月別アーカイブ: 2010年2月

PTSD物語としての『眠れる森』

昨日の朝日新聞夕刊で
1998年の連続ドラマ
『眠れる森』のロケ地が
紹介されていました。

結婚を控えたヒロインが
ある森に向かいます。
子どもの頃受け取った手紙に
「15年後森であいましょう」と
書いてあったからです。

森ではキムタクがハンモックで
寝ています。

ヒロインは過去の記憶に悩み始めます。

両親は交通事故で亡くなったと
納得するのも
簡単なことではなかったのに
交通事故ではなく
殺人事件であり、
その現場に自分がいたという
記憶が故意に消されていたと
知ります…

キムタクは
記憶の操作がいつか
賞味期限を迎えることを
知っていたのですね。

なかなかすごいPTSD物語です。

復習しましょう。
①両親の死はトラウマになる可能性がある。
②①の緩衝材として記憶の操作が起こることがある。
③その記憶操作には賞味期限がある。
④賞味期限がくると苦悩が始まる。
⑤苦悩を克服するのに伴走者が必要

現状は
①「考えても仕方がない」「忘れろ」とトラウマを否認される。
②記憶の操作による現実検討能力の低下や葛藤による
 エネルギーの消耗の持続
③②の状態を『適応障害』『うつ病』『発達障碍』と誤診される。
④無意識の自己治癒システム作動と間違った治療の間で
 こころの海は大荒れになる。
⑤入院により間違った支援がさらに強化される。
⑥絶望が深まる

   …
この先は書けません…
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『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』PTSD観のすれ違い

村上春樹は
オウムによるテロ事件や
阪神淡路の大震災に
衝撃を受け

それをトラウマ化させず
【昇華】し
たくさんの作品を生みました。

内向的な繊細さが
問題をしっかり受け止めるのですが
大変な作業の過程の途中で
必ず急激な反転が起きます。

ものすごい創作エネルギーとともに
外に向けて発信させられるのです。
(禅画【十牛図】に示されています)

ユング心理学では
【個性化の過程】と呼ぶのでしょうが
その人の人生はもはや
個人のものではなくなります。

よい意味でのさせられ体験ですね。

一方河合隼雄は
日本人はPTSDになる力がないと考え
うつ病の心理療法が必要だと考えていたふしがあります

PTSDになる力がないのではなく
PTSDを【否認】し
クライエントにも【否認】させようとしている

というのが正しいと思います。

PTSDは【否認】すると
大暴れする特性を持っています。
大暴れしたら
クリニックを紹介されます。

クリニックでは
その人が来る前から
うつ病とカルテに書いてあります。

あとは【車輪の下数珠繋ぎ】の順番待ちです。
待っている間はこの世の地獄です。

村上春樹と河合隼雄
この二人の会話は
本当にかみ合っていたのでしょうか?

もはや
永遠の謎ですニコニコ
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『崖の上のポニョ』の母にみられる壮大な癒しのイメージ

ポニョのお母さんは
大きくて
神々しいですね。
父親との対比が
強調されています。

それで
「変だ」とかいう人も
おられるんですが…

監督は
海=無意識
と明言されていますから

無意識のなかの
偉大なものの【象徴】として
あのようなイメージが登場したのでしょう。

仏教では真の自己と言います。
自我と自己という2つ軸をこころは持っているのですが
(だからややこしい!)

お父さんに象徴される
小さな自我と
お母さんに象徴される
大きな自己
です。

ポニョは
人魚姫への違和感から
生まれたのですが、
それはキリスト教への違和感でしたね。

物語全体が華厳めいていますから
やはり
毘盧遮那仏でしょうね。
サンスクリット語の
Vairocana「ヴァイローチャナ」の音訳らしいです。

宇宙仏と言われ
宇宙の真理をすべての人に照らし、
悟りに導く仏です。

大日如来とも呼ばれ
東大寺盧舎那仏
奈良の大仏さまですね。

PTSD研究家翠雨の日記

神道のアマテラス(天照)のイメージも
習合していると思いますが、
これはまた改めてご説明したいと思います。

PTSDなどで
苦海にある人に対して

専門家が変なかかわりをして
(うつ病や発達障碍や人格障害と決め付けて
あきらめさせるなどして)

足を引っ張らなければ
無意識の中の癒しのシステムが作動して
ドラマチックな
物語とともに
生まれ変われるように
なっているのです。

もちろん
この世での話です。

監督も誰もがもつこころに存在する
魔法を表現したと
明記されていますよ。

うそだと思ったら
パンフレット見てください!
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『崖の上のポニョ』はなぜ仏教的なのか

昨日
華厳宗大本山の東大寺
不空羂索(ふくうけんさく)観音
のことを紹介した記事で

仏教の理論は何も
修行僧の専売特許ではなく
普通の人のこころも
システム的には
同じだと

だから
『崖の上のポニョ』
世紀の公案アニメであり、
私もDVシェルターでの
子どもの箱庭作品に
そういうモチーフをみつけて
感動することがあるのだと
書きました。

日本語が大体
仏教的なんです。
【シャカリキ(釈迦力)】
【一緒くた(一即多)】
【ウンザリ(蘊去り)】  例)五蘊皆空

ちょっと駄洒落的に
無意識で異熟し
護ってくれています。

関心がなくても
日本語のシャワーを
いつも浴びて生きてますから

ありがたいことです。
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かぐや姫と華厳の癒し

ポニョが掬われた網と
華厳の網の関係について
すでに書きましたが、
フツーの人のこころのなかに
本当はそういう
癒しのメカニズムがあるんですね。
それを感じてもらうために
仏像や仏画があるのだと思います。
PTSD研究家翠雨の日記
でも
「仏像なんか古くさ!」
「抹香くさいお説教ならまっぴらごめん」
なんていう人もいるから
(案外若者はそうでもないのですが…)
『崖の上のポニョ』など
アニメも必要なのですね。
ところが
心理療法でこのようなことが
常識になっているかといえば
残念ながら
こんなことを言っているのは
少数派です。
ある摂食障害のケースの話ですが、
ご多分にもれず
【かぐや姫イメージ】などが
表現されています。
輝く姫ですから
光源氏と並んで
華厳的で高貴な存在ですね。
しかし
まったく傾聴してもらえません。
高貴な方を
上から目線で指導するものですから
攻防が続き
そのうち
華厳の
セーフティネットワークのイメージが
出現しました。
最後の砦である
病院のスタッフが一丸となって
小さな女の子の訴えを
弾き飛ばすのですから
そういう子こそ救う
イメージが無意識に働くのです。
寒さと貧しさとDVの恐怖にさらされた
瀕死の
『マッチ売りの少女』の脳裏に浮かんだ
幻想の癒しみたいなものでしょうか。
しかしそれが
仏教的に解釈されることはなく、
そこでもらったダイヤモンドについて
女の子はとても意味を感じているのに
子どもにふさわしくないと
断罪されたりしています。
まるで継母ですね。
ダイヤモンドは金剛石で
不屈の精神のイメージでしょうに。
立派な子だと思います。
そういう子が
ポニョのように
華厳の網に引っかかるのでしょう。
しかし
心理療法の基本中の基本である
【ラポール】と【傾聴】は
どこに行ったのでしょうか?
命が助かればそれでよいのでしょうか?
みんなでよってたかって
これが
DVというものではないか
と思います。
この論文は
学会奨励賞を受賞し
受賞者は
学会理事として
後進を指導しています。
【車輪の下数珠つなぎ】の絶望は
こんな巨大なシステムに支えられているのです。
ただ
かぐや姫の多くは
根性があり
めったに病院に行かないのが
唯一の救いです。
治癒した人の殆どは
やはり
【自力】です。

雅子妃の象徴性

PTSD研究家翠雨の日記

本当につらいのに…

性格の悪さで
ここまでできるはずがないのに…

あんなに聡明で
エネルギーに満ち溢れた方だったのに
どうしちゃったんだろう?
なぜだろう?
と想像力を働かせられないほうが
どうかしてますよね。

最近公開された主治医のカルテによれば
回復の兆しは
【自力】によるものらしいですね。
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河合隼雄のPTSD観

村上春樹の本があまりに売れるので
なぜなのか?
とても関心をもった。

とはいえ作品を読み通す時間もないので
書評をあれこれ見ていて
興味深いものを見つけた

『村上春樹、河合隼雄に会いにいく』(新潮文庫、1999)
を読んだ人の書評です。
括弧つきで引用しているから
読み間違いとかではないと思われます。

河合隼雄氏は言う
日本人は PTSDがおこりにくい。
『日本人の場合は衝撃を個人で受け止めなくて、
全体で受け止めるのですよ。・・・
つまり それをがっちり一人で受け止めて悩む力がない
という言い方も出来ます』

それで
晩年は
学会のワークショップで【うつ病】を
取り上げておられたのですね。
河合先生の会場だけ
一桁多い学会員が集まっていましたねニコニコ

日本人にPTSDが起こりにくいとの予言は
見事にハズれましたね。

現在日本では
【解離】による
【自傷他害】ばかりです。

あっちを向いても【解離】
こっちを向いても【解離」

しかし、
個人ではなく全体で受け止めるというのは

【うつ病誤診】や
まともな医療を提供せず
【自力】で解決させるスタイルを
社会全体で温存させている現実に
確認できます。

年間3万人の魂の玉砕という犠牲の上に
成り立つ恐ろしいシステムです。
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朝日新聞『獅子頭』第二話【ラポール】

文化大革命の
【破除迷信】のスローガンに
表向きは
従順なふりをしていますが
盲人のおじいさんに
生まれたばかりの子の
行く末を占ってもらいます。
貧しい父親は
貧しいながらも
精一杯のお礼を
持参し
盲人のおじいさんは
大丈夫かと
気遣います。
心理学で
【ラポールの形成】
と言います。
こころに橋をかける感じですね。
診察室に入室する前から
診断名がカルテに書かれているような
医者との間にラポールはありません。
お互いに心が自由に交流していること
それが心理療法の基本です。
ラポールがない関係では
いくらお金を積んでも
相手が高名な医者でも
こちらが必死でも
すべて水の泡です。
両親が
赤ん坊の生まれた時刻と性別を
伝えると
老人は
赤ん坊の体温を頼りに
接近し

赤ん坊は
驚いて泣き出します。
ラポールの第二段ですね。
こうやってだんだん接近し強化していきます。
泣き声から
【元気】がよいと伝え、
感覚的につかんだ人相と
生まれた時刻から
将来は安泰だと伝えます。
中国のお話ですから
易陰陽五行説が生きた物語です。
【元気】の気は
木気・火気・土気・金気・水気の5気で
すべての基本です。
西洋科学なら
酸素・窒素・炭素…というところですか。
そのおおもとがしっかりしていることを
まず確認するのですね。
泣き方で
呼吸やこころのエネルギーの状態がわかりますからね。
生まれた時刻と干支で
小さな人間存在を
大いなる時間の流れにおいてみるのですね。
とても哲学的です。
西洋占星術と重なる部分もあるし
そうでない部分もあるでしょう。
大事なのは
固定した運命と決め付けるのではなく
起こりそうな問題を予想して
あらかじめ手を打っているところです。
これは仏教にも見られます。
(キリスト教が背景にある
人魚姫は運命が決まっています)
チベットの病院では
暦を発行しますし
チベット医学は心理学で
脈などを重視します。
その上で
現代流の西洋医学も研究しています。
心理療法も
西洋的な知識とテクニックだけでなく
ラポールや哲学を大事にしなければなりません。

村上春樹とPTSD

村上春樹は
1995年1月に起こった阪神・淡路大震災と
3月に起こった地下鉄サリン事件に
衝撃を受け、

同年8月には
『ねじまき鳥クロニクル 第3部』を
1997年には
地下鉄サリン事件の
被害者へのインタビューをまとめ
ノンフィクション『アンダーグラウンド』
を刊行しています。

村上春樹の作風の背後には
PTSDがあるようです。
病気になるのではなく
トラウマを作品として表現し
【昇華】することで
自身を護ったのです。

それまで内向的な作風で
社会に無関心な青年を描いてきた村上が
社会問題を真正面から題材にしたことで
周囲は驚きました。

村上の創作意欲はさらに
1999年の
『アンダーグラウンド』続編の『約束された場所で』
2000年には神戸の震災をテーマにした連作集
『神の子どもたちはみな踊る』を
彼に描かせました。

社会的な出来事を
題材に取るようになったことについて
村上自身は
コミットメント(かかわり)
ということについて
最近よく考えるんです。
たとえば
小説を書くときでも
コミットメントということが
ぼくにとっては
ものすごく大事になってきた。
以前はデタッチメント(かかわりのなさ)
というのが
ぼくにとっては
大事なことだったんですが」
と語っている。

デタッチメントからコミットメントへ

PTSDに苦しむ人たちもまた
つながりを求めて
さまざまな表現をしています。

村上春樹爆発的流行は
潜在的PTSDの多さを
暗示していると思います。
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『崖の上のポニョ』と正法眼蔵『海印三昧』

諸仏諸祖とあるに
かならず
海印三昧なり。

海印三昧は華厳経にある言葉です。
華厳経では
海=こころ
一即一切 一切即一
宇宙の中の
すべてのものは
交じり合い
流動している。
西田幾多郎なら
一即多 多即一
そういう法則が
ハンコ(印)で押したように
宇宙には満ち溢れている
ということでしょうね。
この原理を
楽しく
わかりやすく
親しみやすく
表現したのが
世紀の公案アニメ
『崖の上のポニョ』です。