月別アーカイブ: 2010年4月

泣き虫か英雄か  発達障害か個性化か

涙の数だけ強くなっていると思う? ブログネタ:涙の数だけ強くなっていると思う? 参加中

本文はここから

 
『古事記』のスサノヲは
あごひげが胸に届くくらいの
年齢になっても
泣きわめき
山を泣き枯らし
海を泣き干すほど
でした。
しかし
出雲の国で
泣いている親子を見て
話を聞き
ヤマタノヲロチを
倒し英雄になりました。
『竹取物語』では
かぐやひめは
月を見て涙ぐむようになってから
自分が何者で
何をすべきだったのか
自覚が深まり
月へ還ってゆきました。
(本来の家)
神話では
泣くことと自己実現には
密接な関係が
あるようです。
多分
瞑想と関係がある
のだと思います。
カタルシス効果もあるし
分別を超えて
深く考えるリセットの法則が
泣くことの
【象徴】的意味だと
思います。
しかし
それは一回きりです。
いつも泣いてばかりで
変化のないのは
ただの泣き虫です。
発達障害なら
適応指導
個性化なら
自己実現モデル
大違いですよ。
泣いている人がいたら
どちらなのか
よく話を聞かなければ
なりません。
スサノヲや
かぐやひめに
職業訓練させる
あなたのご職業は?

2つの【ASD】~ 発達障害なのかストレスなのか 

ASDは
以下の略称である。
星急性ストレス障害
(Acute Stress Disorder)
星心房中隔欠損
(Atrial Septal Defect)
星自閉症スペクトラム障害
(Autism Spectrum Disorders)
文化庁長官としての
責任ある仕事中
倒れた河合先生って
どのASD?
いまはどっちが多いの?

河合隼雄古墳劣化隠蔽事件同席によるASD(急性ストレス障害)死因説

河合隼雄はなぜ
亡くなったか。
心臓が停止したから。
その前に意識を失い
植物状態に陥ったから

多くの信者は
こんな物理的な説明では
得心できないだろう。
ならば
今こそ
そこに気づくべきではないか。
なぜ倒れたのか。
倒れさせるショックがあったのではないか…
ユング派研究者として
古墳の劣化と
その隠ぺい工作に
直面させられる
これ以上強烈な
インパクトを与えるものは
なかっただろう。
そうでなかった
(何も感じていない)と言うなら
それこそ
河合隼雄を
冒涜していることに
なるだろう。
なんとも思わなかった
はずはない。
古墳はすべて
陰陽五行説にのっとって
作成されている
のだから。
日本人が
世界の中心
(中華民国なんて
名前つけるような
プライド高い国)の
凄すぎる哲学に圧倒され
PTSDにならないように
それと向き合い
取り入れ
必死で
昇華してきた
陰陽五行説
ユングも
現代西洋哲学の不足を
それで補い
バランスのよいものに
変革しようとしていた
東洋文化の華
それが劣化している。
キリスト教色豊かな
ユング心理学を
日本に自然に根付かせるには
陰陽五行説は外せないのは
あきらかなのに
 
手付かずのまま
劣化しようとしている。
モノとしての古墳のみならず
こころとしての研究も同様
かぐや姫がわがままだという
見立てにのっとった論文に
学会奨励賞を
与えてしまった…
これがいつか発覚したら
いつものように
ギャグで
雲に巻けるだろうか…
約一年間の
長い眠りのなかで
どんな夢をごらんになって
おられたのだろうか。
トラウマを克服することなく
『死に至る病』となってしまった。
キェルケゴールは
絶望の取り扱いに注意と警告している。

落語『鷺とり』と古事記『因幡の白兎』に共通して見られるPTSDモチーフ 

落語『鷺とり』は
サギをだますことで
楽して
大もうけしようとして
大失敗
天王寺の五輪の塔の上に
放置され
お坊さんたちに
助けてもらった話です。
(お坊さんは亡くなりましたよ)
因幡の白兎は
ワニをだまして
海を渡ろうとし
毛皮をはがれて
赤ウサギになり
うその治療を信じて
瀕死の重態に陥ったところを
大国主命に
助けられる
お話です。
ぜんぜん違うお話ですが
モチーフが似てますね。
これが
PTSDモチーフだと思います。
動物は
無意識つまりは
内なる自然のこころですね。
それを
だまそうとすると
(ウサギも男も
軽い気持ちで
あまり考えず
無意識ですが)
逆に手ひどいしっぺ返しにあうという
こころのメカニズムを
教えています。
救われるから
あきらめてはいけませんが
助けようとする人は
稀で(古事記では80人に一人)あり
いじめられたりしている人が多いし
治療に巻き込まれて死んでしまった人も
います。
(多くは比喩ですが、
まれにそのままの場合もあります)

落語『鷺とり』にみられる行動療法

同じ大きさの音ならば
近くで聞くと
大きな音に聞こえ
遠くで聞くと
小さな音に聞こえますね。
そして
あんまり離れると
聞こえません。
ある男が
この法則を応用して
サギをだまして
捕まえようと
考えました。

どうするか?
サギから遠く離れた場所で
大声で「サギぃ!」
と呼びます。
サギは
『誰かが近くで
自分を呼んでるが
いないなあ。
気のせいかなあ』と
油断します。
サギにもう少し近づき
さっきより小さな声で
「サギぃ!」と呼びます。
サギは
『確かに呼ばれてるけど
いないなあ。
それに遠ざかってるなあ』と
さらに油断します。
さらに近づいて小さな声で呼び

サギにだんだん接近しながら
油断させて
捕まえるというのです。
理屈は面白いですが
実際に行うと
うまくいかなかった

ようです。
PTSD治療に有効として
最近新聞なんかでよく見かける
行動療法みたいです。
サギの用心深いこころを
相手に(悪用ですが)して
います。

人間の心は見えないし
つかめないから
行動を修正したらよい、
行動が変われば
こころも変化するから
という考え方
です。
カウンセラーの方は
楽ですよニコニコ
メニューを考えて
指示するだけですから。
(普通に良心あれば
だんだん辛くなってきますがね。
そこは【抑圧】【否認】ドクロ
心理療法の基本は
【非指示】ですから
真逆です。
ご自身もうつ病を
患っておられたそうですし
作品のなかには
PTSDで発狂した人の
事例集みたいな
ものさえあります。
枝雀さんも
いろいろ
普遍的に存在する
PTSDを
どうしたらよいのか
考えておられたのではないかな?
と思います。
そして将来流行する
(ユング心理学より
寿命は短いと思いますが)
【行動療法】について
ちょっと風刺してる
(作品自体は古典かも
しれませんが…)
そんな気がします。

ケータイ発ドラマ『激恋』はPTSD学習入門偏

主人公は
父親の浮気が原因で
男性嫌いになった

内気な
高校一年生の
女の子です。
心理学では
こういうのを
【般化】
言います。
「父親が嫌いだからって
男性全体を嫌うって
どういうこと?
それって矛盾してなぁい?」
とかいうのは
【論理療法】
こういうのは
あんまり受けない
ですね。
ちょっと
やな感じ
がします。
父親の存在を
時間をかけ
ゆっくりゆっくり
許していくのが
【系統的脱感作】
いくら嫌いでも
このくらいのことなら
できるというものを見つけて
(遠くから後ろ姿を見るだけなら
 イライラしないとか)
それとホンの少し違うだけのことを
プラスしたものに挑戦し
次の日またホンの少し
どこが違うのかというくらいの
嫌さをプラスした
メニューに挑戦していたら

数日後
気づかないうちに
いつのまにか
大嫌いな父親と
腕を組んでいた叫び
そういうやり方ですが
これまた意味不明ですね。
(理屈は理解できてもネ!)
災害被害者のなかには
『こんなことで
あのときの気持ちを風化させても
いいのだろうか…』
と悩みながらこの方法を
受けている方もおられますよ。
ダイエットなら
理解できるんですけどね。
毎日ホンの少し
カロリーダウン
あるいは
分量ダウンすれば
胃が慣れるでしょ?
でも…
これらのように
機械的に慣らしてゆくのではなく
人間関係の中で
癒されながら
新しいものを
発見しながら
自然に変化していくのが
理想ですよね。
ドラマでは
モテモテの先輩と
ひょんなことから
デートすることになり
次第に心を開いていきます。
癒されながら…
ということは
癒されない何か
傷のようなものが
あるということですよね。
父親が悪いとか
いうのでもなく
(悪いのは決まってますから)
その傷のようなものに
焦点を当て
でもむやみに暴露させずに
大事に保護しながら
癒していくような
そんな方法がいいですね。
お話の展開で
奇妙なことが起こるのは
心理療法の過程では
受け入れがたいことが
さらに出てくることがあるけれども
それを乗り越えていかなければ
ならないし
できるのだということを
教えてくれているのだと
思います。
ちょっと奇妙すぎるとも
書かれてますが
ドラマなので
そこは
ご愛嬌音譜
一般教養としての
PTSD入門になるのではないでしょうか?

高槻淀川堤防のポリ袋に女性遺体の年齢不詳~落語『天神山』

昨日午後5時45分ごろ
大阪府高槻市東上牧3丁目の
淀川右岸の堤防の斜面に

「遺体のようなものが入ったポリ袋がある」と
通りかかった男女2人が
近くの交番に届け出ました。

大阪府警によると
遺体は
10代後半から40代の女性とみられ
体を折り曲げた状態で
複数のポリ袋に包まれていました。

『天神山』の
「骨隠す
皮には誰も迷うなり」
ですね。

【百尺竿頭】とか
言いますが

竿とは
枝葉末節を取り払った
骨子です。

十人十色ですが
【雛形】としての
【元型】はあります。

人間はさまざまでありながら
一種類です。

$PTSD研究家翠雨の日記

一即多 多即一
です。
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『無知の涙』永山則夫④ 誰もがポニョになる

自分が横切った
生のパラドックス
その不可解の
いったいそこに
何が在ったのかへの

なぜ自分が
そこにいたのかへの

果てのない追求の
手記である。


謎の追求であり
自問自答の手記なのである。

そう
秋山駿は述べています。

PTSDにおいて
解離を起こすようになった人間は

永山でなくても
哲学者になるのではないか
と感じます。

机上論や
職業としての
哲学ではなく

生きるための哲学です。

哲学しなければ
もはや
一歩も進めないのです。

【如人千尺懸崖上樹】です。

崖の上のポニョなのです。
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『無知の涙』③ 心因反応としての犯罪 

永山のノートを読んだ
秋山駿は
書いている。

「動機なき、理由なき殺人」
と称されているが

こんな言葉を
ああそうかと
単純に簡単に
分かったつもりに
なってもらっては困る。

人のあらゆる行動には
何らかの意味で
すべて動機があり
理由があるのだ。

最高に支離滅裂な発狂者にあっても
彼に意識がある限り
必ずその言動には
動機と理由というものが
ある
のだ。

「動機なき、理由なき殺人」
というのは
人間の奥深くにある
生のパラドックスの
その露出
なのだ。

人間が犯罪を犯すのは
すべて心因反応であると
発狂と言っても
遺伝性の不治の病ではないと

聞こえませんか?
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『無知の涙』永山則夫② PTSDブログ

4人も射殺した
19歳の少年は

獄中で

本を貪り読み
字を学び
生まれて初めて
ノートに綴った。

自らを徹底的に
追い詰め
世界と自己について
哲学した。

彼が亡くなった
1997年頃は

今から思えば

不可解な事件や
理不尽な事件が
頻発し始めた

【象徴的】な時期だったような
気がする。

現在
PTSD克服者は
  ―もちろん囚人ではないが
   無意識的にはトラウマの
   現実的には暴君の
   とらわれ人
   例外なく模範囚―

否応なしであるが

心理学者以上に
哲学者以上に
宗教者以上に

ブログに書き綴りながら
暗中模索している。
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