月別アーカイブ: 2010年4月

PTSD罹患者はC.G,ユングである

実験室で
ねずみを箱に入れようとしたら
ねずみが逃げ出した。

『ねずみはなぜ
逃げ出したのだろう?』

ここから新しい研究が
始まりました。

非行少年に
大学で習った理論や
当時流行していたフロイトの
精神分析を
当てはめて
面接したら
うまくいった。
しかし数年後
必ず再犯が起こる
『これじゃだめじゃないか。
何が間違っていて
どうすればいいのだ』

そこから
【傾聴】の理論化が
始まりました。

ユングという人も
当時
「凄すぎるぅー叫び」と崇められていた
フロイトの理論に
疑問を持ちました。

宗教的なタブーに匹敵する
疑問ですから

普通は【否認】して
感じないようにするものです。

それに気づいてしまった。

ただではすみません。

ユング版
『崖の上のポニョ』
(如人千尺懸崖上樹)の

$PTSD研究家翠雨の日記

克服の過程が
『赤の書』であり

PTSD研究家翠雨の日記

集合的無意識
(普遍的無意識)
やペルソナ
影、アニマ&アニムスなんていう
理論はすべて
これを言語化したものに
すぎないのです。

すべては1つです。
$PTSD研究家翠雨の日記

(【一即多 多即一】  一緒くたを優しく説明したアニメです)

みんな
自分の頭で考えてきたから
自然に疑問をもったし

それをごまかさないで
いたから
勇気や知性が養われたのです。

DVシェルターで
箱庭なんかする子たちは
入所してきたばかりで
おどおど不安そうな子たちに
「頭で考えてね」
とやさしくアドバイスしていますよ。

子どもは哲学者でしょうニコニコ
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朝日新聞『獅子頭』第三十九話 マクドナルド並みの臨床心理学に命を託せるか

雲紗と結婚したければ

彼女の父親に
認められるような
料理人になることが
必須であり

その料理は
気が遠くなるような
歴史や地理
そして
そこで繰り広げられた
であろう
人間の
必死の創意工夫の
積み重ねの跡としての
知恵
(集合的無意識
 普遍的無意識)

実は
密接に結びついている。

そのうえでの話だが

彼女は二順に
メニューにないものを
作らせ
ようとする。

歴史を否定すれば
根無し草となり
たちまち不安になるが

過去の歴史として
閉じられ完結した世界に
自分を閉じ込めたら
滞った水により
根が腐る。

伝承の秘儀だと
思います。

そして
これはPTSDにおける
トラウマの取り扱いにも
通底することだし

こころの研究が
おかしくなった原因を
突いたものでもあります。

「臨床心理学って面白そう」って
ミーハー的に
志願する人が増え

大学が増設され
(他のまじめな学問を
追いやり)

誰にでもわかるような
講義が求められた
結果

マクドナルドの
アルバイト並みの
マニュアル臨床家が
多量に促成栽培されました。

つまり
自分の頭で考えず
心理学の先行研究も
その源にある
宗教や哲学も
すべて否定して

はしごをはずされた
貧相な精神科の医療モデルで
人間を嵌め殺すのです。

悪気がないからって
許されますか?
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花咲かじいさん④ ラポールがないとすべては水の泡

よいおじいさんと
悪いおじいさんが
描かれると
なんか善悪が強調されて
お説教みたいですが
本当に強調されているのは
子犬への愛
ではないでしょうか?
よいおじいさんは
子犬を可愛がっています。
死んでしまっても
灰になっても
大事にしています。
大事なものを
いくら傷つけられても
その存在を忘れず
大事に思い続ける
ことが
大事だと言っているような気がします。
PTSDも同じです。
犬も歩けば棒にあたると
言いますが
人間も
理不尽な傷つけられ方を
することがあったりしますね。
しかし瀕死の状態にあっても
自分の傷ついたこころ
(子犬)を
ずっと大事にし
その声を聞きつづけていると
―おじいさんの
ワンワンとほえる声を
うるさく思うどころか
「ここ掘れ」も聞くような
共感性や
夢を大事にする態度は
参考になります。
宝物も【象徴】ですから
人間のこころを輝かせるもの
豊かにするもの
くらいの意味に読んだらよいと
思います―
枯れ木に花が咲くような
奇跡
(心理学では昇華)
が起こるのではないでしょうか。
そんな芸術のような
人生を
ユングは
個性化の過程
(自己実現)と
呼んだのだと思います。
子犬が自分の大切な
子どもや友達だった場合は
ラポールと言います。
おじいさんと子犬
の間にあったような
心の通じ合いがないと
心理療法は無効だというのは
心理学の常識です。
顔も見ずに診断する医者や
箱庭を置かせたり
絵を描かせても
わかる範囲で解釈する心理療法家には
ラポールのかけらもありません。

花咲かじいさん③  正法眼蔵『枯木の龍吟』

枯れ木に
花を咲かせましょう
これが
キーワードですね。
まずは
これが先にあって
よいおじいさん(陽)と
わるいおじいさん(陰)と
陰陽五行説を
加味しているうちに
おもしろおかしく
なっちゃったから
(日本人はきっと
ユーモアにあふれた
おおらかな人種
なんでしょう)
最後に
頭の固いひとが
ちょっと
道徳的なお説教を
こめて
完成させたのでは?
と想像しますニコニコ
ちょっとまじめに
しないと
教科書検定
通りませんからむっ
それで
大事なのは
枯れ木に花という
ところですね。
枯れ木は
花をつけないというのが
常識ですが
宗教や哲学は
常識ではどうしようもない
崖っぷちの人の
ためのものですから
発想が逆転
しています。
崖っぷちが
リセットのチャンス
だから
普通の人には
わがままに見える
ポニョが
ヒロインになるのです。
正法眼蔵『龍吟』に
似たような考え方が
あります。
「もし枯木にあらざれば
いまだ龍吟せず

幾度逢春不変心は
(幾度か春に逢って
心を変ぜず)は
渾枯の龍吟なり」
木の話をしてますが
人間のことです。
活き活きと元気なのも
素敵ですが
枯れないと
(瀕死にならないと)
自覚できない
(龍の声が
聞こえてこない)
と言うのです。
自覚と言っても…
自分とは
何か
どう生きればよいのか
に関する
自覚です。
教えてもらうのではなく
自分で考えるんです。
いくら難しくても。
解答のコツは…
よいおじいさんは
いくら悪いおじいさんに
ひどいめに
逢おうとも
よいおじいさんに徹していれば
自覚できる
ということが1つ。
加害者や善人面した人たちに
対して
「あんなずるいことして
バチもあたらず…」と
うらみたくもなりますが
(うらんでよいのですが)
長い目で見たら
必ず
それなりの結果が
あるように思います。
(最近は答えが出るのが
早くなりましたヨ!)
だから
それはそれとして
自分もがんばる!
これを時々でいいから
思い出すと
よいと思います。
このあと
「宮商角徴羽に
不詳なりと
いへども、
宮商角徴羽は
龍吟の前後二三子なり」
なんて説明が続きますが
宮商角徴羽は
中国
陰陽五行でのどれみふぁそらしど

です。
5つの気は季節や色や方角だけでなく
音階にまで配当されている
という
徹底ぶりです。
道元は日本人ですが
陰陽五行説は当たり前のように
出てきますよ。
2つ目のコツは…
龍吟の調べ(最後に起こる自覚)は
音楽で習うような内容を
はるかに超えて
ますよと
言ってることでしょうね。
PTSDと闘って
自覚が進んだ方々の
ブログには
だんだん迫力が出てきます。
耳学問ではだめだと言うことです。
大学で教授が
「うつ病や発達障害が増えています」
と言ったり
「かぐや姫=わがままですから
箱庭にかぐや姫の人形を置いた
クライエントに
病院のスタッフが
よってたかって指導強化し
拒食症が治癒しました」
という事例を見せたからといって
それを鵜呑みにするようでは
ダメです。
他の学問では
教養として(?!)それもありですが
臨床心理学の場合は
人間が本当に死んで
いるのです。
命に関わる大切なこと
なんです。
難しいからと言って
わかるところだけ勉強することは
罪なんです。

花咲かじいさん②  一太極二陰陽のネバーエンディングストーリー

西洋の二元論では
善と悪の戦い
そして
英雄が悪を倒して
ハッピーエンド
となるところ
ですが
子犬をめぐって
よいおじいさんと
悪いおじいさんの
掛け合いが
続きます。
悪いおじいさんの
反省のなさは
『こんなヤツいるか!』
って感じで
半ばパロディーですね。
(でも案外いるんですよね。
だから子どものうちに
教えとかなきゃね)
幼稚園や保育所で
先生も子どもも
まじめなお話として
取り扱いますが
漫才や落語にみられる
ボケと突っ込み
とそう変わらないように
思います。
そして
ここに流れる公式は
インドネシアの
『魔女ランダ』
中国の
『万事人間塞翁が馬』と
同じで
善悪の
ネバーエンディングストーリー
です。
陰陽五行説のリセットの原理である
一太極二陰陽の
法則

全体を貫いています。

花咲かじいさん① あらすじ

心安らかで堅実に暮らす
心優しい老夫婦が
一匹の白い仔犬を拾い
わが子同然にかわいがって育てる。
あるとき
犬は畑の土を掘りながら
ここ掘れワンワン」と
鳴き始める。
驚いた老人が
鍬で畑を掘ったところ
金貨(大判・小判)が
掘り出される。
老夫婦は喜んで
近所にも振る舞い物をする。
それをねたんだ隣人夫婦は
無理やり犬を連れ去り
財宝を探させようと虐待する。
しかし
犬が指し示した場所から出てきたのは
期待はずれのガラクタ
(ゲテモノ·妖怪·欠けた瀬戸物)だった。
隣人夫婦は犬を鍬で殴り殺し
飼い主夫婦にも悪態をついた。
わが子同然の犬を失って
悲嘆にくれる夫婦は
犬の死体を引き取り
庭にを作って埋める。
そして雨風から犬の墓を守るため
傍らに木を植えた。

植えられた木は
短い年月で
大木に成長する。
やがてに犬が現れて
その木を伐り倒して臼を作るように
助言する。
夫婦が助言どおりに臼を作り
それで餅を搗くと
財宝があふれ出た。
再び隣人夫婦は
難癖をつけて
臼を借り受けるが
出てくるのは汚物ばかりだった。
激怒した隣人夫婦は
斧で臼を打ち割り
薪にして燃やしてしまう。
夫婦は灰を返してもらって
大事に供養しようとするが
再び犬が夢に出てきて

桜の枯れ木に灰を撒いてほしいと頼む。
その言葉に従ったところ
花が満開になり
たまたま通りがかった大名が
感動し
老人をほめて褒美を与えた。
このときのセリフは
『枯れ木に花を咲かせましょう』である。
やはり隣人夫婦がまねをするが
花が咲くどころか
大名の目に灰が入り
悪辣な隣人は
無礼をとがめられて
罰を受ける。

嵐が初代観光立国ナビゲーターになった訳をユング流に無意識から解いてみる

外国人の訪日観光客の誘致を目的に
国土交通省・観光庁が
今回初めて設けた
「観光立国ナビゲーター」
ですが
栄えある
初代ナビゲーターとして
嵐に白羽の矢が立ったのです。
国から
“日本の顔”の
お墨付きを得たようなものですね。

嵐と言えば
『ONE LOVE』
♪百年先も
愛を誓うよ
君は僕のすべてさぁー

文豪夏目漱石
『夢十夜』
第一話
瀕死の女性が
言いました。
「死んだら埋めてね。
墓のしるしをつけて
そこで待っててね。
必ず逢いに来るから
百年待ってね
ロンドン留学した
漱石は
PTSDになりました。
(西洋文化に圧倒されたのです)
今なら薬漬けです。
作品は墓場に持って
ゆかれていたことでしょう。
そのPTSDが
100年後
大ブーム

夢のなかの
女性の忠告どおりに
なりました。
嵐は歌います。
♪今とても
輝いているよ。
観光は
国の光を観る(深く見る)
華厳経みたいに
神々しい
日本の文化の光が
あります。
これに気づきましょう!
漱石が作品の中で
取り組んだように
東洋と西洋の問題を
考えましょう。
お坊さんでなくても
禅とは何か?
考えましょう。
難しすぎる?
『崖の上のポニョ』
(如人千尺懸崖上樹)
があるじゃないですか?!
それが
PTSDのうつ病誤診
発達障害誤診による
結果的自殺の増加
という
大量殺戮から
日本を救う道です。

始業式参加せず下校の愛子さま事例に学ぶ【象徴的スタンダードな対応】

新学期の始業式には参加せず
ホームルームのみ
出席して下校されましたね。
雅子さまが付き添われているのは
3月から一貫しています。
学習院では
通学への不安の原因は
複数の男子児童による乱暴な行動

と考え
宮内庁との連絡をとりながら
教師6人による見回りなど
対策が講じられて
いますし
春休みには
ご家族で長野県のホテルに
1週間にわたって滞在し
スキーやスケートをして
元気に過ごされた
ということですから
【発達障害】とか
【うつ病】とかの
遺伝病ではなく
心因反応ですね。
心因反応を治すのに
薬は要りません。
温かい人間関係に護られて
自己治癒力が
問題を熔かすのです。
安全な場所を
確保して
客観的に現場を観察しながら
自分の過去の恐怖感を
なだめておられるのですね。
こころというものは
本来
こんなふうに
ていねいに
扱われるものです。

①まずは安全確保
②もう大丈夫と確認
③恐怖を感じたことも事実と認める
子どもの場合は
みんなで助けてあげましょう。
うろ覚えの知識をかざして
「診断名は?」
「いつ行けるようになるのか?」
「あれは治らないんでしょう」
からプライバシーにかかわる邪推まで
そういうのを
二次被害というのです。
たいていそれに
つぶされています。
スクールカウンセラーなど
間に入らないほうが
より自然でいいと思います。

PTSD罹患者はC.G,ユングである

実験室で
ねずみを箱に入れようとしたら
ねずみが逃げ出した。
『ねずみはなぜ
逃げ出したのだろう?』
ここから新しい研究が
始まりました。
非行少年に
大学で習った理論や
当時流行していたフロイトの
精神分析を
当てはめて
面接したら
うまくいった。
しかし数年後
必ず再犯が起こる
『これじゃだめじゃないか。
何が間違っていて
どうすればいいのだ』
そこから
【傾聴】の理論化が
始まりました。
ユングという人も
当時
「凄すぎるぅー叫び」と崇められていた
フロイトの理論に
疑問を持ちました。
宗教的なタブーに匹敵する
疑問ですから
普通は【否認】して
感じないようにするものです。
それに気づいてしまった。
ただではすみません。

ユング版
『崖の上のポニョ』
(如人千尺懸崖上樹)の
$PTSD研究家翠雨の日記
克服の過程が
『赤の書』であり
PTSD研究家翠雨の日記
集合的無意識
(普遍的無意識)
やペルソナ
影、アニマ&アニムスなんていう
理論はすべて
これを言語化したものに
すぎないのです。
すべては1つです。
$PTSD研究家翠雨の日記
(【一即多 多即一】  一緒くたを優しく説明したアニメです)
みんな
自分の頭で考えてきたから
自然に疑問をもったし
それをごまかさないで
いたから
勇気や知性が養われたのです。
DVシェルターで
箱庭なんかする子たちは
入所してきたばかりで
おどおど不安そうな子たちに
「頭で考えてね」
とやさしくアドバイスしていますよ。
子どもは哲学者でしょうニコニコ

朝日新聞『獅子頭』第三十九話 マクドナルド並みの臨床心理学に命を託せるか

雲紗と結婚したければ
彼女の父親に
認められるような
料理人になることが
必須であり
その料理は
気が遠くなるような
歴史や地理
そして
そこで繰り広げられた
であろう
人間の
必死の創意工夫の
積み重ねの跡としての
知恵
(集合的無意識
 普遍的無意識)

実は
密接に結びついている。
そのうえでの話だが
彼女は二順に
メニューにないものを
作らせ
ようとする。
歴史を否定すれば
根無し草となり
たちまち不安になるが
過去の歴史として
閉じられ完結した世界に
自分を閉じ込めたら
滞った水により
根が腐る。
伝承の秘儀だと
思います。
そして
これはPTSDにおける
トラウマの取り扱いにも
通底することだし
こころの研究が
おかしくなった原因を
突いたものでもあります。
「臨床心理学って面白そう」って
ミーハー的に
志願する人が増え
大学が増設され
(他のまじめな学問を
追いやり)
誰にでもわかるような
講義が求められた
結果
マクドナルドの
アルバイト並みの
マニュアル臨床家が
多量に促成栽培されました。

つまり
自分の頭で考えず
心理学の先行研究も
その源にある
宗教や哲学も
すべて否定して

はしごをはずされた
貧相な精神科の医療モデルで
人間を嵌め殺すのです。
悪気がないからって
許されますか?