臨床の語源は
牧師が死に行く人々の
苦痛や不安をなだめていたこと
ですが
東洋でも同じです。
『チベットの死者の書』に
一番はっきり書かれていて
死に行く人に対し
僧が毎日毎日
語りかけるのです。
これから死の旅に出るという
自覚をさせ
誰もが通る道だから
畏れるなと
不安や恐怖を軽減させながら
それでも
襲ってくる不安のイメージ化である
ビジョン・幻覚に対し
こういう恐ろしい魔物が
~って言うだろうけど
無視し、
光の方に飛び込み
一体化しなさい
とか
魂に関する
悠久の研究から得た
莫大なデータをもとに
堂々と語りかけます。
思うのですが…
死者が聴いているのかどうか
私にはわかりません。
しかし
これって
遺族の悲しみやいずれ来るであろう
死の恐怖に対する
教育になっていると
思いませんか?
さらには
素朴で純真なチベット人は
象徴レベルで受け止めるでしょうから
現在の心理学的な問題に対して
自分で取り組む材料としての
心理教育にもなっているのでは?
と感じます。
月別アーカイブ: 2010年4月
臨床心理士国家資格化を阻むもの① 臨床
民間資格である
臨床心理士の
国家資格化は
難航しているわけですが
その原因の1つに
「臨床」という名称が
あり
臨床と冠することに
さまざまな理由からですが
難色を示されています。
なぜかなぁ?と
漠然と思っていたのですが
講義中
ふと閃きました。
臨床心理学の【臨床】の語源は
床に臨む(のぞむ)
床はベッド
しかし普通のベッドではなく
死の床です。
クリニカル・サイコロジー
clinicalの語源も【死】
です。
どういうことか?
と言うと
臨床心理学の歴史は
非常に浅く
発展途上の学問なのですが
心理療法が生まれる前は
宗教や哲学、シャーマニズムが
人々の不安や悩みを
解決しようとしていた
わけです。
(現在でも実情は
贔屓目にみつもっても
半々でしょう)
一番の不安は
死にゆく不安です。
これを教会で
牧師がなだめていたそうです。
我々の仕事は牧師の仕事と
表面的には全く違いますが
【象徴的】には同じなのです。
自己実現には
古い価値観の死と再生が
必須で
価値観を変えるのは
死ぬような苦痛を意味しますから。
ところが
精神科医療は
死を相手にしておらず
自殺者増加という大失態を
演じています。
そのコンプレックス
無意識の大弱点を
突かれて
感情的に猛反発している
とも言えるし、
そっち(臨床心理士)だって
同じ穴のムジナじゃないか
臨床心理学の最大の売り物だった
ユング心理学が
象徴はおろか
分析まで捨てて
発達障害に逃げ込んでいるクセに
うつ病に逃げ込んだ我々と
どこが違うのか
ということではないかな…
と思います。
ちなみに
私は臨床心理士ではないので
この問題に関しての
ご配慮は無用ですよ
因幡の白兎⑤ 医療が強化する【解離】
おおくにぬしのみことは
うさぎに
河口へ行って
真水で体を洗い
そこに生えている
蒲の花粉を取って
その上で寝るといいと
教え
うさぎが
教えられた通りにすると
体は元通りに治りました。
うさぎは
おおくにぬしのみことに
「ヤガミヒメは
八十神ではなく
あなたを選ぶでしょう」と
言いました。
たとえば
不眠症だったら
なぜ眠れないのか
その人の日常を科学的に
考察し
症状に応じた治療を
しなければなりません。
それを顔も見ないで
診断し
それに基づいた治療をし
痛い痛いと言っても
聴かないし…
苦痛や絶望から
暴れでもしたら
【うつ病】もたちまち
【統合失調症】に書き換えられる始末で
(最近の朝日新聞)
…
あまりにデタラメですよね。
痛みを【否認】してたら
【解離】になりますよ。
本人の無意識が応急処置として
しかたなくするならともかく
医療現場での指示が【解離】なんて
あまりに変すぎる…
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因幡の白兎④ 無意識のワナ
大怪我をした赤ウサギに
海水を浴び
風に当たって
寝ていろと
指示するなんて
ひどいですね。
客観的に
考えると
だれが考えても変な話
です。
しかし
PTSDを前にすると
セラピストもクライエントさんも
こんなふうになるのが
普通です。
これは知性の問題ではなく
無意識にある
感情の問題なので
むつかしいのです。
しかし
これに気づけば
道は開けるのです。
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因幡の白兎③ PTSDの専門家たち
おおくにぬしのみことには
多くの兄弟
(八十神)が
いました。
大穴牟遲神が
稲羽(因幡)の
ヤガミヒメを
妻にしようと
出掛けたとき
八十神は
大穴牟遲神に
荷物を全部持たせました。
気多
(けた)の
岬に着くと
裸のうさぎが
伏せっていました。
八十神は
「お前は海水を浴び
高い山の上で風に当たって寝ていろ」と
指示しました。
うさぎがその通りにすると
海水が乾くにつれて
身の皮が風に吹き裂かれました。
心理療法家も
80人デタラメで
一人くらいは
世の中の重い重い荷物を背負って
黙って存在しているなら
まだ
いいですのにね。
あと
心理療法の基本は
【傾聴】なのに
上から目線で【指示】ばかりする
心理臨床家も多いです。
指示の根拠は
古事記など日本的なものではなく
西洋のお話です。
宮崎駿監督は
これを憂い
『崖の上のポニョ』を
発表しました。
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因幡の白兎② PTSD罹患者の辿る道
淤岐島
(おきのしま、所在不明)から
因幡国に渡るため
まあ簡単に言えば
陸から陸へ
うさぎは
ワニを海の上に並ばせ
渡ろうとしたのですが
もう少しというところで
「だましてやった」なんて
言っちゃったので
怒り狂ったワニに
毛皮を剥ぎ取られ絶体絶命です。
掬われたい一心で
八十神(やそがみ)の教えに従い
潮に浴し
風に吹かれたので
身の皮が裂け
苦しんでいるのを
おおくにぬしのみことが
救うという話
です。
ワニは水陸を自由に行き来します。
意識と無意識を
渡る力の【象徴】でしょう。
このちからを
甘く見てコントロールできると
勘違いしたために
毛皮をはがれ
傷口に塩を塗られて
赤ウサギとなり
助けを呼んでは
さらにひどい目にあって
嘆き苦しんでいるのは
まるで
平成のPTSDです。
【解離】や【同一視】
【回避】により
トラウマを克服したつもりが
激しいフラッシュバックや不眠に
悩まされます。
専門家を頼って
ほっとしたのもつかの間
いつまでも治らず
さらに地獄をみることが
少なくありません。
しかし
その絶望から掬われることも
あるのです。
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因幡の白兎①
いなばのしろうさぎは
出雲神話の一つです。
素菟(素兎)が
正しい表記だそうです。
本居宣長は『古事記伝』で
素足、素手のように
裸を意味する
【素】なので
白いウサギというよりは
【はだかうさぎ】
ではないかと
述べています。
ワニにやられて
痛々しい
うさぎですものね。
『古事記』のなかに
あるお話ですから
これもPTSDに
関係があると
私は考えます。
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朝日新聞『獅子頭』第五十二話 PTSDとユング心理学【個性化の過程】
二順の腕が
日本人に認められた
わけだから
二順の代わりは
いない。
舞台恐怖症克服の過程で
二順は
自己を確立し
唯一絶対の個性を
手に入れました。
ユング心理学でいう
【自己実現】
【個性化の過程】
とはこういうものです。
個性化の過程
ですからね。
入り口を見つけた
ということなんです。
柔道・剣道・
茶道・華道・香道
…
わが国には【道】とつく
ものがたくさんありますが、
その道を歩き始めた
ということでしょう。
今なら
【料理道】とか
言うのかもしれません。
西洋のお話と違うのは…
怪物を倒して
王子さまとお姫さまが
結婚して
…
というハッピーエンドが
ないことです。
かといって
ハッピーでないわけではない。
【一太極二陰陽】の
リセットの法則で
人生を
バクシンするパスポートを
得たわけです。
ユング心理学を
日本流に改良することは
焦眉の課題です。
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尼崎事故の慰霊式場でJR西の社員が死亡
昨日
午後2時ごろ
尼崎JR脱線事故の
追悼慰霊式が行われた
尼崎市総合文化センターの
地下トイレで
JR西日本の男性社員(51)が
死亡しました。
遺体に外傷はなく
尼崎南署は
事件性はないとみて
死因を調べています。
JR西によると
男性は遺族担当でした。
慰霊式終了後
一般の献花受けつけの最中
男性がトイレから戻らなかったため
不審に思った同僚が
トイレの個室をのぞいたところ
倒れているのを発見したものです。
死因はまだ不明ですが
自殺や
極度のストレスから
心臓や脳の血管に多大な負担がかかっての
憤死など想像されます。
PTSD運転手による
PTSD大量発生事件の
遺族担当は
普通の仕事ではないでしょう。
そしてそう感じたから
事件としてマスコミも
このような取り上げ方を
しているのでしょう。