かぐや姫と華厳の癒し

ポニョが掬われた網と
華厳の網の関係について
すでに書きましたが、
フツーの人のこころのなかに
本当はそういう
癒しのメカニズムがあるんですね。
それを感じてもらうために
仏像や仏画があるのだと思います。
PTSD研究家翠雨の日記
でも
「仏像なんか古くさ!」
「抹香くさいお説教ならまっぴらごめん」
なんていう人もいるから
(案外若者はそうでもないのですが…)
『崖の上のポニョ』など
アニメも必要なのですね。
ところが
心理療法でこのようなことが
常識になっているかといえば
残念ながら
こんなことを言っているのは
少数派です。
ある摂食障害のケースの話ですが、
ご多分にもれず
【かぐや姫イメージ】などが
表現されています。
輝く姫ですから
光源氏と並んで
華厳的で高貴な存在ですね。
しかし
まったく傾聴してもらえません。
高貴な方を
上から目線で指導するものですから
攻防が続き
そのうち
華厳の
セーフティネットワークのイメージが
出現しました。
最後の砦である
病院のスタッフが一丸となって
小さな女の子の訴えを
弾き飛ばすのですから
そういう子こそ救う
イメージが無意識に働くのです。
寒さと貧しさとDVの恐怖にさらされた
瀕死の
『マッチ売りの少女』の脳裏に浮かんだ
幻想の癒しみたいなものでしょうか。
しかしそれが
仏教的に解釈されることはなく、
そこでもらったダイヤモンドについて
女の子はとても意味を感じているのに
子どもにふさわしくないと
断罪されたりしています。
まるで継母ですね。
ダイヤモンドは金剛石で
不屈の精神のイメージでしょうに。
立派な子だと思います。
そういう子が
ポニョのように
華厳の網に引っかかるのでしょう。
しかし
心理療法の基本中の基本である
【ラポール】と【傾聴】は
どこに行ったのでしょうか?
命が助かればそれでよいのでしょうか?
みんなでよってたかって
これが
DVというものではないか
と思います。
この論文は
学会奨励賞を受賞し
受賞者は
学会理事として
後進を指導しています。
【車輪の下数珠つなぎ】の絶望は
こんな巨大なシステムに支えられているのです。
ただ
かぐや姫の多くは
根性があり
めったに病院に行かないのが
唯一の救いです。
治癒した人の殆どは
やはり
【自力】です。

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