永山則夫は
1949年
北海道に生まれ
青森の中学校を卒業後
上京
店員、自動車塗装工、日雇い労働者等を経て
68年
4件の連続射殺事件を
起こし
69年逮捕され
90年死刑が確定し
97年に執行された。
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永山則夫は
1949年
北海道に生まれ
青森の中学校を卒業後
上京
店員、自動車塗装工、日雇い労働者等を経て
68年
4件の連続射殺事件を
起こし
69年逮捕され
90年死刑が確定し
97年に執行された。
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昨日は
大阪府吹田市竹見台1丁目の
プロテスタント系の教会施設にある
保育園1階の窓ガラスが
破損しているのを
通行人の男性(32)が見つけました。
室内から消火器が見つかり
吹田署は器物損壊で
捜査しています。
解離を起こすと
世界が物理的世界に変貌しますから
消火器を持ち上げ
投げる腕力があれば
教会の窓ガラスを割るという
不遜で迷惑なことも
可能です。
良心が痛まないための
麻酔として【解離】が
あります。
しかし
単なるストレス発散なら
いろいろ他にも
迷惑行為が
考えられます。
やはり
教会に消火器を
投げ込む必要性を
犯人の無意識は感じており
解離を起こし
現実検討能力を失ったこの人は
無意識に操られるまま
消火器を投げ込んだのです。
統合失調症のさせられ体験ですが
統合失調症かどうかは
わかりません。
PTSDでも
解離という名の
統合の失調を起こしますから。
【象徴的】な意味での
教会を消したいのでしょうね。
かぐや姫を
西洋二元論に当てはめて
わがままあつかいするような
世の中に
一言言いたいのでは
ないでしょうか?
宮崎監督は
キリスト教文化の
『人魚姫』では
絶望が深まるばかりだから
『崖の上のポニョ』を
描いたのです。
単なる哲学ではありません。
この哲学が
心理療法における
見立てと切り離せない関係にあるため
誤診がおこり
自殺する人が
後を絶ちません。
無意識の意図は
そういうことでしょう。
もちろん
これは犯罪ですが…
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自己実現なんて…
自覚なんて…
ましてや
悟りなんて…
自分には関係ないと
おっしゃる方が
よくおられます。
特殊な世界の
特殊な人の
お話
あるいは
単なる机上論だと
お考えだったり…
何偉そうに講釈してるんだ
学会で老獪な学者に嫌がられたり…
―ユング派で
河合隼雄から
宗教やマンダラを研究するように
言われたと自慢し豪語してるクセに
しかし
少し落ち着いて考えれば
子どもにでも
理解できる話ですが
ユングしかり
おしゃかさましかり
イエスしかり
マホメッドしかり
…
みな仕方なく
自己実現の道
(個性化の過程)を
歩まされた人ばかりですよ
自分で選択したのでは
ありません。
そうしなければ
生きていけなかったから
仕方なく
そうしたのです。
みんな凡夫でした。
竹取物語の
【竹】と【鼠】は
それを【象徴】していると
思います。
どちらも
日本にはありふれたもので
しかも繁殖力が凄くて
放置したら
大変な厄介ものです。
竹は
水平に根を張り
大地の保水力を低下させ
土砂崩れをおこし
森林を台無しにしますし
鼠は
歴史の中で長らく
ペストという感染症を
流行させました。
致死率は相当高く
パニックから
心的感染も併発し
手に負えませんでした。
そういう
ありのまま放置しては
人間の存在する世界すら
破壊しかねない
大変な嫌われ者ですが
その中に
稀に
輝かしいものや
神聖が
宿ることがあることを
示しているのだと思います。
つまりは
自己実現や自覚・悟りの
器は誰もが持っているのです。
(ここの部分は
第一公案 仏の御石の鉢と
関係すると考えています)
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名残りなく燃ゆと知りせば
皮衣
思ひのほかに
置きて見ましを
かぐや姫の詠んだうたです。
火ねずみの
火は火気そのもの
ねずみは水気
【水剋火】ですから
燃えてはいけないのです。
公案ですから
難題です。
もっと覚悟して取り組まねば
つかめないのに
分別やお金で現実的に対処するなど
横柄で
不真面目千万です。
【思ひ】は
思いのことですが
【思火】とかけています。
かぐや姫はちょっと怒ってます。
百歩ゆずって
あなたに【象徴的解釈】が
難しすぎたとしても
皮衣はさがせませんでしたと
素直に認めて
「こんなものですが…」と
渡してくれたら
普通の美しい舶来物として
眺める手もあったのにと。
あなたが現実的にしか対処しようとしなかったので
私も現実的に燃やしてしまったし
あなたが私を小ばかにしようとしたので
私も皮肉を言いますよ
と…
PTSDでも
問題を【回避】とか【否認】とか
【合理化】とかで
ごまかして
無意識を侮ったつもりになっていると
あとで
それなりに
しっぺ返しありますね
現実的対処と
非現実的対処について
説明する哲人かぐや姫です。
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「是冬、京都之鼠、向近江移」
『日本書紀』(天智5年)
この冬、京都のねずみが近江に移る
天智天皇の近江遷都
についての
記述なのですが
なんと
ねずみさん
が移動したと
書いてあります!
正史にねずみ
たしかに…
明日香に対して近江(大津)は
真北の方角にあります。
子午線上に
国家的大事業を
行ったのですね。
しかも
667から794の平安遷都までの
130年間に
6回も
子午線上での遷都を
繰り返しています。
なぜこんなことをする必要が
あったのでしょう。
今なら
ちゃんと説明しないと
大ブーイングが起こります。
ねずみは 北で水気 陰の極み
うまは 南で火気 陽の極み
水と火ですね。
【水剋火】で
水が強いです。
人間のこころでは…
無意識は【水】
意識は【火】です。
意識を
ぼんやりさせて
無意識のなかに沈み
瞑想させる
これが
自己実現の極意でしよう。
公案を解くにも
PTSDの謎を解くにも
【水剋火】
阿部氏のような
頭でっかちはダメなんです
そして陰陽を
シャッフルシャッフルして
活性化させる
【一太極二陰陽】のリセットの呪術が
こめられているのではないかと
思います。
遷都に関しては
故吉野裕子先生に教わりました。
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ねずみさんです。
ねずみは
現実には害獣あつかいです
でも…
イメージになると
たちまち子どもたちの
アイドルです
ミッキーマウスも
そうですね。
そして
日本の民俗のなかでは
なんと
【神聖視】されています
この理由に迫るには
予知能力があるとか
姿形からの類推だけでは
お手上げでしょう。
ユング心理学の
イメージや象徴の理論は
大事ですが
日本の子どもたちが
箱庭の中に置くねずみさんの意味や
ぐりとぐらの童話が
なぜ
子どもたちの心に響くのか
説明がつきません。
日本のユング派は
陰陽五行を
学ばなければ
かぐや姫をわがままだという
発想から
いつまでたっても
脱出できないでしょう
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かぐや姫の出した5つの公案の
3番目です。
右大臣安部御主人
(あべのみうし)に
出されました。
臨済禅では
坐禅のほかに
参禅というものがあり
師が弟子の能力に応じて
問題を出します。
しかし禅問答ですから
常識では解けません。
弟子は全身全霊で
必死で考え
叱咤激励されながら
修行するそうです。
常識というのは
無意識にある
その人の自明性でしょうね。
ユングなら
【普遍的無意識】とか
【集合的無意識】
唯識では
【阿頼耶識】と
呼ぶ部分です。
自明ですから
半ば宗教みたいなもので
その真偽を疑いもしない
部分です。
それが真の判断を
狂わせる原因です。
阿部氏の場合は
お金持ちで
外国にもお友達がいるような
人でした。
ちょっとうらやましいですが
これがかぐや姫の
公案を解く邪魔になりました。
自分の最大の長所を活かして
つまり
大金を払い
外国に文を送って
取り寄せようとしました。
かぐや姫の求めていたものは
モノではなく
こころですから
お金で手に入るもの
ではなく
もっと工夫して
手に入れるべきものですし
外国にあるものでは
ないのですね。
そんなことしなくても
自分の心の中に
あるものです。
見えないだけで…
PTSD克服の過程も
同じです。
お金や情報があっても
自覚が起こるような
治療法を選択しなければ
治らないという事実は
皇室が【象徴】していますね
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昨夜開幕した
落語家約90人が
話芸を繰り広げる
大規模なイベント
「上方落語まつりinミナミ」の
一幕です。
人間国宝の桂米朝さん(84)は
正座を続けるのが難しく
急きょ用意されたいすに
座り直されたのですが
「こんなややこしいところに
座らされて
どないしていいか分からん」と話すと
客席から温かい拍手が起きました。
【坐る】ことは…
坐禅でこころを整えたりしますし
日本人のこころと文化に
密接に関わっているものですよね。
ややこしくて
どう坐ったらいいか
わからない
というのは
―確かに坐りにくいですから
そう言っておられるに
すぎないのですが―
実は
多くの人が今実感している
居心地の悪さの【象徴】でもある
ように感じました。
PTSDなんかになると
いたたまれない!
という状態になります。
【居た堪れない】と書くようです。
そして聴衆の
温かい拍手に
拍手の意味を改めて
感じました。
【拍手】はかしわで
ですね。
【合掌】も似たような意味でしょうが
右手と左手で
【陰陽】です。
手偏(てへん)に【シロ】
花咲かじいさんの犬は〈シロ〉
因幡の白兎も〈シロ〉
シロは陰陽五行では金気で
固く固く結実した秋の木の実のような
ものです。
意識を集中して集中して
起こる【純粋経験】
西田幾多郎のいう
主客のない無我の境地です。
わが国を代表する西田哲学は
ここから出発しています。
陰陽五行では【太極】
つまりは混沌です。
『どうしていいかわからない』
『それでよいのですよ』
(そうでなくてはならないのですよ)
米朝さんと聴衆の無意識のやりとりが
聞こえるような気がします。
だから
居心地のよい可笑さを感じる
のではないですか?
日本人の【集合的無意識】としての
(共通認識・コモンセンス)
【一太極二陰陽】のリセットの法則を
感じました。
スサノヲも泣きながら
混沌である【太極】に退行し
リセットして
日本の無意識の歴史を築いています。
日本人なら
どうしていいかわからない
絶体絶命から
始めましょう!
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自分が横切った
生のパラドックス
その不可解の
いったいそこに
何が在ったのかへの
なぜ自分が
そこにいたのかへの
果てのない追求の
手記である。
…
謎の追求であり
自問自答の手記なのである。
そう
秋山駿は述べています。
PTSDにおいて
解離を起こすようになった人間は
永山でなくても
哲学者になるのではないか
と感じます。
机上論や
職業としての
哲学ではなく
生きるための哲学です。
哲学しなければ
もはや
一歩も進めないのです。
【如人千尺懸崖上樹】です。
崖の上のポニョなのです。