間違いが
根本的な間違いです。
専門書を読む前に
このドラマを観てたら
こじらせることも
なかったと思いますよ
父母を殺されたショックの
PTSDから
部分的に記憶喪失を
起こしていましたが
だんだん記憶が蘇り
氷解してゆきます。
主人公は涙を流しながら
若かった父と再会し
若かった母と再会し
幼かった自分とも
再会します。
悲しいから泣いているのではなく
懐かしさのまじった
不思議な涙です。
生まれ変わった主人公は
師とも出会いなおします。
どちらも泣いています。
亡くなった母に会いたがって
大泣きしたスサノヲと
同じです。
古事記は
PTSDについて
実に象徴的に
描かれているのです。
研究が頓挫劣化したユング派学者が
高松塚古墳の劣化に出会うという
共時性に打たれ
倒れる。
共時性って
カミナリみたいなものですね。
あれは
なんと象徴的な出来事だったので
しょうか。
顔のない
不思議な肖像画から
顔が浮かび上がり
この顔をみて
主人公は
気絶しました。
気絶してからも
悪夢を見て
うなされます。
浮かび上がったのは
両親を殺した人の顔
だったのです。
10年前
まだ幼かった主人公は
ショックで父親の名前さえ
忘れてしまっていたのですが
すべて思いだしました。
主人公の師は
意識を回復した主人公に
「顔が浮かび上がったとき
倒れたのを
覚えているか?」と
すぐに聞いています。
トラウマを複雑化させない
ための
大事な応急処置ですね。
事情は何も知らなくても
このくらいのことが
当たり前にできなくては
なりません。
そして驚かされるのは
やはり
絵とイメージや記憶の
関係です。
顔のない肖像画が
みつかりました。
晩年の大画人が残したものですから
駄作ではありません。
―今の学者なら認知症というでしょう
何か【妙】だと感じた
主人公らは
紙工場の職人と一緒に
紙の性質
使われた墨の性質を
よく調べ
吟味しながら
隠された顔を
浮かび上がらせました。
高松塚古墳も
英知を結集して
壁画の性質をしっかり
科学的に分析し
対応すべきだったはずです。
そして
「女人だ!」
ではなく
その女人が何を意味しているのか
心理学者が
民俗学者や歴史学者
哲学者らと
結集して
分析しなければ
単なる墓荒らしと
変わりません。