月別アーカイブ: 2010年2月

『崖の上のポニョ』と【わがまま】

『ゲド戦記』風に言うと、

『崖の上のポニョ』は
【真の名】

【わがまま】は
凡夫がつけた【あだ名】

【自己実現】しようとしている
ポニョやかぐやひめの
【真の名】が見えず
【わがまま】さんだと見做し、
【適応論】に閉じ込め          
【適応障碍】や【発達障碍】として
【傾聴】し【ラポール】を形成するという
心理療法の定石すら守らないで
価値判断を押し付けて教育する
そんな失礼なことができる
心理療法家は
フジモトと同じです。

ただ…
フジモトは
最後に
改心しましたよべーっだ!
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童謡『金魚の昼寝』とポニョ

ポニョは魚の子でしたね。
赤いワンピースを着ているので
なんか金魚みたいだな
と思っていたら
こんな唄を思い出しました。
金魚の昼寝
赤いべべ着た可愛い金魚
おめめを覚ませばご馳走するぞ
赤い金魚はあぶくを1つ
昼寝うとうと夢から覚めた

ポニョは
海底にいたころは
父親が与える食べ物を食べていましたが
宗介に出会って
ハムやインスタントラーメンの味を覚えました。
PTSD研究家翠雨の日記
夢からさめる(幻想が消える)と
食べ物が変わる(生き方が変わる)のですね。
PTSDを克服すると
生き方がガラッと
変わります。

『崖の上のポニョ』の主人公宗介

『崖の上のポニョ』のヒロインは
ポニョですね。

ポニョちゃんはただのポニョちゃんではなく
【崖の上の】ポニョちゃんでしたね。

  如人千尺懸崖上樹
  ↑     ↑
ポ ニョ   崖の上の

お坊さんでなくても
公案で【脳トレ】
しておくことが
生きるうえでの
【危機管理】になり
【こころのケア】になります。

なんせ
この国では
こころの病は
【自力】で治さなくてはならないのですから

だから子どものころから
漫画『一休さん』
などを見て学習するのですね。

前置きが長くなりました。

宗介は主人公です。
主人公はヒロインを助けるのですね。

ですから
崖っぷちにいる人を助ける人は
宗介のようでなくてはなりません。

もしあなたのおかれた立場が
どうもポニョ的で
孤立無援である場合は
あなたのこころのなかに
宗介を育てる必要があります。

宗介はなぜ生まれたかというと…

宮崎駿監督がおっしゃるには

いわゆる【いい子】というのがあるけれど
どうも【いい子】ってのが問題だと思われたんですね。
(人のいいなりになったり、常識にとらわれたり、都合のいい子だったり…かな)
 
これは別に悪い子になれってわけではないのですが、

ではいい子でなくて
何なのか?

それは【まっすぐな子】です。

まっすぐというのは
【素直】ということで
これはフツーの日本語ですが、
案外【素直】な人は少なく
【素直】になるのは難しい。
そして【素直】にもしなれたら…
なんでもうまくいくのですね。
思えば勉強にしても習い事にしても
【素直】=上達の極意
だと言われています。

要するに【素直】は
ありふれてて見過ごしやすいけど
【魔法】のようなものだと思います。
監督は魔法が普通にあることを書きたかったんです。
ありもしないオカルト的なものではなくて
現実にある魔法です。

【素直】は日本語的です。
英語にありますか?
ストレートとは違うし
人の言いなりになることでもありません。
最近亡くなった土居健朗先生が
【素直】は実に日本的だと言っていました。
『人魚姫』にはない世界です。

公案を解いて
自己実現するには
【素直さ】が必要なのですね。

宮崎監督は
5歳の子を主人公にするのは
ある種の【冒険】だったとおっしゃいます。
それで物語が成り立つのかという一抹の不安ですね。
監督は冒険したのです。
今の心理療法は冒険させません。
教育して閉じ込めます。
(フジモトみたいです)

PTSD研究家翠雨の日記

しかし結果として
大成功し、
5歳を主人公にしてよかったと
思われたそうです。

そしてわかったのは
①まっすぐであるには、貫いていかなければならない。
②貫いていくには、ハードルをいくつも越えていかなければならない。
③そのハードルは、見落としそうなハードルである。
④そのハードルをいかにも越えましたというのではなく、
 自然に超えていく必要がある。

ということでした。

たとえば
宗介が最初にポニョを助けたとき
息を吹き返したポニョから
水をかけられました。
宗介は驚きますが、
すぐ笑っています。
保育所のクミコちゃんなどは
おなじ場面で泣いてしまいます。
おしゃれしてるのに
お洋服がぬらされてしまったからです。
自意識が強すぎるとだめなんですね。

あるいは
物語のクライマックスで
宗介は危機に見舞われます。
町が水没していて
避難所に向かうのですが、
ポニョと2人っきりです。
しかもポニョは瀕死で魚に戻りかけてるし
なんとも心もとない状況で

ポニョを連れ戻そうとする
お父さんのフジモトが
子どもだと思ってだましにかかります。

一方で
デイケアにきている【トキさん】が
「こっちに跳びな!」
と叫びます。

トキさんはちょっと偏屈なばあさんで
フジモトは一見紳士です。
おかあさんも一緒だからと言われてしまうと
ホロリとしついていきたくもなります。

しかし
宗介はトキさんの方へ跳んだんです。

危機一髪の瞬間に
自分の目で見て
自分の頭で判断して
トキさんを選んだんです。
(フジモトは今の心理療法を風刺してるかも)

そういう宗介の
【まっすぐさ】が
自分を救い、護り
結果として世間からも受け入れられるのだと思います。

【トキ】さんの意味についてはまた!

PTSD研究家翠雨の日記

              ↑
         これが【百尺竿頭】です!
        もうだめだアと思うところから
        さらに一歩進む。
        これが極意です!
        あきらめちゃダメ!
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児童ポルノ摘発最多、被害者の16%小学生以下

 全国の警察が2009年に摘発した児童ポルノ事件は、前年比約38%増の935件に上り、2000年に統計を取り始めて以来、最も多かったことが、警察庁のまとめでわかった。

 被害者の低年齢化も進み、小学生以下が全体の約16%を占めた。わいせつ画像がインターネット上に流出し、被害が拡散するケースも多く、警察庁は取り締まりのほか、被害者の心のケアにも力を入れる方針。

 同庁によると、摘発された事件のうち、最も多かったのは、わいせつ画像や動画を撮影するなどの児童ポルノの「製造」(439件)。愛好者らへの「提供」(382件)や「提供目的の所持」(114件)が続いた。摘発された人数も過去最多の650人に上った。

 被害者は確認されただけで411人。このうち65人は小学生以下で、前年より約67%増えた。母親らが小遣い稼ぎのため、1歳女児の裸の写真を撮って販売するなど、親が子どもの性を売るケースも目立った。顔が特定できない画像なども多く、被害実態はさらに深刻だとみられる。

 インターネットを利用した事件は、全体の約54%にあたる507件で、前年の約2倍に増えた。わいせつ画像をファイル共有ソフトを使って不特定多数に提供するなどして被害が広がり、「事件の傷がいつまでも癒えない子も多い」(警察庁幹部)という。

 このほか、全国の警察が昨年摘発した児童虐待事件も335件で過去最多を記録した。内訳は、身体的虐待が234件、性的虐待が91件、ネグレクト(育児放棄)が10件。被害者も最多の347人だったが、虐待で死亡した子どもは前年より17人減って28人だった。

(2010年2月18日12時46分 読売新聞)

警察は
【こころのケア】に
動き出しました。

心強いことです。

テーマは
敢えて
【凶悪事件】
としました。
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かぐや姫とわがまま

『22才の別れ』という曲は
伊勢 正三による作曲で
1974年(S.49)、
フォークトリオ“かぐや姫”のアルバム
「三階建ての詩」に収められた曲ですが、
75年に伊勢正三さんと大久保一久さんのデュオ
“風”が歌ってシングルヒットしました。
ギターを爪弾き始めた高校時代には
思いもしなかったことですが、
DV研究をしていると
詩がなんだか意味深です…
(1) あなたに「さようなら」って
     言えるのは 今日だけ

  明日になって またあなたの 暖かい手に
  触れたら きっと 言えなくなってしまう
     そんな 気がして
  私には 鏡に映った あなたの姿を
     見つけられずに

  私の 目の前にあった 幸せに
     すがり付いてしまった
(2) 私の誕生日に 22本のローソクを立て
  ひとつ ひとつが みんな君の
     人生だねって言って
  17本目からは 一緒に火をつけたのが
     昨日のことのように
  今はただ 5年の月日が 永すぎた春と
     言えるだけです
  あなたの 知らないところへ
     嫁(トツ)いでゆく 私にとって

(3) ひとつだけ こんな私の わがまま
     聞いてくれるなら
  あなたは あなたのままで
     変わらずにいてください そのままで

かぐや姫をわがままと
断罪するのは
これは男性的発想なのかな
なんか演歌の世界みたいで
気持ち悪い。
そんな幻想こそ
許されるはずがない。
時代錯誤です!

平野洋子さんから学ぶこと

新井満さん
長島一茂さん
高木美保さん
堂本剛さん
アンルイスさん
田中美里さん
円広志さん…
パニック障害を克服した事例からも学んでください。
古典や小説、童話、アニメからも何かをつかんでください。
心理療法家の著書や
大学の講座からばかり学んでいては
医者のいいなりになっていては
(いい人=都合のいい人)
大切な命を粗末にすることになります。
いい人ではなく
まっすぐに考える人になってください。
【適応論】を選ぶと【死】
【個性化】【自己実現】を選ぶと【再生】
自己実現をあきらめた大人は
自己実現を
危ないとか
幻想だとか
言って
【否認】します。
嫉妬かな…

平野洋子さんのパニック障害

船越英一郎さんの妹さんは
パニック障害とも診断されていたわけですが
なにも
現在パニック障害と診断されている人が
絶望する必要はありませんし
絶望してはいけません。
治癒した人がいないわけでは
ありませんし、
治療法を変えて
長年パニック障害だと思わされていたのが
実は誤診で
PTSDであったとわかり
短期間で完治した事例もあります。
自殺の記事を読んで
死にたくなった人は
PTSDの可能性があります。
【被暗示性】が高いのを特徴とするからです。

「つらいかもしれないけど、
それで死ぬわけではないから」
というような医者に
適応するのは
いい人ではありません。
長年仕事をしながら
子育てをしながら
周囲の冷たい目にさらされながら
こんなつらい症状に耐えられた自分を
もっと信じるべきです。
治るものも治してもらえず
個性化という人生の醍醐味【自己実現】も
あきらめさせられ
知的障害扱いされたら
人格障害扱いされたら
誰だって死にたくなるし
呑まなきゃやってられなくなるでしょう。
そうならないほうが
狂ってる。
百尺竿頭一歩進めよです。
ポニョを見て
考えなおしてください!

心理療法に欠如する時代感覚

朝日新聞の社説によれば…
現在のDV支援家は
被害者をせっかく保護したのに
被害者が
被害を否認したり
支援を拒んだりすることがあり
このことが
DV支援を困難にする
一番の原因であると考えているらしい。
これは
【発達障碍】の子どもに対して
その子にふさわしい【ドリル】を与えても
やる気が持続しないために
結果がなかなかでない
    とか
【不登校】の子どもを毎朝迎えに行き
励ましているのに
これまで味わった挫折感を不安に感じ
登校継続に至らない
     などと嘆いているのと同じだ。
何か根本的に間違っているのではないか。
私がDVシェルターで一番感動したのは
たとえ子どもであっても
今の自分の置かれた立場を自分で確かめながら
崖っぷちで考え
答えをつかんでいく姿
だった。
それは
世紀の公案アニメ『崖の上のポニョ』で
【まっすぐさ】を貫き通した
ポニョや宗介の姿と重なる。
今は
まっすぐな男』&『曲げられない女』
放映中である。
筋を通さないのは
専門家のみである。

いまどきのクライエントは
【象徴】が使えない
などと
ユング派の先生たちはおっしゃるのですが
さて…

『崖の上のポニョ』と【わがまま】

『ゲド戦記』風に言うと、
『崖の上のポニョ』は
【真の名】
【わがまま】は
凡夫がつけた【あだ名】
【自己実現】しようとしている
ポニョやかぐやひめの
【真の名】が見えず
【わがまま】さんだと見做し、
【適応論】に閉じ込め          
【適応障碍】や【発達障碍】として
【傾聴】し【ラポール】を形成するという
心理療法の定石すら守らないで
価値判断を押し付けて教育する
そんな失礼なことができる
心理療法家は
フジモトと同じです。
ただ…
フジモトは
最後に
改心しましたよべーっだ!

『崖の上のポニョ』の主人公宗介

『崖の上のポニョ』のヒロインは
ポニョですね。
ポニョちゃんはただのポニョちゃんではなく
【崖の上の】ポニョちゃんでしたね。
  如人千尺懸崖上樹
  ↑     ↑
ポ ニョ   崖の上の
お坊さんでなくても
公案で【脳トレ】
しておくことが
生きるうえでの
【危機管理】になり
【こころのケア】になります。
なんせ
この国では
こころの病は
【自力】で治さなくてはならないのですから

だから子どものころから
漫画『一休さん』
などを見て学習するのですね。
前置きが長くなりました。
宗介は主人公です。
主人公はヒロインを助けるのですね。
ですから
崖っぷちにいる人を助ける人は
宗介のようでなくてはなりません。
もしあなたのおかれた立場が
どうもポニョ的で
孤立無援である場合は
あなたのこころのなかに
宗介を育てる必要があります。

宗介はなぜ生まれたかというと…
宮崎駿監督がおっしゃるには
いわゆる【いい子】というのがあるけれど
どうも【いい子】ってのが問題だと思われたんですね。
(人のいいなりになったり、常識にとらわれたり、都合のいい子だったり…かな)
 
これは別に悪い子になれってわけではないのですが、
ではいい子でなくて
何なのか?
それは【まっすぐな子】です。
まっすぐというのは
【素直】ということで
これはフツーの日本語ですが、
案外【素直】な人は少なく
【素直】になるのは難しい。
そして【素直】にもしなれたら…
なんでもうまくいくのですね。
思えば勉強にしても習い事にしても
【素直】=上達の極意
だと言われています。
要するに【素直】は
ありふれてて見過ごしやすいけど
【魔法】のようなものだと思います。
監督は魔法が普通にあることを書きたかったんです。
ありもしないオカルト的なものではなくて
現実にある魔法です。
【素直】は日本語的です。
英語にありますか?
ストレートとは違うし
人の言いなりになることでもありません。
最近亡くなった土居健朗先生が
【素直】は実に日本的だと言っていました。
『人魚姫』にはない世界です。
公案を解いて
自己実現するには
【素直さ】が必要なのですね。
宮崎監督は
5歳の子を主人公にするのは
ある種の【冒険】だったとおっしゃいます。
それで物語が成り立つのかという一抹の不安ですね。
監督は冒険したのです。
今の心理療法は冒険させません。
教育して閉じ込めます。
(フジモトみたいです)
PTSD研究家翠雨の日記
しかし結果として
大成功し、
5歳を主人公にしてよかったと
思われたそうです。
そしてわかったのは
①まっすぐであるには、貫いていかなければならない。
②貫いていくには、ハードルをいくつも越えていかなければならない。
③そのハードルは、見落としそうなハードルである。
④そのハードルをいかにも越えましたというのではなく、
 自然に超えていく必要がある。
ということでした。
たとえば
宗介が最初にポニョを助けたとき
息を吹き返したポニョから
水をかけられました。
宗介は驚きますが、
すぐ笑っています。
保育所のクミコちゃんなどは
おなじ場面で泣いてしまいます。
おしゃれしてるのに
お洋服がぬらされてしまったからです。
自意識が強すぎるとだめなんですね。
あるいは
物語のクライマックスで
宗介は危機に見舞われます。
町が水没していて
避難所に向かうのですが、
ポニョと2人っきりです。
しかもポニョは瀕死で魚に戻りかけてるし
なんとも心もとない状況で
ポニョを連れ戻そうとする
お父さんのフジモトが
子どもだと思ってだましにかかります。
一方で
デイケアにきている【トキさん】が
「こっちに跳びな!」
と叫びます。
トキさんはちょっと偏屈なばあさんで
フジモトは一見紳士です。
おかあさんも一緒だからと言われてしまうと
ホロリとしついていきたくもなります。
しかし
宗介はトキさんの方へ跳んだんです。
危機一髪の瞬間に
自分の目で見て
自分の頭で判断して
トキさんを選んだんです。
(フジモトは今の心理療法を風刺してるかも)
そういう宗介の
【まっすぐさ】が
自分を救い、護り
結果として世間からも受け入れられるのだと思います。
【トキ】さんの意味についてはまた!
PTSD研究家翠雨の日記
              ↑
         これが【百尺竿頭】です!
        もうだめだアと思うところから
        さらに一歩進む。
        これが極意です!
        あきらめちゃダメ!