月別アーカイブ: 2010年4月

『無知の涙』③ 心因反応としての犯罪 

永山のノートを読んだ
秋山駿は
書いている。
「動機なき、理由なき殺人」
と称されているが
こんな言葉を
ああそうかと
単純に簡単に
分かったつもりに
なってもらっては困る。
人のあらゆる行動には
何らかの意味で
すべて動機があり
理由があるのだ。
最高に支離滅裂な発狂者にあっても
彼に意識がある限り
必ずその言動には
動機と理由というものが
ある
のだ。
「動機なき、理由なき殺人」
というのは
人間の奥深くにある
生のパラドックスの
その露出
なのだ。
人間が犯罪を犯すのは
すべて心因反応であると
発狂と言っても
遺伝性の不治の病ではないと
聞こえませんか?

『無知の涙』永山則夫② PTSDブログ

4人も射殺した
19歳の少年は
獄中で
本を貪り読み
字を学び
生まれて初めて
ノートに綴った。
自らを徹底的に
追い詰め
世界と自己について
哲学した。
彼が亡くなった
1997年頃は
今から思えば
不可解な事件や
理不尽な事件が
頻発し始めた
【象徴的】な時期だったような
気がする。
現在
PTSD克服者は
  ―もちろん囚人ではないが
   無意識的にはトラウマの
   現実的には暴君の
   とらわれ人
   例外なく模範囚―
否応なしであるが
心理学者以上に
哲学者以上に
宗教者以上に
ブログに書き綴りながら
暗中模索している。

連続消火器投げ込み事件の象徴的意味

昨日は
大阪府吹田市竹見台1丁目の
プロテスタント系の教会施設にある
保育園1階の窓ガラスが
破損しているのを
通行人の男性(32)が見つけました。
室内から消火器が見つかり
吹田署は器物損壊で
捜査しています。
解離を起こすと
世界が物理的世界に変貌しますから
消火器を持ち上げ
投げる腕力があれば
教会の窓ガラスを割るという
不遜で迷惑なことも
可能です。
良心が痛まないための
麻酔として【解離】が
あります。
しかし
単なるストレス発散なら
いろいろ他にも
迷惑行為が
考えられます。
やはり
教会に消火器を
投げ込む必要性を
犯人の無意識は感じており
解離を起こし
現実検討能力を失ったこの人は
無意識に操られるまま
消火器を投げ込んだのです。

統合失調症のさせられ体験ですが
統合失調症かどうかは
わかりません。
PTSDでも
解離という名の
統合の失調を起こしますから。

【象徴的】な意味での
教会を消したいのでしょうね。

かぐや姫を
西洋二元論に当てはめて
わがままあつかいするような
世の中に
一言言いたいのでは
ないでしょうか?
宮崎監督は
キリスト教文化の
『人魚姫』では
絶望が深まるばかりだから
『崖の上のポニョ』を
描いたのです。
単なる哲学ではありません。
この哲学が
心理療法における
見立てと切り離せない関係にあるため
誤診がおこり
自殺する人が
後を絶ちません。
無意識の意図は
そういうことでしょう。
もちろん
これは犯罪ですが…

『竹取物語』火鼠の皮衣の象徴的意味⑤ 竹と鼠 

自己実現なんて…シラー
自覚なんて…シラー
ましてや
悟りなんて…シラー
自分には関係ないと
おっしゃる方が
よくおられます。
特殊な世界の
特殊な人の
お話
あるいは
単なる机上論だと
お考えだったり…
何偉そうに講釈してるんだむかっ
学会で老獪な学者に嫌がられたり…
 ―ユング派で
 河合隼雄から
 宗教やマンダラを研究するように
 言われたと自慢し豪語してるクセに叫び
しかし
少し落ち着いて考えれば
子どもにでも
理解できる話ですが
ユングしかり
おしゃかさましかり
イエスしかり
マホメッドしかり

みな仕方なく
自己実現の道
(個性化の過程)を
歩まされた人ばかりですよひらめき電球
自分で選択したのでは
ありません。
そうしなければ
生きていけなかったから
仕方なく
そうしたのです。
みんな凡夫でした。
竹取物語の
【竹】と【鼠】は
それを【象徴】していると
思います。
どちらも
日本にはありふれたもので
しかも繁殖力が凄くて
放置したら
大変な厄介ものです。
竹は
水平に根を張り
大地の保水力を低下させ
土砂崩れをおこし
森林を台無しにしますし
鼠は
歴史の中で長らく
ペストという感染症を
流行させました。
致死率は相当高く
パニックから
心的感染も併発し
手に負えませんでした。
そういう
ありのまま放置しては
人間の存在する世界すら
破壊しかねない
大変な嫌われ者ですが
その中に
稀に
輝かしいものひらめき電球
神聖星
宿ることがあることを
示しているのだと思います。
つまりは
自己実現や自覚・悟りの
器は誰もが持っているのです。
(ここの部分は
第一公案 仏の御石の鉢と
関係すると考えています)

『竹取物語』火鼠の皮衣の象徴的意味④ 現実的対応と非現実的対応 

名残りなく燃ゆと知りせば
皮衣
思ひのほかに
置きて見ましを

かぐや姫の詠んだうたです。
火ねずみの
火は火気そのもの
ねずみは水気
【水剋火】ですから
燃えてはいけないのです。
公案ですから
難題です。
もっと覚悟して取り組まねば
つかめないのに
分別やお金で現実的に対処するなど
横柄で
不真面目千万です。
【思ひ】は
思いのことですが
【思】とかけています。
かぐや姫はちょっと怒ってます。
百歩ゆずって
あなたに【象徴的解釈】が
難しすぎたとしても
皮衣はさがせませんでしたと
素直に認めて
「こんなものですが…」と
渡してくれたら
普通の美しい舶来物として
眺める手もあったのにと。
あなたが現実的にしか対処しようとしなかったので
私も現実的に燃やしてしまったし
あなたが私を小ばかにしようとしたので
私も皮肉を言いますよ
と…
PTSDでも
問題を【回避】とか【否認】とか
【合理化】とかで
ごまかして
無意識を侮ったつもりになっていると
あとで
それなりに
しっぺ返しありますねショック!
現実的対処と
非現実的対処について
説明する哲人かぐや姫です。

『竹取物語』火鼠の皮衣の象徴的意味③ 遷都成功の呪術に使われるほど大切な鼠

「是冬、京都之、向近江移」
       『日本書紀』(天智5年)
  この冬、京都のねずみが近江に移る
天智天皇の近江遷都
についての
記述なのですが
なんと
ねずみさん目
が移動したと
書いてあります!
正史にねずみ叫び
たしかに…
明日香に対して近江(大津)は
真北の方角にあります。

PTSD研究家翠雨の日記
午線上に
国家的大事業を
行ったのですね。
しかも
667から794の平安遷都までの
130年間に
6回も
子午線上での遷都を
繰り返して
います。
なぜこんなことをする必要が
あったのでしょう。
今なら
ちゃんと説明しないと
大ブーイングが起こります。
ねずみは 北で気 の極み  
うまは  南で気 の極み
水と火ですね。
【水剋火】で
水が強いです。
人間のこころでは…
無意識は【水】
意識は【火】です。
意識を
ぼんやりさせて
無意識のなかに沈み
瞑想させる
これが
自己実現の極意
でしよう。
公案を解くにも
PTSDの謎を解くにも
【水剋火】
阿部氏のような
頭でっかちはダメなんですニコニコ
そして陰陽を
シャッフルシャッフルして
活性化させる
【一太極二陰陽】のリセットの呪術が
こめられているのではないかと
思います。
遷都に関しては
ドキドキ吉野裕子先生に教わりました。
$PTSD研究家翠雨の日記

『竹取物語』火鼠の皮衣の象徴的意味② ユング心理学ではお手上げ

PTSD研究家翠雨の日記
ねずみさんです。
ねずみは
現実には害獣あつかいですしょぼん
でも…
PTSD研究家翠雨の日記
イメージになると
たちまち子どもたちの
アイドルですニコニコ
ミッキーマウスも
そうですね。
そして
日本の民俗のなかでは
なんと
【神聖視】されています目
この理由に迫るには
予知能力があるとか
姿形からの類推だけでは
お手上げでしょう。
ユング心理学の
イメージや象徴の理論は
大事ですが
日本の子どもたちが
箱庭の中に置くねずみさんの意味や
ぐりとぐらの童話が
なぜ
子どもたちの心に響くのか
説明がつきません。
日本のユング派は
陰陽五行を
学ばなければ
かぐや姫をわがままだという
発想から
いつまでたっても
脱出できないでしょうニコニコ

『竹取物語』火鼠の皮衣の象徴的意味① 雅子さまの適応障害

かぐや姫の出した5つの公案
3番目です。
右大臣安部御主人
(あべのみうし)に
出されました。
臨済禅では
坐禅のほかに
参禅というものがあり
師が弟子の能力に応じて
問題を出します。
しかし禅問答ですから
常識では解けません
弟子は全身全霊で
必死で考え

叱咤激励されながら
修行するそうです。
常識というのは
無意識にある
その人の自明性でしょうね。
ユングなら
【普遍的無意識】とか
【集合的無意識】
唯識では
【阿頼耶識】と
呼ぶ部分です。
自明ですから
半ば宗教みたいなもので
その真偽を疑いもしない
部分です。
それが真の判断を
狂わせる原因ひらめき電球です。
阿部氏の場合は
お金持ちで
外国にもお友達がいる
ような
人でした。
ちょっとうらやましいですがむっ
これがかぐや姫の
公案を解く邪魔になりました。
自分の最大の長所を活かして
つまり
大金を払い
外国に文を送って
取り寄せようとしました。
かぐや姫の求めていたものは
モノではなく
こころひらめき電球
ですから
お金で手に入るもの
ではなく
もっと工夫して
手に入れるべきものですし
外国にあるものでは
ないのですね。
そんなことしなくても
自分の心の中に
あるものです。
見えないだけで…
PTSD克服の過程も
同じです。
お金や情報があっても
自覚が起こるような
治療法を選択しなければ
治らないという事実は
皇室が【象徴】していますねニコニコ

朝日新聞『獅子頭』第五十三~五十五話  昇華と自己実現

舞台恐怖症が【昇華】した
【獅子頭】の料理を認められ
日本に行けることになり

海外渡航にあたって
共産党にも
特例入党することになりました。

すべてが名誉な話ですが
大変困惑しています。

党と国家を前に
自分や家族が障害になれば
それを犠牲にするのが
常識で
それができないのは
恥ずべきこと
という時代です。

ユングの集合的無意識には
層があり

比較的意識に近いものが
個人的無意識

個人的無意識の背景に
家族的無意識

そしてそれを支える
国家的な無意識があります。
(中国人としての常識)

【自己実現】つまり
【個性化の過程】の際には

この集団の常識を
超えざるを得なくなります。

お釈迦さまは
自分の生まれた土地にあった宗教を否定し
家族を捨てて
厳しい修行をしたのち
悟り
仏教をつくりましたし、

イエスキリストも
為政者たちに
迫害され死刑にされながら
キリスト教をつくりました。

モハメッドも
激しい幻聴に脂汗をかきながら
必死に瞑想し
イスラム教をつくりました。

この【元型】は
何も宗教者の専売特許ではありません。

かぐや姫も自己実現にあたって
月に還って行きました。
(月は本来の自己のある場所です)

一般人も

自己実現するときは
似たような雛形に絡め取られて
苦しむのです。
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