昨夜開幕した
落語家約90人が
話芸を繰り広げる
大規模なイベント
「上方落語まつりinミナミ」の
一幕です。
人間国宝の桂米朝さん(84)は
正座を続けるのが難しく
急きょ用意されたいすに
座り直されたのですが
「こんなややこしいところに
座らされて
どないしていいか分からん」と話すと
客席から温かい拍手が起きました。
【坐る】ことは…
坐禅でこころを整えたりしますし
日本人のこころと文化に
密接に関わっているものですよね。
ややこしくて
どう坐ったらいいか
わからない
というのは
―確かに坐りにくいですから
そう言っておられるに
すぎないのですが―
実は
多くの人が今実感している
居心地の悪さの【象徴】でもある
ように感じました。
PTSDなんかになると
いたたまれない!
という状態になります。
【居た堪れない】と書くようです。
そして聴衆の
温かい拍手に
拍手の意味を改めて
感じました。
【拍手】はかしわで
ですね。
【合掌】も似たような意味でしょうが
右手と左手で
【陰陽】です。
手偏(てへん)に【シロ】
花咲かじいさんの犬は〈シロ〉
因幡の白兎も〈シロ〉
シロは陰陽五行では金気で
固く固く結実した秋の木の実のような
ものです。
意識を集中して集中して
起こる【純粋経験】
西田幾多郎のいう
主客のない無我の境地です。
わが国を代表する西田哲学は
ここから出発しています。
陰陽五行では【太極】
つまりは混沌です。
『どうしていいかわからない』
『それでよいのですよ』
(そうでなくてはならないのですよ)
米朝さんと聴衆の無意識のやりとりが
聞こえるような気がします。
だから
居心地のよい可笑さを感じる
のではないですか?
日本人の【集合的無意識】としての
(共通認識・コモンセンス)
【一太極二陰陽】のリセットの法則を
感じました。
スサノヲも泣きながら
混沌である【太極】に退行し
リセットして
日本の無意識の歴史を築いています。
日本人なら
どうしていいかわからない
絶体絶命から
始めましょう!
月別アーカイブ: 2010年4月
JR宝塚線脱線事故からPTSDと診断され自死の男性の母親にもPTSDの診断
昨日の朝日新聞夕刊に
5年前事故で
首の捻挫をし
その二ヵ月後に
壁にアリがはっているのを見て
パニックに陥り
事故による
PTSDと診断され
3年後に自死した男性のことが
紹介されていました。
生きていたら27歳だそうです。
ブログもつづっていたようですが
事故で生き残ったことに対する
自責の念や
大学卒業後
社会とのつながりを失ったことで
追い詰められたのではないかと
述べる母もまた
「時間がたってから
PTSDが発症するとは
知らなかった」
と苦悶し、PTSDで
受診中です。
心の傷の連鎖を防ぐために
情報がもっともっと必要だ
と締めくくられています。
なぜアリをみて
パニックになったのか
なぜ自分を責めるのか
なぜつながりを失い
自死につながったのか
すべては哲学的存在論です。
ユングは
これを支えるのが
心理療法の究極の目的であると
述べています。
続きを読む
桃太郎のお供にアンパンマン?!でも集合的無意識の【元型】は普遍
桃太郎や浦島太郎といった
有名な童話や昔話を
子供たちが知らない傾向にあることが
筑波大学大学院の
徳田克己教授(子供支援学)らのグループによる
20年間にわたる調査で
分かったそうです。
人気アニメキャラクターが
昔話に登場すると考える子供もいます。
なかなか面白いですよ。
桃太郎が鬼退治のときに
腰につけた物について
2年前の調査では
3歳児の76%
5、6歳児の91%が
「きびだんご」と正解してました。
しかし
今回は
それぞれ22%、51%と低下。
誤答には
パン、ケーキ、シチューといった
洋食も挙がります。
桃太郎と一緒に鬼退治に行った
「犬、猿、雉(きじ)」の理解は
この20年間で
3歳児は49%から22%
5、6歳児で89%から50%に
それぞれ下がりました。
おばあさんやキツツキなどのほか
なんとアニメキャラクターの「アンパンマン」との
“珍答”もあったそうです。
「浦島太郎は
誰の背中に乗って行ったか」
については
3歳児で理解していたのは
62%から30%へ低下。
犬、猿、桃太郎などの誤答のほか
ここでもアンパンマンが
登場します。
保育所などでの
創作劇の影響らしいです。
(創作・進化が日本文化の魅力だから
これでよいのです)
竹取物語にアンパンマン
結構普通に
飛び出しますから…
そういえば主役だらけの
お遊戯会世代の子どもたちは
♪『世界に1つだけの花』とか
好むんでしょうね。
お話が少々変わっても
思考の雛形は同じですから
無意識の分析に影響を与えるのは
ずっと先でしょうが
この子たちは
どんな
おじいさんおばあさんになっているのか
想像するとワクワクします
続きを読む
キム元死刑囚招聘来月中は困難
キム元死刑囚の人生は
トラウマとの闘い一色でしょうね。
なんとか持ちこたえようとされる
緊張感がひしひしと
伝わってきます。
国際問題の只中に置かれると
立ち居振る舞いすらが
すべて危機に直結するのでしょうから
大変です。
事件までの人生も
緊迫したものだったでしょうが。
誰が悪いのかとか
そういうことを超えた次元で
無私に存在させられることを
受け入れた人の矜持を
感じ
無条件に反省させられること
多々…
デス
続きを読む
両親殺害後自殺する息子の事件微増傾向 相模原でも
28日未明
神奈川県相模原市で
68歳の夫婦が死亡しているのを
夫婦の娘が通報しました。
夫は室内で
妻は庭で倒れていて
2人に刃物で刺された傷があります。
その後
夫婦の長男(39)とみられる男性が
町田市のアパートで
死亡しているのが見つかり
警察は
長男が
夫婦を殺害後に
自殺したとみて調べています。
頻発してますね。
パターン化されています。
そして強い攻撃性が
みられます。
まるで神話の世界みたいです。
常識では
解けない謎です。
続きを読む
『心的外傷と回復』⑥ ああ、アメリカンなマンダラ理解!
『心の中の曼陀羅◆不眠症に悩むヒトへ』
ストレスや、悩み、神経症などで悩む
クライアント対象に
ユング派の心理療法士さん達は
マンダラを描く療法を指導している。
ストレス先進国
アメリカなどでは
『マンダラ療法』の関連図書も
多く出版されており
日本でも『マンダラ塗り絵』として
出版されている。
ホントですか
最近
『赤の書』が出版された
PTSD克服者のさきがけ
ユングも
アメリカにかかれば
台無しですね。
よい子の皆さんは
これをまともに
受けませんように…
マンダラは
十牛図の8つ目のようなもので
トラウマや自分の影と
死闘を繰り広げて
最後に
その人の内から
浮かび上がってくるVISION
です。
死闘を経過した人の絵には
共通点があるという話であって
マンダラと呼ばれる
統計的に多い図を
描いても
本当の効果は期待できません。
イライラしてる人が
墨を摺って
書をしたためているうちに
落ち着いた
というレベルの効果です。
(よけいイライラした
という人も当然あるでしょう)
あるいは
成功した人には貫禄があると聞いて
貫禄を真似るようなものです。
これも無意味とは言えないですが
ちょっとパロディになってますね。
ハーマンの書いた内容も
PTSD克服が相当進んだ段階では
すっと読めるのではないでしょうか。
初期の段階で
ハーマンの理論を演説する人には
マンダラ色塗り崇拝者が
多いような気がします。
ある意味で
本当の理解を【回避】【否認】
しているのです。
全体的にみれば【知性化】
ともいいます。
続きを読む
朝日新聞『獅子頭』第五十三~五十五話 昇華と自己実現
舞台恐怖症が【昇華】した
【獅子頭】の料理を認められ
日本に行けることになり
海外渡航にあたって
共産党にも
特例入党することになりました。
すべてが名誉な話ですが
大変困惑しています。
党と国家を前に
自分や家族が障害になれば
それを犠牲にするのが
常識で
それができないのは
恥ずべきこと
という時代です。
ユングの集合的無意識には
層があり
比較的意識に近いものが
個人的無意識
個人的無意識の背景に
家族的無意識
そしてそれを支える
国家的な無意識があります。
(中国人としての常識)
【自己実現】つまり
【個性化の過程】の際には
この集団の常識を
超えざるを得なくなります。
お釈迦さまは
自分の生まれた土地にあった宗教を否定し
家族を捨てて
厳しい修行をしたのち
悟り
仏教をつくりましたし、
イエスキリストも
為政者たちに
迫害され死刑にされながら
キリスト教をつくりました。
モハメッドも
激しい幻聴に脂汗をかきながら
必死に瞑想し
イスラム教をつくりました。
この【元型】は
何も宗教者の専売特許ではありません。
かぐや姫も自己実現にあたって
月に還って行きました。
(月は本来の自己のある場所です)
一般人も
自己実現するときは
似たような雛形に絡め取られて
苦しむのです。
『心的外傷と回復』⑤ 日本人の場合は回復ではない
ハーマンは漢字がわからないと
思いますが…
(まあ
日本人じゃないから
どちらでもいいです)
広辞苑では
回復は
一度失ったものをとりもどすこと。
もとのとおりになること。
「健康が-する」
快復は
病気のなおること。
「じんましんが出て
点滴を受けて
カイフクまでに3日間を要した」は
じんましんという
邪魔なものが
消えて
元通りになった
(厳密には
3日分の加齢と
食べたものや心境など
内外の環境の微妙な変化で
違う肌ですが…)
という意味で
【回復】
でしょうか。
病気のうちに入っていない
と軽く考えるという意味では
悪くないですが
ちょっと【機械】扱いですね。
でもまあ
じんましんくらいなら
こういう扱いもアリでしょう。
PTSDはどうですか?
たとえばDVの場合
頭ごなしに言われるのは
離婚です。
DVシェルターに入所したら
関係修復の選択肢は摘まれます。
そこを強引に突破した場合は
(私はこれに相当加担しました)
どうでしょうか?
このあと関係修復する場合もあるし
納得の上離婚する場合も
あります。
しかしどちらにしても
【回復】ではありませんね。
さらに言えば
初心者の頃の私が
「エー!!ちょっと待ってぇー」
と思うほど
まっしぐらに変容してゆかれます。
後に
『古事記』や道元や『十牛図』を読んで
『ああ、そういうものなんだ…』
と納得しましたが
凄いパワーが生まれるみたいです。
古い表記は
【恢復】だそうです。
これに至っては
道元の
【古木の龍吟】を思いました。
木と言っても
人間のことです。
枯れなくては
魂の声が聞こえてこないのです。
難しいですか?
そういう人のために
『花咲かじいさん』が
あるじゃないですか!
白い犬
(純粋なこころ)を殺されて
犬は戻りませんが
花を咲かせて
人々を感動させることは
できるのです。
象徴的に
灰になれば
恢復するのです。
やはり
アメリカ的精神分析的カウンセリングの
限界があります。
続きを読む
『心的外傷と回復』④ 永遠の弁証法でハーマンの頭の上を越えよ!
序文に書かれていますよ。
あらゆる心的外傷(トラウマ)の諸相と
その治療への方向性を
具体的・情熱的に示した本書は
初版刊行以来
世界中の読者から
感動をもって迎えられ
現在では
トラウマ問題の「バイブル」の
地位をゆるぎないものにしている。
しかし
被害者をはじめ
この問題に対する取り組みは
まだ始まったばかりであり
事態は流動的である。
人間はそもそも
二元論ではできていない。
しかし
現代キリスト教のおかげで
(そもそものキリスト教は二元論ではないだろう)
西洋は二元論でも
多くの人が納得してくれる。
しかし
PTSDを問題にした
ハーマンは
牧師の息子ユング同様
その常識を超えています。
日本の読者の多くは
どうも
ここを読み飛ばしている。
―都合のいいことに飛びつくのは
世の習いです。
私も人のことはとても
言えません…
東洋の自己実現には
ハッピーエンドはないのです。
個性化の過程
であり【道】なのです。
これは
陰陽五行説の
【一太極二陰陽】の
リセットの法則でもあります。
西洋の弁証法ではありません。
永遠の弁証法です。
ここを間違っては
大事になるので
宮崎監督は
『人魚姫』ではなく
『崖の上のポニョ』を
泣きながら描く必要があったのです。
ハーマンは偉大ですが
ハーマン信仰はほどほどにしましょう。
東洋思想では
【仏向上】
と言います。
ビルシャナ仏の頭の上すら越えていくのが
東洋人です。
ハーマンの頭くらい
軽々超えましょうよ!
続きを読む
『心的外傷と回復』③ 『十牛図』が自分探しの基本
ユングの心のモデルでは
人間の無意識には
個人的無意識と集合的無意識が
あります。
フロイトの精神分析には
個人的無意識しか
ありません。
トラウマは
後天的なものですが
無意識は
日々ミキシングを繰り返しています。
仏教の唯識では
【阿頼耶識は異熟するなり】と言います。
↑
無意識
我々の無意識にあるのは
常識で考えると知るはずもない
先天的なものが大半なのです。
―あなたは
お母さんに呼吸の仕方を
教わってから生まれてきましたか?
特に文化に関するレヴェルの無意識が
個人的無意識に混ざっています。
また
我々が生きているのは
まさにその文化ですから
それを無視して
社会とつながるのは
無理な話です。
暴君にでもならなければ…
(これは下手すると小さなコミュニティーで
暴君と化す可能性を示しています)
前置きが長くなりましたが
自分を失くした人が
自分を探す物語が
禅画『十牛図』です。
この図によれば
社会とのつながりは
自分探しの果てにあるのです。
最初から
社会とつながることばかり
考えていては
大失敗します。
かの国ではそれでも
よいのでしょうが
君子の交わりは
淡き水の如しで
なければならないと
思います。
保健所のグループで
「寂しい、淋しい…電話番号教えて…」
と苦しみ、混乱を深めていた
ヒステリー女性
(この診断名の人と幸運にも逢ってます)
のことを思い出しました。
ハーマンに今からでも
つけたしてほしい…
続きを読む