いろんなブログがありますね
いろんな意義があると思います。
私が個人的に
関心があるのは…
ちょっと縁起でもないって
思われるかもしれませんが
①遺書としてのブログ
今すぐ死ぬとかそういう意味ではありませんが、
書き残しておくということです。
一般に
人間は何か生きていた証を残したいものでは
ないでしょうか。
②こころの献体としてのブログ
脳を調べてもらっても
考えていたことはわかりませんからね。
さっき思いついたのは
アフリカのブッシュマンの壁画です。
独自の宗教哲学を芸術にしたものでしょう。
でもきっと
そんなこと考えてない。
楽しいから無心で
描いたのでしょう。
でもこの絵が
広大なアフリカ大陸の
北の方にもあることで
南の端に住む
―こんなブッシュマンに出て行けと言い
裁判で敗訴したデビアス社って
一体何なのでしょうね
ブッシュマンの
非暴力の哲学の歴史が
証明できます。
身体が土に還ってゆくなら
精神のかけらがバラバラになって
ネットに吸い込まれていくのも
そしてどこかで小さな役にたつ
ことでもあれば
それでいいのではないかなぁって
思います。
東大寺の【不空羂索観音】のように
ネットはあらゆるものを
救いとってくれます。