月別アーカイブ: 2010年2月

朝日新聞社説『DV対策、見直す契機に』

宮城3人殺傷事件を受けて
16日の朝日新聞朝刊には
『DV対策、見直す契機に』
と題した社説が出た。

主旨は

悲惨な事件を回避すべく
DVの加害者と被害者である
このカップルを
何とか引き離せなかったのか
というものである。

被害者が
周囲から諭されては復縁することを
繰り返していたという事実から

これがDVの典型であると
書いてある。

そして
その心理について
DVと言っても
年間を通していつも暴力的なのではなく
合間に優しさの表現があることや
仕返しの恐怖から
相手に依存してしまい
被害を否認したり
支援を拒んだりする
このことが
DV支援を困難にする
一番の原因である
としている。

本当にそうだろうか?

若者が一番嫌悪するのは
頭ごなしの押し付け
ではないか?

結婚問題という
根本的で
一番のプライバシーに
土足で踏み込む
そんな態度が一番忌避されているのではないか。

専門家のペルソナが
親切ごかしになっていないか。

私がDVシェルターで一番感動したのは
たとえ子どもであっても
今の自分の置かれた立場を自分で確かめながら
崖っぷちで考え
答えをつかんでいく姿だった。

机上論がここでは
まったく役にたたないことは
子どもでも知っている。

このことを支援する者が
理解できた時
初めてDV支援研究が始まる。

私はそう考える。
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児童ポルノ摘発最多、被害者の16%小学生以下

 全国の警察が2009年に摘発した児童ポルノ事件は、前年比約38%増の935件に上り、2000年に統計を取り始めて以来、最も多かったことが、警察庁のまとめでわかった。
 被害者の低年齢化も進み、小学生以下が全体の約16%を占めた。わいせつ画像がインターネット上に流出し、被害が拡散するケースも多く、警察庁は取り締まりのほか、被害者の心のケアにも力を入れる方針。
 同庁によると、摘発された事件のうち、最も多かったのは、わいせつ画像や動画を撮影するなどの児童ポルノの「製造」(439件)。愛好者らへの「提供」(382件)や「提供目的の所持」(114件)が続いた。摘発された人数も過去最多の650人に上った。
 被害者は確認されただけで411人。このうち65人は小学生以下で、前年より約67%増えた。母親らが小遣い稼ぎのため、1歳女児の裸の写真を撮って販売するなど、親が子どもの性を売るケースも目立った。顔が特定できない画像なども多く、被害実態はさらに深刻だとみられる。
 インターネットを利用した事件は、全体の約54%にあたる507件で、前年の約2倍に増えた。わいせつ画像をファイル共有ソフトを使って不特定多数に提供するなどして被害が広がり、「事件の傷がいつまでも癒えない子も多い」(警察庁幹部)という。
 このほか、全国の警察が昨年摘発した児童虐待事件も335件で過去最多を記録した。内訳は、身体的虐待が234件、性的虐待が91件、ネグレクト(育児放棄)が10件。被害者も最多の347人だったが、虐待で死亡した子どもは前年より17人減って28人だった。
(2010年2月18日12時46分 読売新聞)
警察は
【こころのケア】に
動き出しました。
心強いことです。
テーマは
敢えて
【凶悪事件】
としました。

新井満さんとPTSD

新井満さんです

PTSD研究家翠雨の日記

メディアが
【PTSD】という言葉を
あまり使わないようになって
随分になります。

この言葉が使われ出した頃は
なんでもかんでも
あれもこれも
【PTSD】の安直さと
(ここは正しいと思いますが)
【PTSD】になったら
①にこうなり
②にこうなり
③にこうなります
だから
④こうしなさい
⑤これはだめです
と十把一絡げに教育する
そんなスタイルに
反感を覚え

事件が起こるたびに
「こころのケア」が必要ですとか
「臨床心理士を派遣しました」と
金太郎飴のように
判で押したように
書かれている新聞記事に
嘔吐感を催しそうになったものでした。

しかし
【PTSD】否認の影で
旧態依然として
はびこっているのが
【うつ病誤診】で
その結果の
【車輪の下】であるならば
もはや
好き嫌いや自分の感情で
すまされる問題ではないと
反省しました。

2月14日
朝日新聞で新井満さんが
PTSD体験とその克服過程について
書いておられます

新潟地震がトラウマとなったそうです。
まるで【天地創造】のような
光景でしたが
奇跡的に傷ひとつ負わなかったそうです。

トラウマは
一個人を
神話の世界に引きずり込みます。

そしてこうつづられています。
「でもそれは体のことであって
精神的には深い傷を負ったのです。
当時、こころの傷という発想はまだなかったのですが、
明らかにPTSD(心的外傷後ストレス障害)です。
夜になると恐ろしい夢を見るし、
ちょっと揺れただけで
頭のてっぺんから冷水が
さーっと走る

そのトラウマがどんどん内部に内部に入っていって
1年後には激しい腹痛で緊急入院となり
その後の体調不良で体重は半分になったそうです。

苦しみのあまり
地震で死んでたらよかったのにとか
思いはじめ、
ふらふらと屋上に上がって

将来のことなど考える余裕はなく
喜びもなく
生きる屍として
ただ日を送っていただけだった
そう回想しておられます。

しかし
「生きていてよかった!」と思えるものと
出会います。
この世にあり
日常にあるものですが
瀕死の人にしか見つけられないものかもしれませんし
教えてもらっても同じく瀕死の人にしか
はっきりとは見えないものかもしれません。

しかしその感動がエネルギーとなり

『先の風になって』の大ヒットとして
【昇華】したのです。

死者の目線で
この世を見た詩ですね。
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船越英一郎さんが、次に崖の上に追い詰めるものは?

PTSD研究家翠雨の日記

亡くなった平野洋子さん
2007年8月夏ごろのお姿です。

2006年
自らの闘病生活の体験をもとにした
小説『梅一夜』で湯河原文学賞最優秀賞を
受賞しています。
湯河原温泉「旅荘 船越」の
女将兼経営者となったのはこの17年前
長時間にわたる重労働の無理がたたり、
パニック障害とうつ病を発症したと
いうことになっています。

受賞作について彼女は

「小説ですけれど、
「限りなくノンフィクションに近いフィクション」。
とくに病気の部分は、ほぼリアルに再現しています」

と語っています。

1つの貴重な症例として
私たちはここから学ばねばなりません。

しかしこう続きます。

「…でも普段の私を知っている方からは
『あなたが病気だなんて、ウソでしょ!?』って。
それほど、病名の認知度とは別に、
正しい情報は知られていないんです」

この素朴な疑問が
問題の核心だと思います。

まずはっきりしているのは
うつ病ではありえない
ということですね。

パニック障害という診断については
以下のように語っています。

「昔は「【不安神経症】と呼ばれていました。
突発的な動悸やめまいなどの発作に繰り返し襲われ、
再発への恐怖心にとらわれる精神障害のことです。
うつ病との併発率が高く、
そうなると自殺願望との闘いです。
医師によれば
「辛い病ですが、それ自体が悪化して死ぬことはない」
そうです。
でも実際は、
突然の発作に心臓はバクバク、
息はできない、勝手に涙が出てくるわで、
このまま死んでしまうのではないかと思うほどです」

うつ病と言っているのは
パニック障害と言っているものの
結果ですね。
うつ病は内因性の病であって
心因性の病ではありませんから
うつ病ではなく
うつ状態ですね。
これはこの方が間違っているとかいう
小さな問題ではなく
日本の精神科医の大半が
本当にまちがっていたり
まちがいには気づいているが
何かを守るために
(同僚か上司か家族か地位かプライドか…)
まちがいだと言わない、
その一方で
『車輪の下  平成日本版』が
描かれている
それが現状です。

闘病はまさに【自力】です。

「発作をおさえる薬を飲んで、
布団をかぶって寝るしかないのですが、
そこで「もうひとりの自分」との闘いがあるんです。
「お前のような価値のない人間は生きている資格がない。
さっさと死ね」という声が、
どこからともなく聞こえてくるのです」

「真面目で几帳面、完璧主義の
性格が災いしてるんです」と
性格のせいにしてみたりしますが、

「自分で自分がコントロールできなくなってしまうんです。
この病気の対処法は「薬」と「周囲の理解と支え」、
それから「完全な休養」です。

しかし
これらだけでは
どうにもならなかったのです。

船越英一郎さん
精神医療と心理療法を崖の上に追い詰めて
自白させてください。

松居一代さんの補佐により
正義感とクリーンな科学性の欠如
が逮捕される可能性大です。

そういえば…
松居さんにも
PTSDの克服歴
がありますね。
PTSD克服者はPTSDで苦しむ人々を救う使命があります。
そのために結婚されたのです。
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朝日新聞社説『DV対策、見直す契機に』

宮城3人殺傷事件を受けて
16日の朝日新聞朝刊には
『DV対策、見直す契機に』
と題した社説が出た。
主旨は
悲惨な事件を回避すべく
DVの加害者と被害者である
このカップルを
何とか引き離せなかったのか
というものである。
被害者が
周囲から諭されては復縁することを
繰り返していたという事実から
これがDVの典型であると
書いてある。
そして
その心理について
DVと言っても
年間を通していつも暴力的なのではなく
合間に優しさの表現があることや
仕返しの恐怖から
相手に依存してしまい
被害を否認したり
支援を拒んだりする
このことが
DV支援を困難にする
一番の原因である
としている。
本当にそうだろうか?
若者が一番嫌悪するのは
頭ごなしの押し付け
ではないか?
結婚問題という
根本的で
一番のプライバシーに
土足で踏み込む
そんな態度が一番忌避されているのではないか。
専門家のペルソナが
親切ごかしになっていないか。
私がDVシェルターで一番感動したのは
たとえ子どもであっても
今の自分の置かれた立場を自分で確かめながら
崖っぷちで考え
答えをつかんでいく姿だった。
机上論がここでは
まったく役にたたないことは
子どもでも知っている。
このことを支援する者が
理解できた時
初めてDV支援研究が始まる。
私はそう考える。

龍馬伝にもみられる非暴力の哲学

NHKで『龍馬伝』が
放映されています。

龍馬が生きた時代は
厳格な身分制度への不満渦巻く
江戸時代後期の土佐藩ですね。

龍馬は下級武士の子でした。

ある日、
身分が上の武士に
ぶつかってしまい、
怒りを買って
切り殺されそうになったと言います。

なんという
恐ろしい世の中でしょうか。
子どもなのに…

龍馬はどんなに恐ろしい思いをしたでしょうか。
母親幸のこころはどんなに凍りついたことでしょうか。

母親はとっさに
土下座して無礼をわび
刀を下ろさせたそうです。

この恐怖体験が
龍馬の原体験となり

長い時間をかけて

「身分などない
誰もが対等な世の中が
きっと来る」
そういう信念に
昇華しました。

ダライラマに通じる
非暴力の哲学ですね。
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DV克服は非暴力の哲学

チベット仏教最高指導者のダライ・ラマ14世が
6月に長野市を訪れるのを受け、
同市の会社員ら有志が14日、
チベット問題の勉強会を市内で始めました。
 
勉強会は、
昨年4月に
市内で
チベット問題に関連する映画の上映などをした
グループのメンバーの一部による主催です。
この日は、
ダライ・ラマの自伝やチベット亡命政府の資料を基に、
ダライ・ラマが1959年に
インドへ亡命したいきさつなどを学びました。

DV被害の克服は
ダライ・ラマの抱える難問と重なります。

それは
非暴力の哲学です。
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車輪の下ではなく崖の上に行こう!

ル・グウィンの『ゲド戦記』には
日本版が必要でしたし

アンデルセンの『人魚姫』は
『崖の上のポニョ』に
書き直す必要がありました。

ではなぜ
ヘルマン・ヘッセの
『車輪の下』は
こうも
恐ろしく
日本的なのでしょうか。

ヘッセは
『シッダールタ』(原題:Siddhartha)
という作品を書いています。

PTSD研究家翠雨の日記

釈迦の出家以前の名前を借りて
求道者が
悟りの境地に至るまでの
苦行や経験を描いたものです。

ポニョでも
公案に取り組むのですから
PTSDに罹患し
そこから脱出するには
求道者でなくても
悟らなければならないのです。

そういう意味では
お釈迦様もポニョも
瀕死状態の3万の命も
なんら違いはありません。

『車輪の下』に行かずに
崖の上に行きましょう。

漱石の『門』も
崖下をやめるお話でしたね。
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ゲド戦記 ―日本版

4年も前の話になりますが…

アーシュラ・K・ルグウィンの
『ゲド戦記』が
スタジオジブリによって
アニメ化されました。

PTSD研究家翠雨の日記

これを見た
ル・グウィンは
絵は美しいが、
物語のつじつまがあわないし、
原作にはない
【父殺し】は気まぐれだし
人間の影の部分は
魔法の剣で振り払えるようなものではないと
強い違和感を表明しました。

日本での観客動員数は
公開後20日くらいで
421万7千人(東宝による)
だったそうですから
駄作だったとは
到底考えられません。

『崖の上のポニョ』が書かれたのは
人魚姫への違和感でした。

ル・グウィンが
【父殺し】を気まぐれと感じたり
物語につじつまのなさを感じるのは
文化差によるものでしょう。

父子関係と言えば…

フロイトのエディプスコンプレックスは
『ギリシア神話』と西洋人のこころの問題です。

フロイトに学んだ
古沢平作は
日本人には
エディプスコンプレックスではなく
親鸞の『教行信証』にみられるような
アジャセコンプレックスが
問題であると
考えました。

宮崎駿監督の実子
吾郎氏による監督で
こんな問題が表出したのは
なかなか
【象徴的】な現象であったと思います。

PTSD治療でも
このことは
重要な鍵になると思います。

PTSD研究家翠雨の日記
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新井満さんとPTSD

新井満さんです
PTSD研究家翠雨の日記
メディアが
【PTSD】という言葉を
あまり使わないようになって
随分になります。

この言葉が使われ出した頃は
なんでもかんでも
あれもこれも
【PTSD】の安直さと
(ここは正しいと思いますが)
【PTSD】になったら
①にこうなり
②にこうなり
③にこうなります
だから
④こうしなさい
⑤これはだめです
と十把一絡げに教育する
そんなスタイルに
反感を覚え
事件が起こるたびに
「こころのケア」が必要ですとか
「臨床心理士を派遣しました」と
金太郎飴のように
判で押したように
書かれている新聞記事に
嘔吐感を催しそうになったものでした。
しかし
【PTSD】否認の影で
旧態依然として
はびこっているのが
【うつ病誤診】で
その結果の
【車輪の下】であるならば
もはや
好き嫌いや自分の感情で
すまされる問題ではないと
反省しました。
2月14日
朝日新聞で新井満さんが
PTSD体験とその克服過程について
書いておられます

新潟地震がトラウマとなったそうです。
まるで【天地創造】のような
光景でしたが
奇跡的に傷ひとつ負わなかったそうです。
トラウマは
一個人を
神話の世界に引きずり込みます。

そしてこうつづられています。
「でもそれは体のことであって
精神的には深い傷を負ったのです。
当時、こころの傷という発想はまだなかったのですが、
明らかにPTSD(心的外傷後ストレス障害)です。
夜になると恐ろしい夢を見るし、
ちょっと揺れただけで
頭のてっぺんから冷水が
さーっと走る

そのトラウマがどんどん内部に内部に入っていって
1年後には激しい腹痛で緊急入院となり
その後の体調不良で体重は半分になったそうです。
苦しみのあまり
地震で死んでたらよかったのにとか
思いはじめ、
ふらふらと屋上に上がって

将来のことなど考える余裕はなく
喜びもなく
生きる屍として
ただ日を送っていただけだった
そう回想しておられます。
しかし
「生きていてよかった!」と思えるものと
出会います。
この世にあり
日常にあるものですが
瀕死の人にしか見つけられないものかもしれませんし
教えてもらっても同じく瀕死の人にしか
はっきりとは見えないものかもしれません。
しかしその感動がエネルギーとなり
『先の風になって』の大ヒットとして
【昇華】したのです。
死者の目線で
この世を見た詩ですね。