医大学長、医学部長らでつくる
全国医学部長病院長会議
(会長・小川彰岩手医科大学長)は
22日、
民主党と政府に提出したと発表しました。
反対の理由は
教員確保のために
地域病院から医師が引きはがされ、
「地域医療を崩壊させる」からです。
会議は
医学部のある全80校の学長、学部長と
付属病院長の計160人で構成されています。
要望書では、
医学部一つの運営に
650人程度の臨床教員が必要で、
30~40代の病院勤務医が
候補になるということです。
人口100万人当たりの勤務医数は
大学病院を除くと約960人であることから、
「新設すれば、
100万人規模の県の勤務医を
3分の2以上現場から連れ去る」
と批判しました。
同様の理由で、
既存医学部の定員急増にも
懸念を表明しています。
最近の入学定員増の
効果がまだ出ていない現状でも
医師数が増えていると強調し、
いったん設備投資や教員雇用をした後
で定員削減するのは難しいとの
訴えです。
精神科領域で言えば
不足しているのは
医師ではなく
正しい診断です。
その背景に正義感と科学性の欠如があります。
うつ病の殆どが誤診だと
通告されながら
事実を【否認】し
3万人の自殺者との関係は不問にする。
悪魔ばかり増やしても仕方がありません。
月別アーカイブ: 2010年2月
PTSDのつらさを『崖の上のポニョ』から考えてみる
如人千尺懸崖上樹
↑ ↑
ポニョ 崖の上の
千尺は
300メートルくらいですね。
サハラ砂漠は
砂の砂漠ばかりでなく
礫砂漠もあって
そこには【峡谷】があります。
その峡谷が大体300メートルあり
出来上がるのに
4億年かかっているそうです。
どうやってできたか?
それは水の浸食によってできたのですね。
今は砂漠でも
長い歴史のなかでは
豊かな水のある土地だったりしたのです。
アルジェリアに
タッシリ・ナジェールという
礫砂漠がありますが、
タッシリ・ナジェールとは
川のある大地という意味です。
壁画を見ると
そこがかつてみどり豊かな土地であったことが
わかります。
『崖の上のポニョ』では
街が水没し
ポニョと宗介は舟に乗って
避難地へ向かうのですが、
宗介が
古代魚を見つけ
デボン紀の海の生き物だと言っています。
PTSDに罹患して
つらいのは
意識的には
300メートルの崖の上に生えている
木にかろうじてかじりついているという
恐怖で一杯一杯なのに
無意識的には
(監督は海=無意識と書いておられますから)
4億年も前の地球の魂の歴史を見据えたうえで
自分の立ち位置を決めるという
気が遠くなるような
作業を科せられているから
だと思います。
ある哲学者が
自分は哲学をするように
罰せられていると言ったようですが、
そもそも哲学なんていうものは
したくてするのではなくて
生きるために
しかたなくさせられているものではないかと
思います。
だから
ポニョに宗介がいたように
PTSDに罹患した人には
伴走者が必要なのです。
上から目線で教育するのではなくて
一緒に共振れしながら
傾聴してくれる人が必要なのです。
『崖の上のポニョ』の海②
宮崎駿監督は
この作品では
海=無意識
と言明しています。
その海の中では
ポニョと妹たちが遊んでいます。
一即多の象徴表現ですね。
一即多 多即一は
華厳経の根本思想の1つです。
要するに
背景にキリスト教がある
『人魚姫』ではなく
華厳思想を背景とした
『崖の上のポニョ』が
描かれているのです。
日本人のこころによりそうには
西洋の心理学そのものではダメで
東洋的に翻訳する作業が必要です。
しかしそれができていないのです。
おまけに【象徴】が使えないと
おっしゃる方が多いのは嘆かわしいことです。
西洋の【象徴】を当てはめようとするから
だとなぜ気がつかないのでしょう。
それで【知的障害】や【人格障害】【適応障害】として
教育するのです。
【傾聴】が心理療法の定石で
薬が使えないわれわれには
【傾聴】しかないのに…です。
『崖の上のポニョ』の海①
『崖の上のポニョ』の
映画のパンフレットの
【監督企画意図】の頁で
宮崎駿監督は
「…生き物のような海。
魔法が平然と姿を現す世界。
誰もが意識下深くに持つ
内なる海と、波立つ海洋が通じ合う。
…」
と書いておられます。
この絵は
ポニョの父母です。
まず目につくのは
その対比です。
母は海そのもののような
大きな存在で
父はそこに浮かぶ
ちっぽけな人工の舟の上にいる
心もとない存在です。
自分では
目一杯カッコつけてるつもりですが…。
これは父と母というよりは
意識と無意識と考えたらいいでしょう。
(たしかにDV問題では
これは男女の力関係そのものです。
男性は実は女性が怖いのです)
【我考う。ゆえに我あり】とか言いますが、
考う(意識できる)ことはちっぽけな一部分です。
意識を包む無意識の海を
敵に回したら
大変なことになります。
でも逆に
うまく使えば【魔法】が使えると
書いてあるんですね。
そしてそれは特殊な人の話ではなくて
【誰もが持つ意識下の海】についてなんですね。
PTSDに罹患すると
海が大嵐になります。
しかし
【魔法】があるから
あきらめちゃダメだという
メッセージが
この作品にはこめられています。
解離現象としての【車輪の下数珠つなぎ】
『阿修羅』で
解離の文学性を表現した
玄侑宗久さんは
「わたし」の都合で
無意識的にまとめられてしまう人格と
そこからはみだし
解離していく「わたし」たち
の物語について
何年かかっても
書きたいと思った
とのことです。
ポニョ & 妹たち
一 即 多
華厳の根本思想の1つです。
【一即多】【多即一】
妹たちの精神レベルだと
フジモトの都合でまとめても
家庭は明るく円満ですが、
ポニョのように目覚めますと
フジモトの都合で
閉じ込めようとしても
はみ出していきます。
一度はみ出し始めたものは
誰にも
抑えつけることはできません。
「あなたはうつ病だ」という【偽診】
【偽診】にもとづく医師によるOD
傾聴せず【否認】し【教育】する心理療法
【常識】という名の
(本当はとんでもない非常識!)
物凄く強力な圧力で1つにまとめようとしていますが
【車輪の下】数珠つなぎという【解離】が
すでに発生し
誰にも止めることができません。
かつて金太郎飴のように【臨床心理士派遣】だったように
【研究者派遣】はなぜおこらないか?!
…できないのがわかっているから…ですね
玄侑宗久『阿修羅』【解離】の文学性
寺島しのぶさん海外で最優秀女優賞受賞の快挙
第60回ベルリン国際映画祭の授賞式が
21日(現地時間20日夜)に開かれ、
若松孝二監督の映画「キャタピラー」
(今夏公開予定)に主演した
寺島しのぶ(37)さんが、
最優秀女優賞を受賞されたようです。
日本人では35年ぶりで
3人目の快挙だそうです。
舞台公演のため帰国していた寺島さんは
大阪市内で会見し
「マネジャーと抱き合って
覚えてないくらい興奮した。
舞台があるのに
一睡もしていません」
と喜びを爆発させました。
正統派のお家から出た
ポニョみたいな方かと思っていましたが
気のせいか
なんだかお母さまの富司純子さんに似てきましたね。
最近
【PTSD】の【解離】という病的な現象ばかり
目についてしかたがなかったのですが、
ポジティブな【健忘】っていいですよね。
うれしい【ショック】から起こったものだから
【解離】は【解離】なのかな?
一時的なもので
繰り返さないし
病的じゃないし(むしろ強い)
完全健忘ではないけど…
【創造】の世界は
ポジティブな解離に
満ち溢れているのでしょうね。
登場人物が勝手に動き出して
ストーリーが決まってしまったり
イタコさんのように
その人がのりうつって
演技させられたとか
いいますね。
心理療法にも
【サイコドラマ】なんてのがあって
思わず深層心理を【独白】して
気づきが起こったりします。
PTSD克服のヒントも
感じました。
寺島さんありがとう!
朝日新聞連載小説は、『聖なる怠け者の冒険』→『獅子頭』
朝日新聞夕刊の
連載小説は
明日から
『獅子頭』です。
シーズトオと読むそうです。
(中国語です)
これも
PTSD物語です。
最近
PTSD物語が目立ちます。
世の中にそれだけ
PTSDが多いということでしょう。
うつ病の物語は
あまりみかけませんね。
病気として
あまり流行していないことの証では
ないでしょうか?
世間の人は
「うつ病って
治らないんでしょう」
って言いますからね。
うつ病は抗うつ剤が効くのをうつ病っていうわけで
臨床心理学を学ぶ院生時代に
「うつ病は必ず薬が効くから
絶対死のうとしないでください」
と言うのを常識として
習いました。
シーズトオの主人公も
多分最初落ち込むと思いますが
(あくまで予想です)
展開を見守りながら
克服について学びたいと思います。
終了した『聖なる怠け者の冒険』
読まなかったのですが
タイトルおもしろいですね。
PTSDの人はうつにも間違われるけど
怠け者とか仮病あつかいもされるから。
そしてポニョみたいな知的冒険が必要なのに
病人扱いされて指示やきめつけばかりで
聖なる方さえもが不適応扱いされてるし…
よかったら
読んで感想を聞かせてくださいね
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うつ病サティアン【車輪の下】数珠つなぎ
人間には
錯覚というものがあって
トキに
妙な勘違いをすることが
ありますね。
普通溺れると言いますと
海辺とか水害とか
せめてプールくらいの水深を連想しますが
50cmもあれば
人間は溺れるそうです。
呑んだくれて
用水路にはまり込み
溺死することはあります。
助かった人は
「棺おけみたいだ」
と失笑します。
要するに浅瀬で溺れることがあるんですね。
【うつ病誤診】は
この最たるものだと思います。
うつ病でないのに
うつ病と言われて
それを信じる。
いつまでも治らなくても
莫大な治療費がかかっても
時間が浪費されても
【車輪の下】に数珠つなぎになっても…
一言の文句も言わない。
奇妙なことです。
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寝たきり老人でもないのにうつ病ですか?
うつ状態で悩んでいるという人に
話を伺ってみると…
調子が良くないので
何もしたくないしできないし
何も考えたくないし考えられない
学生さんだと
テスト勉強しようと思っても
そんな気分になれないし
仕事があっても
机の上の資料の山のどこから手をつけてよいものか…
着替えるのさえもが億劫…
クリニックでもらった薬は
完食!ならぬ【完呑】で
次の診断までどうするか不安も生まれる。
一方で
薬を呑まないと何も出来ない自分は嫌い。
あまりに混乱して
わけがわからないところを
堂々巡り…
つらすぎたら
誰でも
ただ楽になりたいと思う。
目の前に薬しかなかったら
それを呑むしかないと思う。
それ以上のことは考えられない。
ここがPTSDの【魔境】の入り口
考えることは放棄して
信じるしかない。
これはあきらかに
【催眠療法】ですね。
【催眠】を否定し科学的にしようとしたのが
心理療法や精神医学のはじまりですが、
白衣や薬や資格で科学っぽく装っているだけで
中身は【催眠】です。
催眠が成功するか否か
それは催眠中に与えられるものが正しいか否か
ココにかかっています。
ジャネによれば
うつというのは
もう【情緒的反応】しか残っておらず
魂が枯渇し
寝たきりの心理水準です。
ちなみに
老人の寝たきりは
身体が不自由なだけで
精神の水準は人それぞれです。
あなたは寝たきりのご老人より
枯れていますか?
そうではないでしょう。
通院ができるというのは
二番目に高い水準の【習慣性機能】が保たれていますし
ブログが書けるということは
一番水準の高い【実存機能】が保持されています。
【うつ病】ではないと思います。
【解離】が起こっているハズです。
うつ病でないのに
うつ病と信じ
薬を飲み続けるような
現代日本の【魔境】を脱して
『崖の上のポニョ』のように
奇跡を起こしましょう!
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