虐待の芽としての所有物感情の怖さ

朝日新聞が書いてます。

みんな
一生懸命子育てしてるんです。

アレルゲン排除なんか
しながら…
 ―どれだけ大変かあせる

会社でバリバリ働き
疲れて帰っても
遊んであげようとしてるんです。

なのに
子どもは
食べてくれなかったり
トイレットトレーニングから
逃げ回ってたり
「つまんない」って
言ったりします。
 ―もちろん悪気はない。 

そこでキレちゃうんですね。

『どうしろってんだ!』
(実は泣きたいのを【否認】して
 必死で虚勢張ってる)

ハンバーグの種投げちゃった
お母さんもいます。
(たまたま手に持ってたから)

後は悲惨ですね。

かーっとしちゃうと
後先わからなくなって

気がついたら
「どうなってるの?」
「誰?こんなことすんの?」
「誰がかたづけんの?」

子どもは凍りつくし
そばにいたお友達から
うわさは広がるし…

子どもを所有物だと
勘違いしてるからだと
書いてあります。
 ―そんなこと思ってないって
  言うでしょうね。
  でも行動が証明していますね。

暴力的支配ですね。

日常にありふれた【解離】を
朝日新聞も書きだしました。

恐怖感とともに所有物扱いされる日常は
立派な負の条件付けです。  ←仏教は薫習という
(治療では
時間をかけて
反対のことをするのです)

大人になって
母親と同じことをしている自分に
唖然とするPTSD女性
案外多いです。
 ―そこにもずけずけいう姑がいたり
  なぜか肩もつ嫌味な夫
  非協力的な夫がいて
  追い詰めてます。

いいとか悪いとか
そういうこと離れた場所に
問題が起こります。

余裕がないときほど
感情を抑えて
客観的に考えることが大切です。

$PTSD研究家翠雨の日記

連鎖とはそういうものです。

断ち切るために
非暴力の哲学があります。

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