森鴎外にやられたトラウマの『耄碌寸前』は認知症にあらず

著者72歳の時の作品
 ―もうろくは
 今は使っちゃいけない言葉の1つ
「私は
自分でも
自分が
耄碌しかかっていることが
よくわかる」
しかし
認知症ではなく
PTSD発症寸前の意味
であることは
生い立ちが証明している。
長男として生まれたが
 ―於菟と名づけられた。
 兎年生まれウサギ
 漢和辞典には
於菟は虎って
 書いてあるあせる
母親は
結婚一年余りで
離縁されたので
父方に引き取られたのち
里子に出され
13歳で
鴎外一家と同居するようになるが
鴎外の若い再婚相手と
祖母の不仲に巻き込まれます。
これで
平均的な人格になったら
ミステリーですねニコニコ
父親の名を
辱めたくないからと
作家ではなく
死体と向き合う   ←臨床心理学
解剖学者になりました。
 ―いくつかの【否認】が複雑に
 編みこまれた
 結論ですね。
「この調子では
死ですら超えて
夢見そう
である」
これが耄碌でない証です。
トラウマはいつまでも
生き続けるのです。
しかし
鴎外って凄い人だったんですね。
だから
『舞姫』なんか
書けたんですかね。

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