絶望の淵にあるからこそ見えるものが自他を救う

順教尼の話の続きです…

事件から3年後の巡業中のある日
鳥篭の中のカナリヤを見て心を打たれました。
親鳥が雛に口で餌を運んでいる姿です。
凡人にはなんということもない光景です。

しかし傷つき絶望の淵にある順教尼の目にはこう映りました。
『鳥は手が無くても一所懸命生きている!』

順教尼は、筆を口にくわえ
書画の苦しい修行をし
学問をし
明治45年(1912)には日本画家の山口草平と結婚し一男一女の母となりました。

関東大震災に遭遇したり、夫と離婚したりしますが
昭和に入った頃から「堀江事件」の犠牲者等の冥福を祈るために仏道生活に入りました。
そして自身と同じように身体に障碍をもつ女性の収容と教育を始めました。
昭和8年(1933)には、出家・得度し
昭和11年(1936)には、勧修寺境内に身体障害者福祉相談所を開設、昭和26年(1951)に仏光院を建立しました。
書画では昭和30年(1955)日展に入選し
昭和37年(1962)、日本人初の世界身体障害者芸術協会の会員に選ばれています。
身体障害者の心の母、慈母観音と慕われた生涯でした。

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