平成の世の順教尼とその苦悩

大石順教尼は日本中を震撼させた話題の事件の被害者です。
しかし、身障者となった自身の姿を見世物として
寄席や地方巡業で生計を立てながら
両親を養ったそうです。

なんということでしょう。
PTSDを癒されるどころか
傷口に塩を塗られるような日々ではないですか。

現在のPTSD罹患者の境遇もさしたる違いはないと思います。

確かに臨床心理学などというものがあり
トラウマやPTSDというものが周知のものとなりはしましたが
またDVシェルターなんてものもないことはありませんが
そのPTSDの孤独と苦しみは順教尼のそれとなんら変わりがありません。

PTSDだけでもつらすぎるのに
まともな治療が施されるどころか
誤解され
殆どキワモノ扱いされることも珍しくありません。
平成の世にも見世物としての順教尼がたくさんおられます。

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