『竹取物語』蓬莱の珠の枝の象徴的意味① 光明

明明の光明は
百草なり。
すでに根茎枝葉・華果光色
いまだ与奪あらず。
五道の光明あり、
六道の光明あり。
 
 (正法眼蔵『光明』)

本来
あらゆるもの(百草)に
明らかな光明が宿っている
のだから
それはどこの世界でも
そうだし
(当然日常にあるのです)
尋ねた場所の
光明がお留守だった
なんてことも
あったためしが
ないのだから
私が
「根が銀で
茎が黄金で
実が白い木を」
と言ったからって
真に受けて
海を渡って
蓬莱山で見つけてきたなんて
うそつくような人は
ずるいだけでなく
理解度の低さを露呈しています。
日本中にいくつあるか
しれない
(その辺の)竹林で
私は
発見
されたのです。
西洋のお話
『青い鳥』でも
子どもがこのことに気づきますよ。
庫持ちの皇子なのに
だめですね。
かぐや姫が
ぼやいてましたよ。
いくら庫もってても
…ネ!

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