月別アーカイブ: 2010年3月

子ども一割サプリメント摂取 ~ODへのハードル低い子になるかも

帝京大の
調べで
子どもの一割が
サプリメントや
健康食品を
摂取していることが
明らかに
なりました。

腎機能
肝機能への
影響を
指摘し

食事で
補うのが
理想であると
書かれています。

もちろん
大賛成ですが

私が気になるのは
薬への
慣れです。

うつ病誤診の
蔓延とその果ての
自殺増加は

現代の魔境ともいえる
巨大コンプレックス
(実は単純なつくり)
ですが、

1つには
医者による
ODがあります。

昔は
薬には
もっと警戒心が
あったものです。

必要なものでも
凄く抵抗心を
もったものです。

それが今は
キャンディーのように
気軽に
摂取しています。

こんなに
毎日毎日
たくさん飲まされて

うつ病は抗うつ薬が
効くからうつ病と
呼ぶのだというのが
教科書の基本中の基本
なのに

治りもしない
のは

おかしい
という

正常な判断が
できなくなって
いるのは

ハードルが1つ
いつの間にか
消えたことにも
あるように
感じます。

子どもの頃からの
サプリメントへの慣れは
案外怖いと思います。
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どらえもん『僕のうまれた日』 ~トラウマに向き合うことは自己実現へのパスポート

出生の秘密が
ドラマになるほど

人間の
出自は
大切なものです。

合理性
客観性
からすれば
どうでも
よいこと。

出自
なんか
不明でも

衣食住
足りてるのならば

がんばれば
どうにでもなる。

そういう
考えは
正しいかも
知れないけど

なんとなく
物理の世界
みたいで。

もしかしたら

そういうふうに
言う人は

人間としての
温かさを
【解離】
しているのでは
ないかな?

(のび太の
感じたような
普遍的な)
ショックを

ショックとして
受け止めないで

【否認】したり
【回避】させたり

することが
まかり通って

なんだか
世の中が
おかしくなっているから

のび太に
模範例を
示してもらってるの
かな?

上から目線で
ムリですとか
危険ですと
言わせないために

静香ちゃんでなく
のび太に
その役を
与えて。

ほら
臆病な
のび太でも
できましたよと。

そして
のび太は
いつか
静香ちゃんと
結婚するような
人物に
変貌
するのですよね。

トラウマに向きあうことは
自己実現への
パスポート

なんですよ。
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どらえもん『僕のうまれた日』 ~のび太によるPTSD予防学習

赤ん坊の時の
写真を
友達同士で
見せ合うことに
なりました。

ところが

アルバムには
生後一ヶ月間の
自分の写真はなく

ママに尋ねようと
すると
宿題を後回しにして
そんなこと
(凄く大事なこと
ですけど)
してるので

「こんな子を産んだ
覚えはない」
と大目玉を
食らいました。

大変なショックですね。

安全圏
ぎりぎりの
設定で

PTSD予防学習
してくれているような
マンガです。

心の教育として
必要だから
みんな興味をもつ
のでしょうね。

現実にある
不都合な
一部分の事実

恐怖や不安

このセットが
強力で

こころの強さを
超えたとき

PTSDになります。

テレビ欄には
のび太の名前の由来
知ってますか…?

とありますから

なんとなく
安全な
オチがありそう
ですが…

さらに言えば

PTSDに罹患
した人には

「写真くらい
どうでもいいじゃないか」
とか

「宿題しないほうが
悪い」
とか

「忘れなさい」
「気にするな」

アドバイスする
のは危険です。

また
当人は
真実を知るのが
怖いと
回避するのではなく

ゆっくりでいいので
ショックを受けた
時点に
立ち返って
考え治す必要が
あるでしょう。

のび太が
お手本です。
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朝日新聞『獅子頭』第二十七話 主人公の奇跡と【内観療法】

貧しい農民の
息子
二順が

雑技学校に
入り
料理学校に
入り

二十歳にして
一流レストランで
住み込みの
バイトをしています。

作者の言うように
【奇跡】
でしょう。

途中で
舞台恐怖症に
罹り
ピンチでしたが

何か
目に見えない
大きな力で
自分が導かれ
支えられている
そんな体験をした
人には

PTSDは
超えやすいのでは
ないかと思います。

目に見えない何か
といっても
実態は
些細な人々の親切とか
そういうものですが

なかなか
実感されないので
不思議と
感じるし
1つ1つの親切は
感じても
ありがたさは
ちょっと
感じにくいのだと
思います。

【内観療法】
をまた
思い出しました。

目に見えない
救いの網
を感じる
方法です。

ブランコから
落ちる
二順のような

勇気があり
努力しているのに
窮地に立たされて
孤立無援の
人を
掬う網です。
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【足利再審】菅谷さんへの裁判所の謝罪→PTSD克服における【謝罪】観再考

真実の声に
十分に耳を傾けられず

17年半の長きに渡って
自由を奪ったことに
まことに申し訳なく
思います」

静まりかえった法廷で
裁判長が
謝罪
しました。

宇都宮地裁で26日開かれた
足利事件の再審判決公判で

約18年もの間
冤罪(えんざい)を
背負い続けてきた
菅家利和さん(63)
にとっては

心待ちにしていた
裁判所の謝罪です。

人の世に
住んでいますから

いろんな
理不尽が
まかり通っていたり
しますが

その中でも
最たるもののの
1つに
冤罪があるでしょう。

疑われ
拘束され
世間から誤解され

ただ
自力の
精神力

ここまで
こころを
保ち続けてこられた
わけですが、

重症の
PTSDに
罹患し

精神病との
レッテルを貼られ
薬漬けののち
獄死する人は

少なくないと
想像されます。

間違ったことを
したら
あやまる
というのは
幼稚園でもならう
常識ですね。

加害者からの
謝罪は
PTSD化防止のための
大切な
特効薬
です。

「そんな
謝って欲しいなんて
そんなこと
思ってる暇あったら
就職活動
がんばれば?」
などと

謝罪を
軽んじては
いけません。
謝罪が大事なんです。

現状では
加害者の
謝罪や更正は
難しい
とされていますが

裁判所でも
前例にないことを
したのですから

もっと
未来に期待しましょう。

そして
被害者に
「ムリですよ」
なんて
悪魔のように
ささやくのではなく

菅谷さんの
支援者の方々のように

あきらめず
支えてあげましょう。
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鼻⑤ 呼吸法

呼吸は
意識的にも
無意識的にも
しますね。
そして
浅くしたり
深くしたり
すると
心理状態も
変化します。
なので
瞑想法と
呼吸法は
たいていセットですね。
また
呼吸のしかたを
お母さんから
習って
開始した人は
いませんから
先天的なものです。
つまり
人間には
生まれる前から
ある種の記憶がある
ことの証でも
あります。
無意識的な呼吸を
意識的に
しかし日常と違う
ゆったりした
呼吸にしながら
座禅に入ってゆき
(一太極二陰陽)
自分の脚下
(存在基盤)を
観直すのですね。
鼻は出っ張ってるので
取っ掛かりを
意味するそうですが
誰もが持っている
鼻というものが
リセットの
要になっているのは
ありがたい
ことだと
思います。
人は
神(大いなる自然)
の元では
平等です。

鼻④ 西田幾多郎

呼吸するも
一の快楽なり

悲哀の哲学者
西田は
瀕死の状態で
力強い哲学書を
遺したイメージが
あります。
西洋哲学と
東洋思想に
深く通底して
いましたから
聖書の
心貧しきもの
くらいには
充分共感できる
感受性が
おありだったでしょう。
絶対否定即肯定
なんてフレーズは
御国は心貧しき人の
ものだから
という
イエスの
感受性と
重なります。
4月4日
京都で
午後1時半から
西田哲学研究会
あります。

鼻③ 道元

正法眼蔵
『虚空』で
道元が
引用しています。
「太殺人
人の鼻孔を曳いて
直得脱去す。」
「直に恁地に
捉することを得て
始得ならん。」

禅問答の
わけのわからなさ
マックスですねニコニコ
しかし
陰陽五行が
わかってれば
なんてことないです。
殺人の
太は
【一太極二陰陽】の
太です。
鼻は
孔が2つあります。
鼻を引っ張られたら
驚いて
はっとするように
いいとか悪いとか
陰陽
分別の
葛藤が出てくる
おおもとの
太極に
回帰します。
しかし
そこで
神のような
太極と一体に
なるのでは
キリスト教ですから
(海の泡と化す
人魚姫の
イメージです)
ここで
その太極を
ばっさり切って
(殺人)
再生するというのが
リセット
(始得)の
法則なんです。
仏教では
八識田中に一刀を下ろす
とか言います。
八識は
阿頼耶識
ユングの集合的無意識みたいな
ものです。
あと
ビルシャナ仏の頭の上を
超えてゆけとか
仏教では
他の宗教からすれば
ありえない叫び不遜なことを
言いますねにひひ

鼻② イエス

マタイ5-3に
イエスの言葉として
書かれています。
心貧しきものは
幸いです。
天の御国は
その人のものだからです。

心貧しきものが
クセモノです。
poor in spirit
英語でも
大分意味が違ってきますが
原語では
息も絶え絶えのもの
という意味らしい
です。
つまり
鼻息が荒いと
評されるような
傲慢や
いばりんぼう
とは
真逆の
瀕死の状態を
指すのです。
PTSDで
瀕死の人には
自己実現して
再生する
未来があるのです。
トラウマを
回避したり
否認したりすると
(瀕死にはなりませんが)
流行する
見えない何かに
引きずられて
本当に
死んでしまうのです。
この差は甚大です。

鼻① スサノヲ

スサノヲは
父親が
禊をした
鼻から
生まれました。
父親は
なぜ禊をしたか
と言うと、
亡くなった妻を
追って
黄泉の国に
出向いたものの
恐ろしくて
逃げ帰った
からで
禊=身削ぎ
(蛇のように
脱皮しなければ)
生きてゆけなかった
からです。
沖縄の方なら
魂を落としてきた
と表現されるかも
しれません。
落としてきたなら
拾いに行かねば
なりませんね。
無意識的に
父の放棄した難題を
背負わされた
スサノヲは
父が逃げ帰った場所
に赴く
必要があったのです。
仏教では
父母未生已然の面目
とか言いますが
この無意識的に
背負わされた
難問を
解決しなければ
神格を受け継ぐ
ことができなかった
のです。
自己実現
(個性化)
という
難題を背負わされながら
泣き虫
不適応
暴れん坊と
誤解される
スサノヲは
PTSD患者そのものです。

しかし彼は克服し
古事記の基礎固めをしました。
精神科医も
臨床心理士も
おらず
抗精神病薬が
ない時代で
よかったですニコニコ