花咲かじいさん⑪  西田哲学の純粋経験

『花咲かじいさん』の
話は
純粋なこころの持ち主である
おじいさんの存在から
始まります。

これなくしては
物語は
始まらなかったのです。
自己実現するにも
純粋なこころが
出発点になると思います。
何もいつも
純粋でなければならない
というような
お説教では
ありません。
純粋であろうとするから
隣人の邪悪なおじいさんとも
出会うのです。

そして
善悪(陰陽)
織り成す
試練に鍛えられて
―どんなに
ひどいことをされても
傷ついた子犬のことを
全身全霊で
(夢でも大事にしながら)
思い続けていると―
本当の自分が
だんだん見えてくるのだと
思います。
どうでもいいことかも知れませんが…
日本を代表する
哲学者
西田幾多郎の
哲学も
【純粋経験】から
始まります。

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