ドラえもんの作者は
だるまさんを見て
どらえもんを思いついたそうです。
七転び八起きのだるまさんです。
すでに無意識のなかでまざりあって
どろどろになってとぐろをまいていたものが
(阿頼耶識の異熟)
現実に見ただるまさんによって
感覚刺激されて
形になり
どらえもんのイメージとして
浮かび上がったのでしょう。
世紀の公案アニメ『崖の上のポニョ』は
【如人千尺懸崖上樹】のもじりである
とたびたび書いていますが
この高い高い木の上でかじりついている人に
下にいる人が質問しているのは
【祖師西来意?】です。
この祖師というのは
達磨大師のことです。
インド人の達磨が
西から中国に来たのはなぜか?
と訊いているのです。
仏法を伝えるためですね。
悩んでいると
そんなつもりはなくても
無意識にある宗教性が出てきます。
日本人の場合は
やはり仏教や易陰陽五行説が有力だと思います。
平山郁夫氏も
原爆体験から
PTSDに罹患し
シルクロード
(仏法の来た道)を描き続けることで
治癒しました。
PTSDに苦しむ場合、
現実に見えるもの・わかるもの・感じるものだけでなく
自分の来た道を深く深く掘り下げて考えることが
明るい未来に開けるコツです。
月別アーカイブ: 2010年2月
のび太の癒し
フリー百科事典
『ウィキペディア(Wikipedia)』によると
ドラえもんに登場する人物たちは、
作者の少年時代に周りにいた
友人や人々がモデルとなっている
との説がありますが、
のび太については、
自身の子供時代をモデルにしたと
作者本人が語っています。
作者の少年時代は、
運動能力が低く、
いつも漫画を描いていたらしいです。
今では想像もつかない話ですが
戦中戦後の日本では
子どもは元気に外で遊ぶものという
常識が強く、
家で本を読むような子は
(凄く偉いと思いますが)
【悪い子】とみなされ
先生や親に叱られたそうです。
漫画描いてる子は
相当だめな子でしょうね。
(未来型だったのですね)
NHKの『アーカイブス』でも
実際にそう語っておられました。
そして私が
一番こころをうたれたのは
のび太はダメ人間だけど
いいところは
「ずっと反省し続ける」ところ
「すごく偉い子だと思う」
子ども時代の
幼い自分を
老境に入った自分が
慈しみのこころで見る
そんな癒しの深遠な過程を感じました。
いまダメだダメだと言われて
悩んでいる子たちにも
がんばってほしいです。
ダメ人間のび太の哲学
『どらえもん』は
長寿漫画ですね。
無意識における
何か
普遍的な秘策が
あるのではないでしょうか。
わかりやすいのは
のび太の置かれた環境ですね。
いじめっ子の恐怖に毎日さらされているし
お金持ちの子どもの嫌味にもさらされる。
PTSDに罹患する要素満載です。
のび太は甘えん坊で
怠け者の小学生ということですが、
PTSDに罹患すると
何かに救われたいと思うし
勉強どころではなくなるでしょう。
考えるうちにわけがわからなくなってくる。
そして空想が生まれる。
【白昼夢】ですね。
クリスチャンならここで
神と出会うかもしれないけど
のび太には救世主として
ドラえもんの姿が創られた。
上からなぐさめたり
指示したり
教えたりするのではなく
トレーナーとして
寄り添うどらえもん
PTSD支援には
ドラえもんが参考になります。
この内なるサポーターのために
ダメ人間のび太はダメぶりに徹するのですね。
ようするに自らの【だめさ】から
①逃げず
②肯定せず
③否定せず
考え行動しつづけるのです。
のび太は
キェルケゴール『死に至る病』の哲学
第一ページを超えた
すばらしい哲学を生きています。
そして…
いつのまにか
あこがれのさやかちゃんと結婚しました。
ダメ人間 → 願望実現
この過程から学びましょう!
『崖の上のポニョ』の【水魚】の意味
キェルケゴール『死に至る病』とPTSD
1 絶望が死に至る病であるということ。
A絶望は精神におけるすなわち自己における病であり、
そこでそこに三様の場合が考えられうる。
―絶望して、自己をもっていることを意識していない場合
(非本来的な絶望)。絶望して、自己自身であろうと欲しない場合。
絶望して、自己自身であろうと欲する場合。
1848年に書かれたものなので
表現が古めかしいですが、
要するに
絶望 → 病 →死
ということですね。
希死念慮があって自殺する人もいますが、
依存症になったり
自暴自棄をおこしたりして
結果的自死もあります。
絶望して陥りやすい3つのパターンとして
①絶望が大きすぎて自我が振り切れてしまい
無意識に翻弄されている状態
結果的自死にふらふらと足を踏み入れる可能性大ですね。
②絶望している自分から逃げようとする場合
これは【否認】ですね。
PTSDには【否認】すると
よけいに追いかけてくる犬みたいな性質があります。
③絶望して開き直る場合
こころは本来無我
(決まりきった性質はなく、
その場その場で変化していく可塑性に富んだもの)
ですが、
「私=病」「このままでよい」と
日々無意識にインプットし続けると
強力なイメージとして定着してしまいます。
自分で自分に負のマインドコントロールをかけている状態で
しかも自分の意思で行っている
という優越感が脳内麻薬になります。
自分カルトの教祖になった状態です。
意識しないのは論外だし
逃げても逃げなくてもだめなんですね。
つまり二元論では解決しないということが
ここで明らかになりました。
二元論からの脱出
これが先決です。
この課題に取り組んでいるうちは
否定も肯定もしていないので
PTSDに呑みこまれることはありません。
つらさは残りますが、
そこで時間をかせぎ
少しでもエネルギーを増やしながら
あきらめず
状況をよく観察することが大切だと思います。
大東市80代女性姉妹焼身自殺の魔境
TBSによりますと、
20日朝
大阪府大東市の住宅で、
焼死体2体が見つかりました。
この家に住む80代の姉妹が
近所の人に「立ち退かなければならない」
と話していて、
警察は焼身自殺とみて調べています。
20日午前6時50分ごろ、
大東市中垣内の住宅で
「人が燃えている」と
近所の人から通報がありました。
火は、すぐに消し止められましたが、
庭から焼け焦げて
性別のわからない遺体が2体見つかりました。
この家に住む
84歳と82歳の姉妹の
行方がわからなくなっていて、
遺体の近くの木には
ボストンバッグ3つと
布がかかっていました。
布には姉妹の親族の
名前と入院先が記され、
「ご迷惑をかけます」などと
遺書めいた内容も
書かれていたということです。
2人は10年以上にわたり、
借地の賃料の支払いが滞っていたため
貸主から裁判を起こされ、
22日に強制退去の日が迫っていました。
「2月頃に出ていかなければならないので、
お世話になりましたと、
悩んだようなことは言ってません」
近所の人は言います。
警察は、姉妹が焼身自殺したとみて身元の確認を急いでいます。
『崖の上のポニョ』は現代の魔法物語でもありますが
この事件は
ごく普通の日常に潜む
【魔境】を示していると思います。
考えてみれば
小学生でも理解できることで
本当は【魔境】でもなんでもないのですが…
80代の女性姉妹が
賃料を長らく滞納していて
裁判をかけられ
2日後に退去命令が出ている
それで悩んでいるように見えなかった。
これは事実でしょうが
この状況で悩んでいないということは
通常考えられません。
本当に悩んでいなかったとしたら
それは尋常でないことが起こっていると
考えるべきでしょう。
焼身自殺も
普通の精神状態では
恐ろしくてできないはずです。
PTSDにより
長らく患いついた挙句
急性ストレス障害で
自殺したものと推測されます。
それに気づいてもらえない不幸
これは現代日本の【魔境】だと思います。
島根の女子大生遺棄事件に懸賞金前倒しの英断
島根県浜田市の
同県立大1年平岡都さん(当時19)の
遺体が広島県の臥竜山で見つかった事件で
両県警の合同捜査本部は20日までに
有力情報の提供者に
国費で最高300万円の懸賞金を出す
公的懸賞金制度を前倒しで適用することを
決めたようです。
捜査関係者によると、
平岡さんが行方不明になって4カ月になる
今月26日から
1年間に寄せられた情報が対象と
なります。
懸賞金制度は
警察庁が2007年に導入し、
原則発生から半年以上未解決の
重大事件が対象ですが
捜査本部は
平岡さんが行方不明となった
当日の目撃情報など、
有力な情報が乏しいことから
前倒しを検討していました。
平岡さんは昨年10月26日夜、
アルバイト先のアイスクリーム店を出た後に
行方不明となり、
11月6日に臥竜山で遺体が見つかりました。
奇怪な事件で
周辺の方々の不安は
大変なものだと思います。
PTSDに気をつけてほしいです。
もし極度の不安や恐怖感を感じているなら
それを認め
できたら人にも語ること、
そして聞いた人は
「言っても仕方がない』とか
「気にしないで」
などと【否認】しないことで
PTSDの殆どは予防できると思います。
もし多忙であるいは不安を誘うので
聞いてあげられないときは
正直にそのことを告げ、
聞いてもらえそうな人を探してあげるとか
探すべきだと強く主張してあげると
双方ともにいいと思います。
この作業を怠ることが世間でよくあり
【悲劇】を多発させています。
そして
いつかの流行のように
【心のケア】とか
【臨床心理士を派遣】とか
そういうのではなく
その人の周辺で
その作業をすることが望ましいと
私は考えます。
犯人も【解離】を起こしているはずですから
一刻もはやく事件が解決し
真相を究明することが
望まれます。
懸賞金の前倒しは
英断だと思います。
児童ポルノ事件への対応など
(取り締まり強化と被害児のケア)
最近の警察庁は
PTSDにとても理解があり
頼もしいです。
我流を貫いた国母選手
バンクーバー五輪
選手はみんななか
なかがんばってますね。
腰パンの国母選手
表彰台には届かなかったようですが、
なかなか【象徴的】な存在です。
「いろいろあったっすけど
最後まで応援してくれた人に
本当に感謝しているし、
自分のスタイルと思いは最後まで曲げなかったんで
それは本当にいいことだと
思ってます」
まだ21歳ながら
内にアスリート魂を秘め
大舞台でバッシングされながらも
自分を見失わなかった。
とてもプロフェッショナルです。
【曲げない】
【我流を貫く】
『崖の上のポニョ』から
『まっすぐな男』と『曲げない女』
に見られる時代精神をそのまま体現して
病に打ちひしがれている人たちにも
強いメッセージを
与えてくれたと思います。
続きを読む
宗介を助けるトキさん
毎日新聞からです。
枝をくわえて、雌のトキ(右)に近づく雄のトキ=新潟県佐渡市で、佐々木順一撮影 国の特別天然記念物トキの野生復帰を目指し、09年9月に2回目の放鳥が行われた新潟県佐渡市(佐渡島)で19日、3歳の雄と1歳の雌がくちばしで挟んだ小枝を渡す「枝渡し」をする様子が確認された。トキの求愛行動で、放鳥後、初の「2世誕生」に期待が高まっている。環境省によると、放鳥トキの雄と雌の継続的な枝渡しが確認されたのは初めて。
雌は09年9月に2次放鳥され、本州に渡った後、同島に戻った。2月7日以降、08年9月に1次放鳥された雄と行動をともにしている。しかし同省によると、この雌は別の3歳の雄と枝渡しすることもあるという。
トキは繁殖期を迎えると、羽を黒灰色の「生殖羽(う)」に変え、群れから離れてペアをつくる。今回、雄は完全に黒く変色し、雌も首の周りが色づき始めている。同省の笹渕紘平自然保護官は「この雌は1歳とまだ若いが、繁殖に期待したい」と話している。【畠山哲郎】
ポニョの登場人物トキさんですが…
宮崎監督の無意識の中で
いろんな要素が混ざり合って
トキさんの形になったものと思われます。
唯識三十頌には
「はじめは阿頼耶識なり。異熟なり。一切種なり」
とあります。
はっきりしているのは
①監督のお母様の記憶
監督のお母様はトキさんみたいな感じの方だったそうです。
②鳥のトキのイメージ
ニッポニア・ニッポンという
とても日本的な学名ですね。
(ちなみに国鳥はキジです)
絶滅危機の品種で貴重だというのもポイントですね。
ありふれた鳥ではないということです。
ポニョの自己実現の物語ですから
トキは【ツキ】とも呼ばれていたそうで
【月】や【槻】に通じるイメージです。
月は女性的ですし、槻は神聖な木です。
③カタカナの【トキ】という時間があります。
タイミングのような刹那です。
タイミングは英語ですが、
英語を使用する人たちはあまり使わない言葉だそうです。
日本人はよく使用します。
落語の『時そば』に見られますが、
時間と空間を一緒くた【一即多】にする
魔法のようなものです。
【素直】になることが【魔法】だと
どこかで書きましたが、
【タイミング】をつかむことも
【魔法】のようなものです。
いくらよいことでも
場違いではもったいないですね。
ポニョの自己実現は
ありえないような魔法物語ではなく
世の中に普通にある魔法です。
トキさんはいつもは偏屈なばあさんですが
宗介の一大ピンチの時に
急に人格変容し、よいおばあさんになって
宗介を導きました。
そういえば
デイケアでポニョを見て
みんなかわいいねとか言ってるのに
「人面魚だ。津波が来るよ!」と言ってました。
物語は実際そのように展開しているので
女性の知恵というか
勘というかを秘めていて
シャーマンみたいな存在です。
監督は
我々は子どもに時間と空間を提供することしかできないわけだし、
○才のこの時間はこの一瞬しかないと思うが
それにのれないとき
「クソっと思う」
と語っておられました。
のれないときはたいてい
つまんないことを考えてしまったときだからだそうです。
邪魔くさいとか、そこまでしなくていいだろうとか
クミコちゃんじゃないけど、服が濡れるとか…
ポニョを宗介が守り、
その宗介をピンチから掬うのは
トキさんに【象徴】されているような
ものだったわけです。
PTSDに罹患した人たちにも
こんな支援が必要です。
孤立無援の人は
自分のなかに
トキさんのような
みんなに流されず
本質を見抜く目を
養うことです。
続きを読む
DVとしての現代臨床心理学
河合隼雄さんの遺言です。
わが国には、心身一如的な観点から、宗教の修行などとも結びつき、心と体の問題を全体として考える方法を伝統的にもっている。このような方法を活用し、西洋から伝わってきた心理療法と統合してゆくことは、臨床心理学の未来の発展に大いに寄与すると思われる。今後は真剣に取り組むべきであろう。
河合隼雄監修臨床心理学5 文化・背景 第9章 臨床心理学の将来 p267
西田幾多郎はこう述べています。
西洋には、アリストテレス以来、一貫した論理といふものがあり、政治も、経済も、文化も、みなそこから割り出されてゐる。…東洋には東洋の物の考へ方があるのだから、生活上の一切がそれによつて考へられるといふやうな論理が明らかにならねばならぬ。華厳や天台の論理といふものも幾分それに近いものだが、私の一生の仕事と云へば、それを探したと云ふただそれだけのことだ。
西田幾多郎『先生に叱られた話その他』
心理療法の歴史は浅く、
まだまだ西洋的に行われています。
わがままだとして
二元論に押し込められた
かぐや姫たちの悲鳴が聞こえてきます。
『崖の上のポニョ』は
その救済の役割も果たしていると
私は考えます。
続きを読む